デビュー前の吉田聡先生① | STATIONS OF THE 暮らす。

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しがない新中年の何も起こらない日々

吉田聡先生は漫画家になるまでの経緯からして数奇だ。

方々で語られているプロフィール記事から来歴を要約してみる。

 

まず吉田聡といえば湘南!という印象だが、出身は福岡で、3歳の時から湘南地域へ移り住んでいる。たまに出る方言ギャグや『Good-ばい!』『走れ!!天馬』あたりに福岡方面の影響が窺える。

 

高校卒業後、「何者かになりたくて」入った東京デザイナー学院商業デザイン科は面倒くさくなり半年程で中退。スキー事故で全治6か月の骨折入院中に漠然と漫画家になることを決意。元手がかからないのが大きな理由。

本屋で手塚治虫、森田拳次の著した漫画入門書を購入したがワク線の引き方ではなく精神論が書いてあったという笑

(石森先生の本はよくきくけど森田先生の本挙げるヒトは珍しい)

 

 アイスクリーム店でアルバイト中、常連客からの情報を辿って押しかけた地元の漫画家ムッシュー・田中に師事、チーフアシスタントを務める。おそらく1981年頃と思われる。

(これもスゴい出会いだと思う。まさに運命的)

 

ムッシュー先生の作品にもクレジット有。


作品内にも登場。


散々な目にあってますが…




↑後に自伝風味漫画『七月の骨』で車の事故が描かれており、関連が気になるところ(ないよ)。

 

2018年の浜岡賢次先生との誌上対談で、ムッシュー・田中(田中善之助)の名前が出てきた時はそれまで知らなかったので衝撃だった。

プリンス田中名義の作品(エロ劇画)にも参加してるのか確かめたい…