未完成空母 | バカ日記第5番「四方山山人録」

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 最後に紹介する信濃も事実上は「未完成」であったが、いちおう自力航行も可能で書類上は竣工したことになっていた。本項は、戦局悪化で正式に建造中止となった空母4隻を紹介する。

 笠置

 雲龍型4番艦笠置は、写真を見ても分かる通り「ほぼ完成」していた。進捗率は84%であった。ただ、自力航行は不可能だった。皇紀2603(S18/43)年4/14長崎で起工。機関は天城と同じく改鈴谷型(伊吹型)重巡のものを流用した。竣工は皇05(S20/45)年6月の予定だったが、同年4/1で建造中止命令が出た。建造中止の後佐世保へ曳航され、そこで終戦を迎えた。戦後昭和21年(1946)年9/1解体開始。S22(47)年12/31解体完了した。

 

 

 戦後に米軍が撮影した笠置。甲板の上にやぐらのようなものがあるが、曳航の際の指揮所だそうである。

 


 阿蘇

 雲龍型5番艦阿蘇は、皇03(S18/43)年6/8呉で起工、進捗率60%、船体完成し皇04(S19/44)年11/1に進水したが、11/9これから上部構造の偽装着手というところで建造中止命令。機関は葛城と同じく重巡用も間に合わず駆逐艦用主機を2機搭載し、そのため設計より速度が落ちた。皇05(S20/45)年7/20の終戦間際、陸軍特攻用新型機首搭載爆弾「桜弾」他特攻用爆弾の実験標的艦に使用され、威力は限定的ながら浸水し着底。そのまま終戦。戦後、浮揚に成功しS22(47)年4/26解体完了した。

 

 

 浮揚後に撮影されたもの。

 


 生駒

 雲龍型6番艦生駒は、皇03(S18/43)年7/5神戸で起工、進捗率60%、船体完成し進水直前の04(S19/44)年11/9阿蘇と同日付で建造中止命令。その後、11/17に浸水し、そのまま神戸沖でしばし放置された。生駒は阿蘇までと異なり、搭載機が最初から烈風、流星、彩雲の新型機想定でエレベータ等各部のサイズが一回り大きく計画された。また、爆弾や魚雷の移動装置(機器)も新設計だったという。機関は改鈴谷型(伊吹型)重巡と同じだった(流用ではなく新造の模様)。皇05(S20/45)年4月上旬に小豆島へ疎開。そこで終戦。S22(47)年3/10解体完了した。

 

 

 戦後に撮影。上部構造がまだ無く、煙突がむき出しになっているのが分かる。

 


 伊吹

 真珠湾直前、改鈴谷型重巡2隻の建造が計画され、1番艦は伊吹と命名された。従って伊吹型ともいう。皇紀02(昭和17/1942)年4/24呉で起工。しかしミッドウェーでの主力空母4隻喪失によりほかの艦艇の空母改装や大鳳、雲龍型建造が優先され工事中止。進水したまま係留放置。海軍では伊吹の船体を高速給油艦、水上機母艦、高速輸送船などに使えないかと種々検討したが、けっきょく空母不足を補うために改装空母とすることにした。皇03(S18/43)年11/22佐世保で改装工事開始。

 しかし重巡としてかなり完成してからの改装だったので、主砲塔の取り外しから行うなど、かなり難工事だった。また佐世保では新型軽巡阿賀野型3番艦矢矧や4番艦酒匂の建造、ほか艦船修理などが優先され工事は遅々として進まず、皇05(S20/45)年になってもまだ工事中だった。3/16進捗率80%でついに建造中止。終戦まで放置された。S22(47)年8/1解体完了した。

 なお本艦は重巡から空母へ改装されるさい主機(ボイラー及びタービン)を半分にし、建造予定だった2番艦の分と合わせて余剰となったので空母天城及び笠置へ流用された。

 

 
 戦後、解体のために入渠した伊吹。

 

  

 解体中の伊吹。