唐津城(ある日の風景・016) | bakuのブログ

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ようこそ! お立ち寄り頂き有難うございます。小生PN桑原縛逐を略してbakuと申します。旅と電車と道草をテーマに、俳句・短歌・散文なども織り交ぜて旅の雑感・心象などを綴ります。時々自作小説の部分掲載も…。更新は不定期になりますが、どうぞよろしくお願いします。

 

唐津城(2016.7月・夏旅より)

 

虹の松原を抜けて暫く車を走らせると、唐津城が見えてきた……。

 

 

駐車場から……。

 

 

唐津城の正面登り口です。石段は本丸広場まで231段あります。

 

天守台は有ったそうですが実在の証明がなく模擬天守とされ、慶長期様式の仮想で1966(昭和41年)に造られたそうです。

 

 

初代唐津藩主は寺沢広高で、秀吉の時代に友人安田作兵衛と国主に出世した方が10分の1の禄高で召し抱えるという約束を果たし、治水を行い新田開発や唐津焼など産業育成に尽力したところに関心が向かいます。

城内の展示には、唐津紙に関するものが多数ありました。

これも、農家の副業として広高の時代に始められ、後代に産業として育成されたそうです。領民に評判の良いお殿様だったんですね。

 

 

天守閣最上階からの眺めです。

唐津城のある満島山を中心に鶴翼の様に左右に砂浜の湾曲が続きます。

上手く撮れなかったのですが、別名舞鶴城と言われる所以と紹介されています。

右写真の海浜に連なる緑の帯が虹の松原です。

 

 

いたる所に大小の島々がありました。

関東だと東京湾や相模湾になるから、やはり普段に無い景色につい見とれてしまいます。

 

 

海浜に面した城郭の石垣も見学しました。

左写真、石垣の上の二の丸御殿跡に、早稲田佐賀中・高等学校がありました。

取って付けたようですが、大隈重信は江藤新平と共に佐賀人でしたね。

それで早稲田一貫校ありきなのですかね。

二人の他に佐賀の七賢人として他に、長崎・フェートン号事件を契機に、備えとして反射炉やアームストロング砲を自前した、佐賀藩主の鍋島直正が有名ですね。

 

唐津城。山歩き。帰りは門前商店で涼をとる…

 

…城歩き帰り目ざとく氷菓買い…

とても暑い日でした。商店が城の入口に有りました。

 行きはさほど気にも留めていなかったのに、汗をたっぷり掻いた後となると、確かあそこに有った筈と店を見つける目敏さ、

 いえいえ、そこにある有り難さは計り知れませんでした(笑)

 

…外は蝉アイスケースに人だかり…

外は蝉の鳴き声ばかりで、人など誰も居ないのに、お店の中は……。

前を歩いていたグループかな? なるほど! 皆さんアイスのケースに集まっておりました。

 どうやら僕も、それ目当てでお店に吸い込まれたみたいです。

 

 

…はた三本昼の酒屋は氷菓店…

お店のお勧めなのか、棒状のアイスキャンディーが売れていました。僕は普通にバニラモナカを買いました。すると、一瞬周りの空気が固まった!

それと、

店先に立てられた大傘(ビーチパラソル)三本。 “氷菓有ります” の幟となって、しっかり帰りのお客を誘っていましたね。

そうそう、早稲田佐賀中学・高校の門前でもあるし……。

 なるほど。下校時間や団体客で中が溢れた時、このビーチパラソルの下もきっと賑わう事でしょう。

 

 

もう少し車を走らせて、筑肥線西唐津駅に行きました。

 

 

福岡空港からの直通電車でしょうか。車庫に入るようです。ここ西唐津は車両基地のある終点駅でした。

 

 

では、今回はここまで。

お付き合い有難う御座いました。

 

 

 

 

 

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