五月蝿い | 香椎攻防記

香椎攻防記

轟丸英士、アラフォー。
底辺窓際サラリーマン。
主に通勤時間中の時間潰しの駄文、ならびにダイエット記録です。

 5月、ハエ、形容詞の末尾「い」。五月蝿い、と書いて「うるさい」。

 

 昔からよく、香川照之に似ているといわれる。もちろん、顔が、だ。

 いきなり道行く酔っ払いに、兄ちゃん香川に似てるね!と言われたことも何度かあるし、行きつけの飲み屋でも「香川」とあだ名をつけられて、「香川」で通っていた。ちなみに、トータス松本に似ている、と言われたこともあるが、たまたまWikipediaでトータス松本の記事を見ていたら、

香川照之はトータスと顔が似ていると言われたことがあるようで、ネット上でもそのことが話題となることが多い(ただし、声質はまったく異なる)。2010年には『龍馬伝』で香川と共演している』…との記載もあった。長くなったが、つまりは私は香川照之に似ているのである。太った最近はあまり言われなくなったが、つい数年前まではよくそう言われていた。まあ香川は男前ではないが、演技派俳優として評価されているし、ボクシングも大好きであるし、と好感は以前からもっていた。

 

 …だからというわけではないが、香川照之の昨今のスキャンダルがなんとなく気になる。

 なんとなくスマホを見て、世間に散乱する、それらに関するネットニュースを見てしまう。

 手のひら返したように、香川バッシングするマスコミ。昔から香川は酒癖が悪かった。エラソーで冷徹な野郎だった。かと思えば、香川は周りを盛り上げる体育会系のいいやつだ、だとか。守秘義務の口止め料込の銀座のクラブ料金なのだから、クラブのホステスの女が最も悪い、だとか。喧々諤々、さまざまな情報、意見が散見される。

 

 …なんとなく見てしまう。香川照之は私に似ている。それだけだ。それだけだけど、なんだか散乱する情報を目にしてしまう。私の人生には全く関係ないし、なんの影響もない。そして、各異見になんとなくその時の気分で、心中で意見してみたり、それは違うだろうと、反論してみたり。

 

 …うるせえんだよ!!!

 

 すべてがうるせえと感じた。どうでもいい、己とは関係のないことにピーチクパーチクほざく世間に。それにいちいち反応してしまう自分に。無償に腹が立ってきた。

 

 

 情報遮断することに決めた。テレビはNHKしか見たくない。スマホは日経新聞読むだけで十分だ。

 会いもしない昔の知人の近況なんて知りたくもねえし、関係ない。必要な人間関係ならばネットを通じなくても、直接会ったり、話したりして近況連絡するだろう。なんとなく見ていたSNSも一切やめた。

 

 私には現代の溢れる情報が多すぎる。ネット断ち、テレビ断ちをしたらすっきりした。

 ついには、音楽を聴くのもやめた。大好きな長渕剛や玉置浩二の歌を聴くのもやめた。妄想力豊かな私は、彼らの歌を聴くと、様々に想像、思い出が膨らんでゆき、とめどもなく色々な思考が次から次につながってゆく。その曲の歌詞の内容はもちろんのこと、リリースされた時期の思い出、それぞれの曲を良く聴いていたころの思い出の感傷に浸ってしまったり…。それだけならばいいが、不必要に落ち込んだりと良いことはない。やたらと心がザワつく。

 音楽を聴くときは、最近は聞いたこともないピアノ曲や、民謡が心地よい。特にゆったりとした古い沖縄民謡は三線の音が心地よい。不必要な感情の揺れはない。

 

 というわけで、様々な刺激を遮断した生活をここ数週間している。実に心地よい。余計な思考はなくなり、頭はスッキリとクリアだ。台風の強風の轟音さえも心地よくなってきた。そして、先週金曜日、コロナ騒動を挟んで、福岡サンパレスに約3年ぶりの長渕剛のライブに出かけた。ここのところ、大好きな長渕剛の歌さえも断っていたいたので、新たに新鮮な気持ちで聞くことが出来た。そして、純粋に、この人はすげえな、、、と感動することが出来た。

 

 現代は情報が多すぎる。特に、妄想力、想像力、共感力が人より旺盛な私にとってはなおさらだ。情報過多で、逆に感性が削られてゆくような気もする。これからは自分にとって適切な情報量をコントロールしてゆきたい、と切に思う。それこそが、感受性をキープして、人生を豊かに生きる鍵なのでは、と考えている。