人生に目標を持つ人は、その目標を諦めない限り、鬱にな
ることなどはないでしょう。そして現代人の多くは、人生
に目標を持たない人も多いです。
たとえば、クライミングをやっている人が、どうしても山
の頂に立ちたいと思っている限り、そこで落ち込んだり鬱
になったりすることなどないはずです。
アスリートたちもまた、目標を見失わない限り、そのよう
になることはないはずです。
現代は目標が見つけにくいし、目標の持ち方を、家で、ま
た学校で習うこともありません。
それは画一教育のせいでもあります。
金太郎飴的な人材、つまりどこかの組織に属して、そこで
全体を回す歯車になるような人材を作ることを目的とした、
そういう教育のしかたでこれまでやって来ていたのではな
いかという気がします。
これはという生徒に帝王学も教えない、教えられない、そ
れが日本の教育の実態です。リーダー不在の国になるのも
致し方ないという風に私は思います。
まず総理大臣が尊敬されないような日本の社会です。
官僚も尊敬されない、学校の先生も尊敬されない。
聖職(者)という言葉も無くなった日本の社会の現状があ
ります。これで一体どうやって教育というものをするので
しょう、出来るわけがないと思います。
結局、こころがあり、知恵があるものは、他者に頼らず、
これはと思うことを、隗より始めよの精神でやって行くし
かない。
しかし、そういう精神を持つ者たちは多くはない。
ほとんどの人が、人から後ろ指を指されたくないというこ
とで、周囲をキョロキョロ伺いながら、自分の立ち位置を
決めている現状があります。
誰かが範を示さないといけない。子供たちには見本が必要
です。自分のお父さんのようになりたい、自分のお母さん
のようになりたい。担任の先生のようになりたい。
子どもたちは、家庭教育も含めた現代教育の犠牲者だと言
ってもよいと私は思います。
今日は強く言いすぎました。すみません。