時は流れる | 香椎攻防記

香椎攻防記

轟丸英士、アラフォー。
底辺窓際サラリーマン。
主に通勤時間中の時間潰しの駄文、ならびにダイエット記録です。




 酸っぱすぎず、程よい酸味に昆布の出汁が染み込んだ優しい味の締め鯖。美味い…カウンターで一人で唸ったのはちょうど四年前の今頃のことだ。

 当時の私は迷走していた。まだ独身だった私は毎日フラフラと何か新しい、刺激的なものはないかと探し求めていた。というより、何かひとつ、毎日新しいことを見つける、もしくは始める。それを自分への課題としていた。

 例えば、新しい本を読み始める。新しい店を開拓する。行ったことのない神社に行ってみる、新しいことにチャレンジしてみる…などなどどんなに小さいことでもいいから毎日新しいものに触れるということを自分に強いていた。約20年弱、自分なりに真剣に向き合っていたボクシングを、突然の怪我で辞めざるを得なくなった時、何もせずに日々を過ごしてゆくことはあまりに辛かった。それまでの自分の日常は「非日常」の中にあったのだなぁと気付いたのはその時だ。毎日少しでも新しいことに触れて刺激を得る。そういう課題を自分に与えることで何とか精神の安定を保とうとしていた。…その時に始めたのが尺八であり、また出会った店がこの店である。

 マスターとママさんは私の両親と同じくらいの世代だ。そして三兄弟の息子さんの三男は私と同い年だという。六人だけのカウンターに、小さな小上がりのある、こぢんまりとした店構えだ。派手さはない、典型的な昭和の雰囲気のお店だが、今となっては逆にそういう店は少なくなっているのかもしれない。兄ちゃん、なんかスポーツやってただろ?そんな一言から始まった、かつて野球をやっていたというマスターとは、いつの間にかなんでも話せる仲になった。客が途切れると、マスターはカウンターに並んで、一緒に酒を飲んだ。酔って呂律が回らなくなって何を言ってるかわからない説教も何度も食らった。泥酔して歩けなくなったマスターをおぶって二階の寝室まで連れて行ったこともある。あの時は、私も酔っていたのでマスターもろとも階段から落ちないか心配だった。寝るまで捕まえていて、というママさんのお願いに応え、起きてこようとするマスターを布団でぐるぐる巻きにして寝かしつけたのだった。


 四十年前の開店時から、時間が止まった様な昭和の空気の流れるこの店で、美味い料理と酒を飲む時間は私にとって、たまらない癒しとなり、寂しさを忘れさせてもらえる大切な時間となった。まるで実の親父やお袋と過ごしているような安らかな時間だった。否、実の両親とは共有できない様な時間、話題を過ごさせてもらっていたのだ。毎週の様に通った店だったが、結婚して少々遠方に引っ越してからは足が遠のいた。しかし、それでも実家に顔を出す様な感覚で、月に一回程度は店に行っていた。


 昨夜、寝ようかという時間にママさんからLINE。連絡先は交換していたものの、LINEが来たのは初めてだ。…いわく、10月末には店を閉める、と。



 いま、私はカウンターに座り、黒霧島を飲みながら、ホルモン鉄板とイワシとサンマの刺身を食っている。たまらなくうまい。いっそう味を噛み締める。きっと私と同時に閉店連絡があったのだろう、小さい店内はお客さんでいっぱいだ。この店の客層では私はまだ最若手の部類に入る。マスターはカウンターの向こう側で忙しそうで、今日はカウンターに飲みにくる暇はなさそうだ。


 とっても寂しい。でも、うちの両親がとっくに定年退職してることを考えれば、そりゃそういうもんか。月一の訪問だったが、閉店までは妻に許してもらって、週一は来たいと思う。出来れば妻や子供も一回連れてきたい。またの機会にマスター、ママさんとはゆっくり話をしよう。

 

 時間というものは否が応にも流れてゆくものだ。それを嘆くのではなく、それまでの思い出に感謝して行きたいものだ。ありがたいことだ。感謝。