最高のインパクト | 輝喜会のブログ

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本当の強さとは、自らの内なる輝喜を取り戻し、喜びも試練も分け隔てなく、全てを分かち合うスペースに自らを解き放って行ける自由さを取り戻す事なのです。

毎日初心者のミットを持っていると

本当に面白いです。


初心者でも上級者に引けを取らない様なキックやパンチのインパクトを出せる時があるからです。


その時の突き蹴りは、ある意味で常に意図的に良いインパクトを出せる上級者より質の高い物でもあります。


初心者はその突き蹴りを「起こせ」ませんが、「起きる」確率は上級者より格段に高くなります。


起きた時、打った方も、受けた方も一瞬顔を見合わせて「あっ!」っとなって、「ニコッ」となります。


それをたまたまとか偶然とかマインド的に解釈すると、次の機会は遠ざかります(笑)


意味わかりますかね??


もちろん初心者には技術が何にもありませんので積み上げた物ではありません。


なのでそれが起こるようにこちらがそのフィールドを整えて上げる必要があります。


でもそれも引き算です。


そう考えると、特別な技術や経験がなくても、重力や遠心力や梃子の原理などの自然の理を味方につけて「よけー」な事をしないで、ただ、「フツー」にやれば強い突き蹴りが出せると言えますね!


でも、余計なことをしないこと、それが出来無いんです(^_^;)


だから、ミットを持っている時にしていることも何も特別な事はしていなくて、


何とかミットに思いっきり威力が出る突き蹴りをしようと自意識で頑張ろうとする所を、こちらが逆に積み減らす様にガイドしているだけとも言えます。


上級者はその時のフィーリングを意図的に、高い確率で起こし続ける為に、狙って練って反復して積み上げて、ありとあらゆる努力をします。


そして、「起きた」フィーリングに限り無く迫って行こうとしますが、


結局、最後には似て非なるものが出来上がります。


勿論それが駄目なわけではありません。

そのようにして自意識で何時でも意図的に出せるようになる技は凄いです。


でもそれは、その人の最高の技ではありません。


それは、自然体を追い求めたり、ベジタリアンや田舎暮らしを追い求めて究極まで拘って、結局体を壊したり、脱サラして家族を引き連れて、意を決した移住先で地元民とトラブったりする不自然なナチュラリストになるようなものなのです。


よかれと思って追い求めてるうちに、元々追い求めていた自然さを不自然に手にしようとするとそれは起こり始めます。


ただし、本当にやりきった人は話が違ってきます。


例えば、たける選手は良くSNSでミット打ちの動画を上げていますが、凄まじい追い込み方を毎回していますよね。


あれって、ただスタミナを付けるとか、精神的に追い込むとか、勿論それもありますけれど、それだけでは無いでしょう。


あれは、わかる人にはわかるのですが、自我の殻を突き破って、真なる力を出す為にやっていると思います。


魂の噴火はエンドレスで怒涛のように湧き出てきますが、そこには自分で自分をコントロール出来ているうちには触れられません。


なので、そのフィールドに入って行く為に、めちゃくちゃな強度で追い込んで行くのですけれど、アレがパートナーに乗せられずに自分から出来る人って滅多にいません^^;


勿論その手前では、身体的なコントロールを失ってフォームやインパクトが崩れたりとデメリットもあります。


そこだけ切り取って非科学的だとか、古いと言ってもそもそも観ている所が違います。


そして、それを超えた時、自意識で起こせない

余計なものが削ぎ落ちた「それ」を起こす仕組みに手が掛かります。


素晴らしいですね。


そこまで行くと、歩くより、箸を持つよりハイキックを蹴ったほうがラクです♪みたいな事になります(笑)


なので、


そこまでやれない初心者は偶発的な一瞥体験みたいなナイスキックを「意図的」に出し続ける事は出来ません。


じゃあどうするか?


そういう意味もあって最後に宣伝文句みたいになっちゃいますが、鏡となるミット持ちが必要なんです(笑)


ミット持ちの一番難しくも大事な役目は、

技術的に大切な事は大切にしながらも、


パンチやキックをしている人と共に楽しみ、

(時には本人以上に楽しみ)


本人がスルーしてしまうナイスな瞬間を正に鏡のように取りこぼさずに反応し続け、


「余計な」事を気にせずに、まっさらな気持ちを忘れず「自然体」で「フツー」に仕事をする事なのです♪