不登校。学校に行けなくてもいい。でもその先は?それでもいかなくていい理由。 | アトピーぜんそく引きこもり…痛みがわかる藤嶋です。

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アトピー、ぜんそく、引きこもり。フルコンプリートしてきた僕があなたへ贈るメッセージです(^^)

 

約一年も書かなくてごめんなさい。
張り切って再開しますから、リラックスしていって下さい。

今日朝日デジタルの記事が
ヤフーニュースにアップされていて気になったので書いときます。

タイトルが
【「学校、行けなくてもいい」のその先 
不登校の「親の会」から見えた、追いつかない「現実」】
という記事。

少しずつ少しずつではあるけど、
以前よりも不登校に対して社会の理解が広がったと思います。
記事はその理解が広がった先に横たわっていた
ある問題について書かれていました。

学校?
行きたくないなら、行けないなら
行かなくてもいい。

でも、学校に行かない代わりにどこで何をするの?
この状況が終わって社会に出た時に社会に打ち解けられるの?

という感情の処理が難しいという事が
親御さんの目線から見た不安として存在するということ。

フリースクールやネットスクールのような
コミュニティ施設はあるものの、
その場から離れて社会に目を向けた時に
制服を着て登下校する学生を見かけると
羨ましいと思う時があるという親御さんのご意見もあった。

そりゃあそう。
素直な気持ちだと思います。

僕の親は仕事仕事でまともに家に居なかったし
貧乏だったから進学すら考えてなかったんじゃないかと今でも思うし、
そんな気持ちにはならなかったと思うけど、

中流意識のある親御さんなら
我が子が不登校になるなんて、現実がそうであっても
しっかりと理解するまでには時間が必要なはずですし
何かをきっかけに学校に行ってくれまいかと思うでしょう。

これまではそんな子に対して
何とか学校に行かせようという非常にわかりやすい意図があって
そこに向かって親御さんも学校側も尽力していました。

でも、不登校に対して理解が広まれば広まるほど、
無理して登校することはないという
これまでと全く真逆な方向に舵は切られたわけだね。

そうしたら、じゃあ学校に行かない時間は何すんのよ??
みたいな現実が露呈されたということなんだけど、
そこはいつの間にか不登校をビジネスにする事業が生まれて、
そこに頼る人もいて、助けられた人も大勢いたんでしょう。

でもね、
そんなフリースクールや施設などの現在の問題を不安に思うならまだしも
そこを経た先、将来に不安を感じたり心配するのはナンセンス。

それは、学校に通っている間に学校に対して、
学校を卒業した後が心配だと言っているのと一緒でしょ?

県立だって私立だって各学校に何かしらの特色があって、
生徒の将来への指導やアドバイスも得意不得意があるでしょう。

それはフリースクールやコミュニティみたいなところも一緒です。

何なら、不登校という状況を抱えた子に特化した施設なんだから
より将来への選択肢は限られるという現実があるかもしれない。

現実は逆ですよ。
義務教育という縛り付けられて答えはひとつという教育を受けていないから、
思考力はより広く柔軟になります。

当然将来の選択も、広く柔軟に考えられるはずなんです。

それでも我が子の将来が狭く浅いものになるような気がして不安になるとしたら
それは親が、周りにいる大人が不登校のその子を信じられないからじゃないでしょうか?

今なにか打ち込めることがあるなら、
それだけで幸せです。

何も無ければ無いでもいい。
何も無い時間が必要なんでしょう。

今を過ごした先にしか将来はありません。

どこに居て何をやっていても
今を全力で生きることができればそれで善しです。
その連続が人生になるんですから。

今の若い子たちが生きている現代は
より未来が見えにくいまま、もの凄いスピードで進んでいます。

僕は年が明けると数えで50歳になりますが
僕らが若い頃に過ごした時代とは全く異なるという認識が必要。

昨日、フィギュアスケートの全日本選手権が行われて
宇野昌磨さんが、練習中に足を捻挫しながら優勝しました。

コーチはじめ関係者は棄権を強く勧めたところ
彼は「絶対に出る」と言うことを聴かなかったそうです。

「大怪我に繋がったら大変」と棄権を勧める大人達に対して試合後彼は
「無理して長引いても選手生命には関わらないと思った」とコメントしています。

この感覚こそ、今の厳しい時代の流れに身を置く若者の決意です。
優勝と棄権では天と地の差。
この天と地の差を本当に理解していたのは誰か?

現代の若者の感覚を
僕は信じてみたいと思います。