テレビ あれこれ | 30年目のバリクバヤン 

30年目のバリクバヤン 

「バリクバヤン」とは、フリィピンの言葉で「里帰り」の意味。
1978年にフリィピン人と結婚。今年2月にサラリーマンを卒業。
4月下旬から3週間の里帰りを予定しています。
出会い~結婚~現在までの38年間と里帰りの顛末を綴ります。

今TVを購入するとしたら薄型TVが当たり前ですが、その前はブラウン管を使ったTVでした。


その昔は、白黒TVです。


日本では、昭和34年、今の天皇陛下が美智子様と結婚されたのを機に世の中に広まって行きました。


この頃のTV番組は、1日中放送されていた訳ではありません。6:00~9:30、11:30~15:00、17:00~23:00と時間を

区切って放送されていました。


ドラマは、アメリカからの輸入物が多く、当時子供だった私は、TVを持っている友達の家でよく見させてもらっていました。「名犬ラッシー」「ララミー牧場」などです。日本の物は、「月光仮面」「隠密剣士」チョット新しくなると「てなもんや三度笠」「番頭はんと丁稚どん」など。


その後、東京オリンピックを機にカラー放送が始まり、カラーTVが売り出されます。


私は、昭和43年4月から某電機メーカーでカラーTVのブラウン管製造に13年間従事していました。


入社後数日でマスコミに新製品として、その年の10月から

13インチのカラーTVの発売が発表されました。


その会社では、その4年前からアメリカのある会社のパテントを使ってクロマトロン方式でカラーTVを開発・発売しておりましたが、画面が暗く・色が不鮮明・価格が高いなどの理由で世間に普及するには至りませんでした。


社内では、密かに研究開発が進められ、1ガン3ビームが特徴のトリニトロン方式によるカラーTVが開発されました。


同時期に国内の他メーカーは、アメリカの開発したシャドーマスク方式のカラーTVを発売します。(松下・東芝・日立・ビクターなど) 


つづく