東村山音頭 | 30年目のバリクバヤン 

30年目のバリクバヤン 

「バリクバヤン」とは、フリィピンの言葉で「里帰り」の意味。
1978年にフリィピン人と結婚。今年2月にサラリーマンを卒業。
4月下旬から3週間の里帰りを予定しています。
出会い~結婚~現在までの38年間と里帰りの顛末を綴ります。

「東村山音頭」というと大半の方は、志村けんが全員集合で歌っていたのを想像すると思いますが、実際は正調「東村山音頭」があり、こちらは三橋美智也さんでレコード化されています。(裏面は、春日八郎の多摩湖小唄です)


私は、1960年~1988年(10歳~38歳)まで、東村山に住んでいました。小・中も地元の学校で、志村けんとは同学年で隣の中学でした。私は、東村山三中で彼は四中です。

もちろん、それは後年彼がTVで活躍するようになって知りました。


当時の東村山町→東村山市になったのを記念して1968年に農協が主体になって作られました。夏の盆踊りの定番として必ず「東京音頭」と「東村山音頭」が流れます。


正調東村山音頭の歌詞を1番のみ記します。


東村山 庭先ゃ多摩湖 ソレヤレソレ

狭山 茶どころ 人情(なさけ)にあつい


チョイト チョクラチョイト チョイト おいで

よかたら おいでよ お茶いれる


志村けんがTVで歌いだしたのが、1976年。

妻と結婚して暮らし始めたのが1978年ですから、私の妻も

「東村山音頭」は、正調も志村バージョンも両方知っています。どちらかというと、妻は賑やかな志村バージョンがお好みのようです。