燃える闘魂 | 香椎攻防記

香椎攻防記

轟丸英士、アラフォー。
底辺窓際サラリーマン。
主に通勤時間中の時間潰しの駄文、ならびにダイエット記録です。



 コロナ前は年に3、4回海外に出張行っていた。コロナ騒動以来、久しぶりに、約3年弱ぶりにベトナムに行ってきた。一週間ホーチミン、ハノイと周り、深夜便で昨日の朝、帰国した。今回も仕事でも、仕事外でも色々とあったが。…もはやそんなことはどうでもよく。

 

 日本に到着して、携帯を起動。荷物を下ろして飛行機から出るまで、LINEなどの連絡をチェック。そしてニュースサイトを見ると…。


 アントニオ猪木、79歳で逝去。


 小学生の頃はいつも、土曜日夕刻のプロレスを見たり、深夜のプロレス中継をビデオに録っていた。引退してからもなにかと格闘技や、政治の世界で存在感を示しており、大ファンと言わないまでも何故か気になる存在で、動向は意識せずとも追っていたように思える。

 北朝鮮でのプロレス、イラクからの邦人救出、さまざまな事業の立ち上げ…などなど猪木が行ってきたことは場当たり的で、強運に支えられていたものだったように見えた。しかし、それは、やってみる、挑戦してみる、という猪木の行動力と、周りの人間を巻き込む、とんでもない人間力に裏打ちされたものであったと思う。


 この道を行けばどうなるものか。

 危ぶむなかれ。危ぶめば道は無し。

 踏み出せばその一歩が道となり、その一歩が道となる。

 迷わず行けよ。行けばわかるさ。


 猪木が引退の時に引用した詩である。いつのまにか空で言えるようになってたということは、この言葉を大事にしていて、知らぬ間に覚えてたということだろう。たまたま数ヶ月前にコンビニで手にして、読んでなかった猪木の本を今日は読もう。


 また私の中で、ひとつ昭和が終わった。合掌。