不妊治療の軌跡①      の続きです

 

   2022年5~6月に妊活目的でレディースクリニックを受診

   その後、2022年10月から体外(主に顕微授精)を本格的に開始しました

   2025年2月に無事出産し、私の不妊治療(体外)もこれをもって終了です

  (元々40才までは頑張る、と夫婦で話し合っていた)

 

   その間、色々な事がありました

   初めての陽性判定、後期流産での我が子との別れ

   

   文章が読みにくい所がたくさんあるかと思いますが「こんな人もいるのか~」というような感覚で見て行ってくれたらと思います

 

 小さな赤ちゃんの写真を撮った後

 1~2時間ほどで葬儀屋さんが棺を用意して戻って来てくれたので

 その小さな私たちの子を、棺に納めた

 

 真夏だったのもあって、自宅に一緒に帰ることはせず

 葬儀屋さんの方で対応してもらうことにした

 

 小さな我が子は木の棺に入れられた状態で、葬儀屋さんへと預けられていった

 私は、我が子と別れるその時に初めて泣いたのだった

 

 

 そのまま私は1泊して、翌日退院する話になり

 病室へ来られない旦那とはその場で別れ、私は独りで病室に戻った

 

 独りでポツンとしていると、看護師さんが母乳止めの内服薬を持って病室に来たのでその薬を内服した

 翌日の退院の話を聞き、午前中の内診の後に退院になると説明された

 

 それまでずっと、張り止めの点滴をしながらベッド上安静にしていて

 トイレ以外起き上がることもせずにずっと寝ていて周りを見ることもなかったから

 その時に初めて病室内を見た

 

 もう横になっている必要がないので座って過ごし

 行動の制限がないので部屋の中を歩き回ったりなどした

 

 産まれる直前まで続いていた悪阻のようなモヤモヤは、すっかりなくなり

 我が子と共に私の体からさっぱりいなくなっていた

 

 翌日、午前中に内診があった

 昨日の出来事は本当は現実ではなくて、もしかしたらまだお腹の中に赤ちゃんがいるのではとそんな事ばかり考えていたけれど

 お腹の中でチョコチョコと動いていたあの姿は一切なく

 やはりあの出来事は現実だったんだと思った

 

 

 ちょうどお盆に被っていたのもあって、火葬は1週間くらい後になり

 夫は、忌引きのため数日家にいた

 

 火葬までの間、1日中悲しみ続けているかと言えばそうでもなく

 色々なことがあった

 

 職場の上司に会い、現状の報告

 私の喪服の準備(産後で今までのは着られない)

 火葬時に棺に入れる物品の用意(赤ちゃん用のものなど)

 位牌を用意するための相談

 母乳止めを内服したがガチガチ&しこりになる両胸

 

 たぶん他にもやっていたと思うけれど、書き出してみるとこれくらいはあった

 夫婦で無気力になっていたのもあって、1日に1~2つの用事を済ませるので精いっぱいだった

   

 

 火葬の日、義母と義姉が来てくれた

 私は、施主として葬儀屋さんや火葬場の方とやり取りしている夫の姿を見ながら

 赤ちゃんを抱っこする父親の姿を先に見せることができず、義母と義姉に申し訳ない気持ちだった

  

 火葬の後、少しだけ残った我が子のお骨を拾い、骨壺に納め

 はじめて我が子を家に連れて帰った

 

 その後、納骨や職場の上司とのやり取りが色々とあった

 忘れかけていることもあるけれど

 

 納骨は月末に行う事になった

 私の姿があまりにも悲壮感が酷かったみたいで、ご住職にとても心配された

 炎天下の中、ずっと気にかけてくれていたのだった

 

 上司とのやり取りでは、このまま退職するか復職をするかの選択をすることになった

 緊急入院(入院期間不明)→後期流産(出産扱い)→予定にない産休(8週)

 となったため ※元々の産休入りは入院日の約3か月後からだった

 毎日私1人が欠けた状態での業務になっていたのだった

 (ちょうどその頃私の件とは別に、他の職員が精神的不調を訴えて休みがちになっていたみたいで実質2人欠けていた)

 

 復職するなら、産休として8週休みその後仕事復帰

 退職であれば、区切りの良い月末での退職を。という話があった

 

 ずっとこのまま家にいてもいいかな~という思いと

 結局、家で1人でいても何もすることがないから復職して少しでも家の外にいる時間を作った方がいいかな、という思いとで悩み

 復職することにしたのだった

  

 ただ、かなり悩んだ

 職場に戻ったとて、私に対して皆がどのように接してくるか分からなかったから

 それが一番不安だった

 

 入院はどうだったとか、赤ちゃんはどうだったとか、あれやこれやと質問攻めに遭うのか

 腫れ物を触るような感じなのか

 

 職場に戻るのが不安で仕方なかったけど

 仕事に戻る日は刻々と近づいた

 

 

 

下差し①~⑦です

 

卵子凍結しようかどうしようか悩んでました。当時、、、

 

初めて通院し出した頃の話です(地元)。AMHが低すぎて50代と言われたよ…えーん

 
鍼灸通ってみたり、都内(KLC)行ってみたりしはじめた話です
 
 

22週未満は”流産”のため、延命治療は何もできない

 

たった1週間なのに、永遠に感じた日々
 
 
 
 
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