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心の学び舎「まほろば」

元中学校長の経験と日本の思想・哲学にNLP(神経言語プログラミング)を融合。「心の向き」を整え、穏やかでしなやかに生きる力を育む実践心理をお届けします。

またやってしまった…。
あとから自己嫌悪。

 

・子どもにきつく言ってしまった
・職場でイライラをぶつけてしまった
・帰り道で落ち込む

 

「なんで自分はこうなんだろう」

 

そんなふうに思ったこと、ありませんか。

 

 

 

実はこれ、
あなたの性格の問題ではありません。

 

多くの人が知らない、
とてもシンプルな原因があります。

 

それは、

 

≪「出来事=感情」だと思っていること≫

 

です。

 

 

 

例えば、

 

・子どもが言うことを聞かない
→イライラする

 

・上司に注意された
→落ち込む

 

こう感じますよね。

 

でも本当は、

 

 出来事と感情の間には
≪「考え方(受け取り方)」が入っています。≫

 

 

 

同じ出来事でも、

 

・「またか…最悪だ」
と思えばイライラするし、

 

・「成長途中だな」
と思えば少し余裕が生まれます。

 

 

つまり、

 

≪ 感情は“出来事”ではなく≫
≪“意味づけ”によって生まれている≫

 

ということです。

 

 

ここが分かると、
何が変わるか。

 

それは、

 

≪「感情に支配される側」から≫
≪「感情を扱える側」に変わる≫

 

ということです。

 

 

大事なのは、

 

感情をなくすことではありません。

 

≪感じてもいい≫
≪でも、そのまま反応しなくてもいい≫

 

 

この小さな違いが、
人間関係も、日々の気持ちも
大きく変えていきます。

 

 

もし今、

 

「また怒ってしまった…」と
苦しくなっているなら、

 

まずは一つだけ思い出してください。

 

≪これは出来事そのものではない」≫

 

 

それだけで、
ほんの少しだけ
心に“間”が生まれます。

 

 

その“間”が、
あなたを助けてくれます。

最近、なんとなく元気が出ない。
そんなふうに感じることはありませんか。

 

やる気が出ない。
気分が乗らない。
少し疲れている。

 

そんな時、私たちはよく「気」という言葉を使います。

 

元気
やる気
本気
弱気

 

改めて考えてみると、
どれも「気」がついています。

 

私は国語を教えてきた(国語科教師だった)こともあり、
こうした言葉に触れるたびに、
不思議だなと思うことがあります。

 

日本人は昔から、
「心の状態」をとても大切にしてきたのではないか。

 

そんなふうに感じるのです。

 

 

たとえば「元気」。

 

これは単に体調が良いという意味だけではなく、
心が前向きな状態も含んでいます。

 

「やる気」も同じです。

 

能力があるかどうかではなく、
そのときの状態を表しています。

 

つまり私たちは、

 

知らず知らずのうちに
「気=状態」を言葉にして
日常の中で使っているのです。

 

 

 

ここで大切なことがあります。

 

それは、

 

気は変わるものだということです。

 

ずっと元気でいることは難しい。
やる気が出ない日もある。

 

それは自然なことです。

 

 

 

しかし、
少しだけ意識を向けることで、

 

気の向きは
変えていくことができます。

 

たとえば、

 

背筋を伸ばしてみる。
深く呼吸をしてみる。
少しゆっくり話してみる。

 

それだけでも、
不思議と気分が変わることがあります。

 

 

 

私はこれまでの経験から、

 

人は「出来事」によって
すべてが決まるわけではないと感じています。

 

むしろ、

 

どんな状態でその出来事に向き合うか

 

の方が大きい。

 

 

 

「気」という言葉は、
とてもシンプルですが、
大切なことを教えてくれているのかもしれません。

 

 

 

もし今、少し疲れていると感じていたら、

 

無理に頑張ろうとするのではなく、
まずはこう思ってみてください。

 

「今日は少し気が落ちているな」

 

それだけでも、
心は少し整います。

 

 

最後に、ひとつだけ。

 

あなたの今の「気」は、どんな状態でしょうか。

日々の生活の中で、
ふとイライラしてしまうことはありませんか。

 

思い通りにいかないとき…。
誰かの言葉に引っかかったとき…。
忙しさに追われて余裕がなくなったとき…。

 

私自身、これまで何度も
怒りの感情に振り回されてきました。

 

教師として働いていた頃は、
特にそうでした。

 

生徒の行動に対して…。
指導がうまくいかないとき…。
周囲との意見の違い…。

 

「なぜわかってくれないのか」
そんな思いが強くなることもありました。

 

 

しかし、ある時から
考え方が少し変わりました。

 

それは、

「怒りは悪いものではない」

と気づいたことです。

 

 

怒りという感情は、

・大切にしているものが傷つけられたとき
・本当はこうありたい、という思いがあるとき

に生まれてくることが多いものです。

 

つまり怒りは、

自分の中にある“価値観”を教えてくれるサイン

でもあるのです。

 

 

問題なのは、
怒りを感じることではありません。

 

問題なのは、

その怒りをどう扱うか

です。

 

 

怒りに任せて言葉をぶつけてしまうと、
関係が壊れてしまうことがあります。

 

一方で、怒りを押し殺し続けると、
自分自身が疲れてしまいます。

では、どうすればいいのか。

 

 

私が大切にしているのは、

「一度立ち止まる」ことです。

 

イライラしたときに、

「今、自分は怒っているな」

と気づくだけでも違います。

 

それだけで、
感情と少し距離ができます。

 

 

そして、こう問いかけてみます。

「自分は何を大切にしていたのだろう」

 

怒りの奥には、
必ず何かしらの思いがあります。

それに気づくことができれば、
怒りは少しずつ形を変えていきます。

 

 

怒りは、
敵ではありません。

うまく付き合うことができれば、
自分を理解する手がかりになります。

 

 

もし今日、
少しイライラすることがあったら、

無理に抑え込もうとせず、
ただこう思ってみてください。

 

「今、自分は何を大切にしていたのだろう」

それが、
心の向きを整える一歩になるかもしれません。

 

 

最後に、ひとつだけ。

あなたのその怒りは、
何を大切にしているサインなのでしょうか…。

教師として長く学校に関わっていると、
さまざまな出来事に出会います。

うれしいこともあれば、
思い通りにならないこともあります。

 

生徒との関係、
保護者とのやり取り、
職員同士の意見の違い。

 

人が集まる場所では、
どうしても感情が動きます。

私自身も、若い頃は
感情に振り回されることがよくありました。

 

怒り。
不安。
落ち込み。

 

そうした感情が強くなると、
物事を冷静に見ることが難しくなります。

 

しかし、ある時から
私はこう考えるようになりました。

感情は天気のようなものではないか。

 

晴れの日もあれば、
雨の日もある。

時には、嵐のような日もあります。

けれど、天気は変わっていきます。

雨が降り続く日もありますが、
やがて雲は流れ、
空はまた明るくなります。

 

感情も、それとよく似ています。

怒りや不安が生まれること自体は、
決して特別なことではありません。

人である以上、
それは自然なことです。

 

ただ一つ、
大切なことがあります。

それは、

感情は天気であって、住む場所ではない

ということです。

どんな感情も、
そこにずっと居続ける必要はありません。

 

少し離れて眺めてみると、
心の中で起きている出来事が
静かに見えてくることがあります。

 

教育の現場でも、
私はよく思います。

子どもたちは、
感情そのものに困っているのではなく、
感情との付き合い方 に戸惑っているのだと。

 

大人も同じかもしれません。

出来事をすぐに変えることはできなくても、
自分の心の向きを少し整えることはできます。

 

今日は少し心の天気が荒れているな。

そんなふうに思えるだけでも、
心は少し落ち着きます。

天気は必ず変わります。

そして、
私たちの心もまた、
少しずつ整っていくものなのだと思います。

 

最後に、ひとつだけ。

あなたの今日の「心の天気」は、どんな空でしょうか。

最近、「叱ってはいけない時代」と言われることがあります。

確かに、感情に任せて怒鳴るような指導は、決して望ましいものではありません。
学校現場でも、「怒らない指導」が求められるようになりました。

けれど私は、教師としての人生の中で、ずっと考えてきたことがあります。

それは、

「怒ること」と「叱ること」は、本当に同じなのだろうか。

ということです。

 

 

教師になって間もない頃、
私は多くの失敗をしました。

生徒に対しても、
同僚に対しても、
未熟な振る舞いが多かったと思います。

そんな私を、厳しく指導してくれた恩師がいました。

その先生は、
ときに非常に厳しい言葉で私を指導しました。

当時の私は、

「どうしてそこまで言われなければならないのか」

と反発し、
議論を挑むことさえありました。

今思えば、
ずいぶん生意気な若者だったと思います。

 

しかし、年月が経つにつれて、
あることに気づきました。

恩師は、
怒っていたのではなかった。

私を

叱ってくれていたのだということです。

 

 

怒るとは、
自分の感情をぶつけることです。

腹が立ったから言う。
気に入らないから強く言う。

そこには、相手の成長よりも、
自分の感情が中心にあります。

 

一方、叱るという行為は、
少し違うのではないでしょうか。

叱るというのは、

相手の成長を願って、あえて厳しい言葉を伝えること。

そこには、相手への責任があります。

そして、
勇気も必要です。

 

 

人に嫌われるかもしれない。
煙たがられるかもしれない。

それでも、
「この人には今、言わなければならない」と思うから言う。

それが、本当の意味での「叱る」ということなのかもしれません。

 

 

私の恩師は、
周囲からは「厳しい人」と言われていました。

歯に衣着せぬ物言いで、
敵も多い方でした。

けれど、あれほど真剣に
人と向き合う姿を、私は他に知りません。

生意気な若造だった私に、
本気でぶつかってくれた人でした。

 

 

今、教育の現場では、
「叱る」という行為そのものが難しくなってきています。

しかし私は思います。

人が本当に成長するとき、
そこには必ず、

誰かの真剣なまなざし

があるのではないでしょうか。

 

 

あなたの人生には、
本気で叱ってくれた人はいますか。

そして、
あなたは誰かの人生に対して、
真剣に向き合ったことがありますか。