自分を誤魔化しそうとする自分。自分が自分を誤魔化している。
他人を自分が誤魔化すこともあるが、他人が自分を誤魔化すこともある。だけど、他者との関係性においての誤魔化しは、隅に置いておこう。
少なくとも自分がそうした誤魔化しをしなければいいことだ。
結局誤魔化している自分のことには自分が気づくし、他者の誤魔化しにもおそらくは気づいている。
ということは、誤魔化してもそのことは気付かれているということだ。
とってもシンプルな話しで、誤魔化している自分に気づいている自分がいるという事実が、そこにはある。
素直に、その場で、生きた反応をできない自分。
できないのではなく、していないのだ。
自分を守っている。傷つくのが恐いから。
反応を伺って、返ってくることに素直に返せない自分。
この正体は何者か。一体、何をそんなにもキープしようとしているのか。
間違いなくキープしようとしているものがある。
破壊しようという意志がなく、本当のことを言って決まったことで壊れる関係性。それは壊れるべきして壊れる。
創造的な展開の前に起こる破壊は、創造的な展開を孕んでいる。
そうした希望のある破壊なのかどうか。もちろん当人はそのことに気づくことはできない。
渦中にある以上は、そこのジャッジをできるような状況にはいない。そういう立場にもいない。
何がその後起こるかは、誰にもわからないからだ。
だけど、そうした破壊の後の想像には、何物にも変えられない豊かさがある。
そうした豊かさを信じることができるのか、そもそもそんなものは幻想であるのか。
自分の中でそのことははっきりとしている。はっきりしているはずである。
感じていることに素直に、感じていることを尊重すること。
言い訳とか、誤魔化しをしようとする自分はどこからともなく出てくる。
だけど、感じていることにフォーカスを戻して、そのことについての解像度を上げていくこと。
その先にしか豊かな世界はない。
どこまでが取る本当で嘘なのか。そのことを吟味する自分。
冷静さや客観性をキープしていないと、ついつい陥る構造。
慌てずに今の状況を見つめ、その上で感じていたことなのか、感じていることなのか。
いつどこでのことか、一つ一つを紐解いていくこと。
すぐには答えを出せなくても、問いを持ち続けること。
このことを自問すること。そのことをキープして、取り組み続けること。
根気強く、自分に誰よりも正直であること。まずはそうではない自分の存在を認めること。弱さを認めること。
こうして感じ考えていることも、書き留めないとどこかに消えてしまう。
なかったことにしない。まずはそこからだ。
その事実から始めていくこと。