季語は「鳥曇/とりぐもり」で春です。日本で越冬した鳥たちが北へと帰る頃の曇り空です。季としては晩春の「花曇」よりは少し前、仲春ということになっていますが、然程の差はないように思います。
「記憶」と「記録」、なにかと食い違ったりするのですが、どうなのでしょうか。食い違っては困ることの為に記録は残すのですが、生きていく上では、大事なのは記憶の方という気がしないでもありません。渡辺鮎太さんに
鼬見しこと美しく語りをり
という句があるのですけれど、「記憶」を美しく語ることは出来ても、「記録」は記録でしかないような気がします。それと一句では、「うすれゆく」は「記憶」だけを形容しているだけのようにも読めるのですが、「記録」もまた、薄れゆくような気がします。というよりも、「記録」は紛失したり消去されたりすれば、薄れるどころか、無くなってしまいますね。
それはそれとして、この季語からすると、瑪論さん、誰かに語りかけているような気がしないでもありません。私のこと、その記憶も記録も、いつかはうすれ、失われ、ただこの曇り空の向こうに消えてしまった何ものかであるような、そんなことになってしまうのだろうなあ、と。