城下町に生まれ育ち....
相模国〜小田原に生まれ育った自分は
子供の頃から体内のどこかに
「城がある街に生まれた」という
城下町生まれの人しかわからない
誇りに似たような感覚を持っていた
だから城下町民じゃない人が
小田原城を評価することに
苛立つ感じもあった
経済大国日本に生まれ
その後中国などに抜かれると
なんとなく腹が立つ
そんな感情に似てるかもしれない
よく城好きの連中が
姫路城や松本城の美しさや壮大さを評価するが
小田原城は小さい....と酷評するのを耳にする
「何言ってやがるんだ?戦知らずの城なんて
キレイで当たり前じゃねぇか」
「戦のない江戸時代に建てられた城と
比べるんじゃねぇ」と腹が立ったもんだ
(小田原城も昭和になって再建されたんだけどね^^)
おそらく我々小田原市民のDNAに
難攻不落の関東三国志の小田原城のおかげで
秀吉の天下統一が始まったんだ
しかも武田も豊臣も徳川も
小田原城を焼き払うことができなかったんだぜ
だから小田原城は日本一戦に強かった城なんだ
という小田原市民のみの解釈で
「誇り」を保っているんだと思う(笑
実際、通常は戦で負けた城が焼かれるのが一般的だが
小田原城はそのまま残った
築城技術、堀の技術、水の引き込み方等の技術がとても高度で
あまりにもよくできていたお城なので
終戦後にお城を囲んでいた大名がみんなで視察して
技術を学んでいったためにつぶされずに残った」
その後、江戸時代にかけて築かれたお城には
小田原城で学んだ技術が採用されるようになったそう
そんなわけで
必ず歴史の教科書にも載る
戦で負けた城なのだが
負けた相手が天下の秀吉で
その結果日本の歴史の転換期になったこと
その後も城が残され
江戸時代にも箱根関所など
江戸の玄関として重要な役割を得たことなどが
小田原市民の「城のある街の誇り」となっている
と思う^^
小田原城と言うと
北条と誰もがイメージするし
実際小田原市民も
小田原城=北条五代
という認識だが
大久保こそ小田原城主だという派も
何割か存在する
なぜかと言えば
江戸時代以降の城主は大久保氏で
今の小田原城の原型を作ったのも
大久保時代だからだ
(厳密には稲葉氏だが)
なにはともあれ
城下町に生まれた身というのは
不思議な誇りを持って育つ
富士山が当たり前の
静岡や山梨県民と同じように
当たり前にある城は
日常では全く意識しない
ただの街の風景になってるところへ
観光客が押し寄せるのも
これまた面白いもんだなぁと思う