今日は「自己をみつめよ」について書いてみたいと思います。


今朝、今まで書いてきたブログを見直してみましたが、5月からこれまでの間に、自己とは何か物質自然について創造主神クリシュナについて神々について魂についてヨーガについて 、と哲学宗教道徳倫理 、その他、生き方に関するさまざまな、私の個人的考えを書いてきました。


一言、「ま~よく毎日書いてきたな~」の感想です。


私は毎日、何も読まずに、下書きもなく、その場で、記憶している知識や今まで体験した事に基づいて、ただ打ち込んでいるのです。


それでも、書きたい事が毎日毎日つぎつぎと、湧いて出てきます。


それは多分自分に合った事であり、好きな事だからできるのだと思います。


この自分に合った事、つまり適性(能力)であることは非常に大事なことなのです。


好きな事でも、適性がなければ、言い換えれば能力がなければそれはできない事なのです。


ただ好きでやることは、好きな事だから持続はできると思います。


しかし、その物事に熟知し熟達するにはそれを達し得る、卓越した能力が絶対必要です。


それらは、生まれそなわった素質であり、それらの能力は持って生まれてくるのです


その持って生まれてきた能力を、好きな事だから熱中でき、そしてその方面に力を発揮できるのです。


しかし、せっかく持って生まれてきた能力を、知らずに埋没している人もいるし、また努力しないで発揮していない人もいるのです。


例えば、100mのオリンピック金メダル選手といえども、犬の早さやにはどんなに努力しても絶対に勝てません。


ただ走るだけの競技においては、単に肉体的性能の競技であり、つまるところそれは、素質が究極的に物を言うだけなのです。


これは努力以前の、肉体的に生まれ持った資質だからなのです。


もっと極端な例を言いますと、鳥は羽があるから空を飛べるのであり、魚はえらがあるから水の中で棲み続けられるのです。


これも単に「その資質を持っている」と言うだけのものなのです。


この、持って生まれてきた事は、すべての生物の輪廻におけるカルマの結果なのです。


この様に、それぞれの人にはその人が気付かない、輪廻におけるカルマの結果としての素質が備わっており、その素質に気づき、それを活かす事が、今生での有効的な生き方につながる事になるのです。


つまり、自分の素質に合った無理のない生き方は、カルマに沿ったものであり、その積み重ねの修行を続ける事が、無駄のない魂の修行となっていくのです。


せっかく知識階級のブラーフマナの素質がありながら、物質文明の享楽に生きるためにヴァイシャになって激情の生活を送っている人は、今の時代には非常に多いと思います。


挙句の果てに、業務の適性に適応できず、激情世界に悩み苦しみ、最期はうつになり自殺する人さえ多く出てきてしまっています。


これは本当に自己をみつめない愚かしい生き方ではないでしょうか。


れらは神の科学であり真理なのですが、はやはりバガヴァット・ギーターを学ばなければ理解は不可能なのです。


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覚者よ我を観よ 智者よ真理を聴け 勇者よ我と共に学べ


これからはインド哲学バガヴァット・ギーター の時代です。

バガヴァット・ギーターはマハト・ガンジーが座右の書としたものです。

私は宗教団体には一切入っておません。

全て独学でギーターを身につけました。

私の主義は人を集めず、布施を求めず、去る者は追わず

私はその人の、独立個人、自尊独立を尊重します。

人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。

バール・クリシュナ・フミオ