不妊治療の軌跡①     の続きです

 

   2022年5~6月に妊活目的でレディースクリニックを受診

   その後、2022年10月から体外(主に顕微授精)を本格的に開始しました

   2025年2月に無事出産し、私の不妊治療(体外)もこれをもって終了です

  (元々40才までは頑張る、と夫婦で話し合っていた)

 

   その間、色々な事がありました

   初めての陽性判定、後期流産での我が子との別れ

   

   文章が読みにくい所がたくさんあるかと思いますが「こんな人もいるのか~」というような感覚で見て行ってくれたらと思います

 

 入院が決まってから安静の指示があり、移動は車いす、ベッドに横になった後はトイレ以外はずっと寝たままになった

 

 採血をして、感染の兆候がないか調べたところ、感染の可能性が高いということで抗生剤の点滴を1日2回と張り止めの点滴を24時間が開始された

 張り止めの点滴(リトドリン)を開始してすぐ、副作用の動悸と手足の震えが起こりだした。胎児心拍を確認したりと一通り検査をしてみたがお腹の子は問題なく、私も発熱などの症状が一切ない状態だったので自分では本当に感染が起こっているのかどうか、すごく不思議に感じていた

 

 入院中は1日中、スマホで流産の事について調べたり個室だったのもあって旦那が休みの日にはずっと電話で話をしていた

 当時、家族であっても面会はできないと言われていたため、直接会って話をすることは入院中はできなかった

 

 入院初日、19wになったばかりで少しずつお腹の子の胎動が分かるようになってきた頃でもあったけれど、旦那にはお腹の子が動いているところを実際に触ってもらうことができないまま…

 1日1日がすごく長く感じる入院の日々で

 旦那と電話で話しているときは毎回、お腹の子が凄く元気に動く様子があって、なぜここにこうして入院しなければいけないのかと辛い思いでいっぱいだった

 

 毎日、朝と夜に胎児心拍を計ってもらっていたけれど、いつも元気な心臓の音を聞かせてくれていて、その時の心拍音を録音させてもらっていた

 

 入院して、張り止めの点滴(リトドリン)を24時間継続で行っているからか、お腹のパツパツしたような張りは起こらなくなったものの

 入院初日からの出血は止まらないままだった

 

 ずっと出血はあるけれど、張りは落ち着いてきているし様子を見ましょうと、そのまま安静指示の状態での入院生活になった

 

 後に旦那に聞いたけれど、私が入院中に旦那は一人家の中で『お腹の子も、妻も、2人ともいなくなってしまうのではないか…』と気が気ではなかったそう

 私は「私がいなくなるなんて、大げさな」と言ったけれど

 入院後は直接会えていない、最後に会ったのは明け方に酷い痛みで苦しんでいた私、感染の兆候があるからそれに対する点滴が開始されている…

 もし、その感染が原因で私もいなくなってしまったら…と事あるごとに考えていたらしい

 

 入院してから約1週間

 19週6日の明け方に、また10分毎に起こる痛みが出てきた。

 このまま痛みが強くなり、お腹から出てきてしまうと個室では対応ができないからと、一旦分娩台の上で痛みが落ち着くかどうか様子を見ることになった。

 

 

下差し⑦以降書きました

卵子凍結しようかどうしようか悩んでました。当時、、、

 

初めて通院し出した頃の話です(地元)。AMHが低すぎて50代と言われたよ…えーん

 
鍼灸通ってみたり、都内(KLC)行ってみたりしはじめた話です