この句、中句の読み方に悩みます。「ほどいてはるひ」とも「といてしゅんじつ」とも読めるのです。ただ、「纜を解く」には船出、出帆の意味があり、その場合には「とく」と読むのが普通です。この句でも単に纜を解いたということではなく、舟を漕ぎ進めた(船を離岸させた)という意味でしょうから、「といてしゅんじつ」と読むのが穏当だろうと思います。そこで「春日」なのですが、春の太陽の意味と春の一日の意味があります。うららかな春の日差しであり、のどかな春の一日でもあるのです。岸を離れた舟(船)の上なら、麗らかでも長閑でもその両方でも良さそうです。そして「捉へる」は、これらを自分のものにした、という意味でしょう。普通には一句、小閑を得ての感懐なのですが、作者のことを思うと、悲しいことですが、小康を得てとも読めてしまえます。

季語は「遍路」で春です。四国の札所八十八ヶ所の霊場巡拝なのですが、白衣・笈摺(おいずり)・笠・杖という姿で巡り歩きます。「よわく」や「もたつく」は本来なら負の表現なのですが、ここでは遍路たちを庇っているかのニュアンスでしょう。やわらかい風であり、ゆったりとした雲の動きなのですが、遍路たちを励ましているようにも読めるのです。と同時に、どことなく当時の作者自身の足腰の弱まりともたつきとを踏まえ、自身の不甲斐なさを暗喩していそうでもあります。それでも、遍路たちを「よわく」「もたつく」と捉えている訳ではありませんから、斜に構えてはいますけれど、自身への励ましであったのかも知れません。あのような遍路であらねばならぬ、と。

「巣箱」も「古巣」も春の季語なのですが、ここは「巣箱」ですね。「かけなほす」ですから、多少の修理を施して、架け直したのでしょう。問題は「こゑ」です。誰の声だったのでしょうか。普通には巣箱を架けている人たちの声なのですが、囀り、鳥の声、だったのかも知れません。断定はできません。作者、瑪論さんはこの「こゑ」の主を限定させない表現を選択していることになります。ならば読み手は、この声の主を自由に選択することが出来ます。この曖昧性を詩や俳句では「意味の多義性」として大事にします。詩にしろ俳句にしろ、その本質に、意味内容を正確に伝えることを目的としていない部分があり、初学の頃の私などは、先輩から、一番に言いたいことは隠せ、などと言われてしまって困惑したことがありました。


そこでこの「こゑ」なのですが、私は「春のこゑ」と読むことにしました。「こゑ」と平仮名に開いていることからしても、明確明瞭なものではなく、「こゑ」とは気配、日差しや風やその他もろもろのあたりの気配、と読みたいと思ったのです。そして「巣箱」も、自身の心の中の古びてしまった巣箱と読んでみました。

季語は「鶯」で春です。私にとっての鶯は声の鳥、ホーホケキョの鳥で、実はいまだにその姿を確認したことがありません。杜鵑(ほととぎす)なら、啼きながら飛んでいるその姿を何度となく見ているのに、鶯はダメです。鶯の鳴き声だらけの横須賀の猿島にも行ったのですが、姿の方はダメでした。野鳥観察の人に笑われちゃいそうですけれど、ダメなんです。さて掲句です。この句の「うぐひす」も鳴き声でしょう。鶯に鳴かれると、春だなあ、と感じるのは、普通なのですけれど、その時の吹いている風にも春を感じたのでしょう。流れも水の温む頃、風にも春らしい穏やかさを感じ、これを「ゆるんで」と表現したのだと思います。当然ですが、この「ゆるんで」には、冬を乗り越えた嬉しさが込められていると思います。

颯爽と鬣(たてがみ)を風に靡(なび)かせている馬の有り様を、一句は「風を脱ぎたる」と捉えたことになります。そこで問題となるのは季語の「春の馬」です。ただの馬ではないのです。季語「若駒」の傍題ですから、馬の交尾期の春、その若い馬と考えねばなりません。蛇足ですけれど、馬の受胎期間は320日から380日、平均すると340日前後だそうで、繁殖牝馬の場合、産んだらすぐに交尾で、要するにほとんど一年中お腹に仔を宿していることになるのだそうな。ま、仔馬は人の子とは比べものにならないほど手がかからない、らしいのですけれど。そこで一句なのですが、この馬、出産を終え、仔馬と共に居て、鬣を風に靡かせて立つ牝馬、ではないでしょうか。

少し個人的なことを最初に書きます。私は俳句を常に無記名のものとして、つまり、作者名から来る読みを否定する立場に於いて俳句について考えてきました。このことから、私は作家論を書くことを自分自身に禁じ、また、句集評なるものも拒んできました。一句一句を単なる無記名のアンソロジー・ピースとしてしか読まないように努力をしてきたのです。言い換えれば、作者の境涯に基づいて句を読むことを拒否してきたのです。そんな訳ですから、瑪論さんの俳句を読むに際しても、最初はこれに徹していた筈でした。しかし、おそらくはお気付きの方もいらっしゃるとは思うのですが、いつの頃からか、私にはこれが出来なくなってしまいました。
 

さて、掲句です。季語は「春」なのですが、冬の「障子」が絡んでいます。これは季の移り、行く冬の中の春であり、冬の終わりであり、春の訪れであり、春の始まりです。ここでは一句の動詞の主語の移動も考えるべきでしょう。障子を「開け」たのは発話者ですが、「ゆるりと忍び込」んだのは「春」です。発話者は「春」の気配を感じて障子を開けたのですが、それに「春」は応えたのです。「ゆるりと」ですから、障子を開けた途端に「春」だったのではありません。ここまで考えれば、もう一つの可能性を読み取るのが穏当でしょう。それは「開け」の主語もまた「春」だったのではないか、という読みです。動作としては確かに発話者が障子を開けたのですが、「春」が発話者に「開けさせた」のだ、と。散文的に表現すれば、春が障子を開け部屋にゆるりと忍び込んで来た、なのです。一句の読みは、こちら、という気が今はします。
 

普通ならばここで読みを閉じてしまうのですが、個人的には「忍び込む」に引っ掛かるものがあります。一句、句意としては肯定的な内容なのですが、この言葉の故に素直には肯定と言い難いのです。「忍び込む」、どことなく招かれざる客の雰囲気が漂っているように思えてならないのです。瑪論さんは、田中裕明の句集『夜の客人』のことを経験していた筈ですので、裕明が「夜の客人」と対峙していたことも知っていたと思えます。その上で思うのは、忍び込んできたのは、春の夜の客人(まろうど)ではなかったのか、と。
 

追記/田中 裕明(1959年10月11日 - 2004年12月30日)の『夜の客人』は、入院生活の中で詠まれ、死との戦いの中で編まれました。人々にこの句集が届いたのと時を同じくして、人々に彼の訃報が届きました。また、「客人」は「稀人」であり、「神」を意味していたとも伝えられています。

   風を脱ぐ
 

障子開け春がゆるりと忍び込む
 

さつさうと風を脱ぎたる春の馬
 

うぐひすに風のゆるんできたりけり
 

こゑのして古き巣箱をかけなほす
 

風よわく雲のもたつく遍路かな
 

纜を解いて春日捉へをり
 

山河の蒼くて鮎の上りたる

季語は「桑解く」で、仲春です。養蚕農家の桑畑の桑、冬の間は風雪害対策として枝を括って窄(すぼ)めてあったものを解くことです。解かれた桑の枝がのびのびとして張っている姿は、そして日差しを浴びている姿は、まだ葉は無いにしても、本来ならば春の喜びを感じさせるものなのです。ですが、掲句、その「騒ぎたつ」にはこれとは違った胸騒ぎのようなものが込められている気がします。桑を解いた時の周囲の風の有り様、それが「騒ぎたつ」なのですから、ここには春のよろこびは無い、と思えてならないのです。

季語は「野遊び」で晩春、春の野に出てのピクニック、春光の中の野に遊ぶことです。
 

さて、一句なのですが、「はづれ」をどのように読むか、ということになります。「はづれ」は外れ、ある一定の範囲から少し外へ出たところを意味します。そこでこの「一定の範囲」なのですが、野遊びの監督者の目の届く範囲、要するに親の目の届く範囲、親の保護下、だと思います。野遊びの最中、ここから先は親の目が届かない、という境界に立ってしまったときのこどもの胸中、この一線を越えたら誰も助けには来てくれない、なのでしょう。冒険とはそこから始まるのですが、こどもが大人になる為には超えねばならない一線でもあります。
 

と、以上は一般的な読みです。しかし、作者が瑪論さんであることを思うと、この「野遊び」とは「この世」のことでしょう。そして今の瑪論さんは、「はづれ」の向こうを旅している筈です。誰しもがいつかは行かねばならない向こう側なのですけれど。

季語は「甲比丹渡る」で、季語「阿蘭陀渡る」の傍題です。江戸時代、春、長崎の出島のオランダ商館長(甲比丹/カピタン)が江戸に参府し、将軍に謁見したことを踏まえます。人々の目にはとても珍しい行事、見ものでしたから、芭蕉もこれを句にはしたようですが、この季語、物珍しさを除くと何が残るのか、私などには解りません。現代俳句でも、坪内稔典に
  阿蘭陀が灘を渡るか雲もなし
がありますけれど、本当にどうなのでしょうか。