売文の徒とも獺魚を祭るとも 瑪論
 

村上瑪論/『銀化季語別作品集』より

 

一昨日は村上瑪論さんの七回忌であった。
 

一句、八五五にも読めるが、私は「獺」を「をそ」とは読まず「かはうそ」と読み八七五に読んでいる。「売文の徒とも」の後で一度は大きく切りたいからだ。一句は「とも」の同語反復にも取れるが、少し違うと思う。売文の徒とも言われてしまうが、それが獺が魚を祀っているかのごとくに思われようとも、という意味だと私は思う。「売文の徒」=「獺魚を祭る」とは思いたくないのだ。一句、強い反語性を私は感じるのだが、それを何処に読み取るか。最初、「売文の徒」と言われてしまうことへの反発と思っていたのだが、この並列の仕方は後半に強意があると思えてならないのだ。自分は獺ではないし祀ってもいない、ではないのか、と。 

 

※ 以上は私の個人的なブログへの本日の書き込みですが、ここにも転載をしておきます。それにしても、あれから六年も経ってしまいました。私の瑪論俳句の読みも随分と変わってしまった気もします。先ほど読み返してみて、こちらでの掲出句の解釈は些かおとなしいなあ、と思ってしまいました。瑪論さん、どうしてるのかな? もう私のことなんて忘れてしまったかなあ・・・。

ここは村上瑪論進氏のサイトです。書き込みをしてきたのは梅田津ですし、文責も梅田津にあるのですが、今後はおそらく、梅田津が此処に書き込みをすることは無いと思います。それでも、ときどきは覗きに来るだろうと思います。瑪論さんへの思いはありますし、此処への愛着もあります。それでも、此処は梅田津の場所ではありません。以前、コメントをくださった方にはまことに申し訳のないことではありますが、どうぞお許しください。

 

それでも、梅田津のその後にご用のある方は、

  『二百字詰原稿用紙』

の方へお越しください。

 

ありがとうございました。

皆様のご健勝を心よりお祈り申し上げます。

無事に、最後の一句にまで辿り着きました。2019年5月20日にこのブログを開設し、ほぼ四年、随分と掛かってしまいました。それにしても、お付き合いくださった方々には心より御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 

瑪論さん、ありがとね。
 

 

■ 個人的な追記です。
瑪論さんが介護を受けるようになって以後、彼の俳句を句会や俳誌に投句する補助をおそらくは複数の方が行っていたのではないかと思われる節があります。身体介護のみならず、このような補助、それは結果として、そのお陰で私達は瑪論さんの俳句を、彼が俳句を作ることが出来なくなってしまう日までの記録として読むことが出来ていることに、本当に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

季語は「麦の秋」で初夏、麦の収穫の季の時候の季語です。
 

切字は句末、季語に拠る体言止めです。中句末の「ゐ」は「短夜のレム睡眠のはづれにゐ」の「ゐ」と同様に瑪論さんには珍しい「ゐる/居る」の使い方なのですが、こちらは連用中止法です。「花は咲き、鳥は鳴き、風は心地よく吹き、云々」の「咲き・鳴き・吹き」はすべてが動詞による連用中止法で、文を中止し、次の文節へと対等の関係で繋ぐ働きをします。個人的には堀田善衞の文章の読点の直前に「ゐ」がよく使われていたような記憶があり、俳句では「居る」の連用中止法としての「ゐ」が一句の中の軽い切れとして使われていることが多いという認識があります。ただし、俳句の「ゐる」は基本的には古語ですから、止まって動かずにじっとしているの意となります。それに対する例外的な用法が、動詞の連用形、または助詞の「て」に接続する場合で(例えば「走りゐる」「走りてゐ」です)、動作の継続や、状態・結果の存続を表します。掲句の「裏返つてゐ」がまさにこの場合で、裏返った状態の存続を意味します。そこで一句の前半部分は、看板が裏返ったままに捨て置かれている、ということとなり、これに「麦の秋」という季語が取り合わされていることになります。
 

ここからは個人的な読みになりますが、初夏の日差しの中、麦秋という収穫の季、全てが明るさに燦いている時だというのに、この一枚の看板は裏返されていて、そのままに捨て置かれていて、まるで今の私の有り様とも言えるなあ、と。そう、誰もこの看板を表に返そうとはしないのだよなあ、と。愚痴というよりも諦観、という気がしてしまいます。

季語は「蛇の衣」で脱皮した蛇の抜け殻で夏です。蛇は脱皮する時、身体の何処かを何かに引っ掛けて脱ぐのですが、その蛇の蛻(もぬけ)を蛇衣、蛇の衣(きぬ)と言います。2メートルにもなる蛇の蛻が引っ掛けられた何かで風に吹かれている様は、ちょっとした見ものです。一句はそんな蛻を詠んでいます。薄茶色に透けた鱗の文様の帯のように、それが長々と風に吹かれているのです。「容」は「かたち」とも読めますが、ここは「なり」でしょう。意味は形・態ですが、この句では接尾語の「なり」の「風なり」のニュアンス、それにふさわしい・それに即応相応しての意味合いを加味していそうです。そして「風」の繰り返し、それも助詞を変えて、です。「風に」では脇役だった風が、「風の」では主役です。要するに一句は「衣」を詠んでいるのではなく、「風」を詠んでいることになります。

季語は「網戸」で夏です。私の古い記憶の網戸の網は青とか緑とかの色なのですが、現在の網戸の網は灰色と黒とが主流でそれに白が少しのようです。私の記憶に誤りがあるのか、網戸の網の進化の結果なのか、調べたのですが解りませんでした。閑話休題。この句の「黎明」ですが、夜明け、明け方の意味でしょう。ただ、この句の「つなぐ」のニュアンスからすると、新しい時代とか文化とかの意味での「黎明」を掛けているのかも知れません(レトリックとしては多義語を用いての「くびき語法」と言うようです)。こちらの意味合いですと、なんらかの伝統・技術の次世代への継承ということになります。
 

一句、網戸越しの景なのですが、明けてゆく景の時間経過の静かさであり、閑かさです。と同時に、網戸を通して発話者が体験し経験してきた時代を回顧しているのだろうと思います。空調機器にコントロールされた現代から、懐古的に古き佳き時代を網戸を通して思い浮かべている、そのようにも思えるのです。
 

※ 青い網戸?
張り替へし網戸に青き風通す 岡本和男 『新山暦俳句歳時記』より
網戸たて家中に青満たしけり 金子苗子 『沖季語別俳句集』より
※ くびき語法の判りやすい一例(ただし、下世話な一例です)
スピーチとスカートは短い方がいい。(前者の「短い」は時間的、後者のそれは空間的です)

季語は「蚊帳」で夏です。蚊帳、昭和レトロなのでしょうね。畳の部屋に布団を敷き、雨戸などは開け放って風を部屋に入れるという、網戸の普及もありますけれど空調完備の現代では考えられない生活です。蚊帳は緑色とか水色とか萌黄色とかでしたが、それを四方の柱や長押の鉤に環で吊って張るのですが、畳まれていた蚊帳を部屋に広げて吊っていくのは、確かに「さらさらと水を撒くごとく」と言えそうです。
 

瑪論さんには、昭和も戦後と言われた時代への懐古懐旧の句が多かったような気もします。瑪論さんの少年時代は、それに値したのだろうと思えます。

季語は「短夜」で夏です。「短夜」は夏至に前後する夏の夜の短さを意味するのですが、感覚としてはこの季語の傍題としての「明易し」で明らかなように、夜が早く明けてしまうことを惜しむ気持ちが踏まえられています。そこで掲句なのですが、レム睡眠とノンレム睡眠とがおおよそ一時間半のサイクルで繰り返される睡眠において、おそらくは明け方、最後のレム睡眠のその「はづれ」なのだと思います。要するに、目覚めた時に覚えている夢の最中に居るのです。悪夢に魘(うな)されているとは思えませんから、この夢からまだまだ覚めたくはない、なのだと思います。
 

一句、瑪論さんにしては珍しい句末の「ゐ」、「居る」の連用形なのですが、これを切字として使っています。

季語は「夏布団」、軽やかさとその感触とを売り物とする夏用の掛け布団、夏掛けです。しかし、その軽さの故に、気が付けば身を離れてしまうことも。一句は明け方、その暁闇、まだ完全には目覚めていないのですが、身の肌寒さから無意識に四肢で布団を弄っているのです。それだけの句意なのですが、誰にでも経験のあることでしょう。

村上瑪論進氏の納骨は 2019年 5月 19日でした。要するに、この句の一年後の瑪論さんは骨壺の中に居たのです。それを思うと、罪作りな句なのです。
 

さて、一句は納骨でしょうか、骨壺が五月の風の中に置かれています。昨今の樹木葬とも思えますが、広々とした霊園での納骨という気もします。 2006年にリリースされ、とても流行った「千の風になって」を思わせるものもありそうです。