城下町に生まれ育ち... | T☆Mのmenantikannya

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58歳になりました^^

城下町に生まれ育ち....

相模国〜小田原に生まれ育った自分は

子供の頃から体内のどこかに

「城がある街に生まれた」という

城下町生まれの人しかわからない

誇りに似たような感覚を持っていた

 

だから城下町民じゃない人が

小田原城を評価することに

苛立つ感じもあった

 

経済大国日本に生まれ

その後中国などに抜かれると

なんとなく腹が立つ

そんな感情に似てるかもしれない

 

よく城好きの連中が

姫路城や松本城の美しさや壮大さを評価するが

小田原城は小さい....と酷評するのを耳にする

 

「何言ってやがるんだ?戦知らずの城なんて

キレイで当たり前じゃねぇか」

「戦のない江戸時代に建てられた城と

比べるんじゃねぇ」と腹が立ったもんだ

(小田原城も昭和になって再建されたんだけどね^^)

 

おそらく我々小田原市民のDNAに

難攻不落の関東三国志の小田原城のおかげで

秀吉の天下統一が始まったんだ

 

しかも武田も豊臣も徳川も

小田原城を焼き払うことができなかったんだぜ

 

だから小田原城は日本一戦に強かった城なんだ

 

という小田原市民のみの解釈で

「誇り」を保っているんだと思う(笑

 

実際、通常は戦で負けた城が焼かれるのが一般的だが

小田原城はそのまま残った

 

築城技術、堀の技術、水の引き込み方等の技術がとても高度で

あまりにもよくできていたお城なので

終戦後にお城を囲んでいた大名がみんなで視察して

技術を学んでいったためにつぶされずに残った

その後、江戸時代にかけて築かれたお城には

小田原城で学んだ技術が採用されるようになったそう

 

そんなわけで

必ず歴史の教科書にも載る

戦で負けた城なのだが

負けた相手が天下の秀吉で

その結果日本の歴史の転換期になったこと

その後も城が残され

江戸時代にも箱根関所など

江戸の玄関として重要な役割を得たことなどが

 

小田原市民の「城のある街の誇り」となっている

 

と思う^^

 

 

小田原城と言うと

北条と誰もがイメージするし

実際小田原市民も

小田原城=北条五代

という認識だが

 

大久保こそ小田原城主だという派も

何割か存在する

なぜかと言えば

江戸時代以降の城主は大久保氏で

今の小田原城の原型を作ったのも

大久保時代だからだ

(厳密には稲葉氏だが)

 

なにはともあれ

城下町に生まれた身というのは

不思議な誇りを持って育つ

 

富士山が当たり前の

静岡や山梨県民と同じように

 

当たり前にある城は

日常では全く意識しない

ただの街の風景になってるところへ

 

観光客が押し寄せるのも

これまた面白いもんだなぁと思う