最近、ちょくちょく昔の元師匠のブログをソ~ッと覗きに行っていたりするのだが、その政治的発言の多さに少し意外な印象を持った。
自分の知る限り、当時の師匠にそうした話を好んでする人だというイメージがあまりなかったからだ。
プログを拝見する限り、ニュートラルな立ち位置からのイロニー溢れる政府批判や、歯に衣着せぬ世相斬りには、「さすが」と唸ることも度々。
文才があって、ただ人の良い、ちょっとエッチなだけのオジサンじゃなかったと改めて認識できて、不肖の弟子としてはこの上ない幸せだ。(今頃何言ってんだ、って感じだけれど)
もっとも、彼の人にしてみれば、「お前に師匠と呼ばれたくはない」と言われても仕方のない不義理をした自分。
十年も前、ひとまずのお許しをいただいてはいるが、今となっては冴えない中年男から初老の文人(失礼!)への、気持ち悪い片思いのようなもので、一人相撲の独り言には違いない。
とはいえ、少し触発されてみることにした。
で、例の「北」の暴挙。
我々からすると、単なる『ならず者国家』の、まさしく暴れん坊将軍による暴虐無人ぶりが発揮されたに過ぎないが、ZIP状態で指導部を賞賛するしか許されない(教育の下に生きる)人民にとっては、ブラインド状態で自分達の置かれた状況を知らぬまま、あるいは知っていても口に出せぬ不幸な境遇で生きざるを得ないのだから、甚だ迷惑な話でもある。
ニュース映像に見られるインタビューの受け答えなどを見ていると、比べれば、当時の日本とは経済的状況の差こそあれ、戦前・戦中の日本もきっとこんな空気に包まれていたのだろう、と容易に想像できる。
もちろん、だからといって北の行為が許されざるべきものだということは百も承知。
感情的にも戦略的にも、「日本も核武装を考慮に入れて・・・」「いっそ米・韓でピンポイント攻撃をしてしまえ」と思わなくもない。
ただ一方で、そんなつまらぬ応酬に付き合わなければならないこの世の中ならば、現実的ではないが、日本はいっそ国を挙げて鎖国か自害をしてしまったほうがよほどマシな気もする。
それが決して負けではないとも思ってしまう。
そんなアホ共の世界に付き合ってられるか、といった気持ちになる。
いち抜~けた、だ。
そもそも、北の金日成政権を誕生させたのは旧ソ連で、それと共に保護して来たのは中国。
逆に資本主義・自由主義の世界では、武器・資金支援をして来たアメリカが今ではそのタリバンに苦しめられているのと同時に、日本も敗戦国として資本主義・自由主義の名の下に未だアメリカに支配されているのは紛れもない事実だ。
いつの世も、大国の侵略主義に翻弄されて痛い目を見るのは、傀儡国家の国民。
世界には、共産主義の敗北も資本主義の勝利もない。
そこにあるのは、イズムの勝ち負けではなく、連綿と続く各国の指導者、そして国民、すなわち人間の敗北がただ続いているだけに他ならない。
これほど長きに渡ってそれに気づかない人類というものの愚かさに、暗澹たる気持ちを感じているのは自分だけだろうか。
それでも、諦めずにいれば、いつかバカげた争いのない世界が実現することはあるのだろうか。
北の脅威に対する対処の一片にもなりはしない、そんな思いだけが頭の中を占拠している。