目。





はい。





やってまいりました。





「グローバル化のゆくえ」の時間でございます。





ついに第3段落突入しました。





テーマをご紹介したかったのですが・・・。





今日は習いませんでした。





では本題に入ります。





近代の最大の問題は、庶民があたかも悲劇の主人公のような責任を要求されたことだ。





と筆者は述べる。





ちなみに悲劇の主人公とは英雄・偉人のことである。




その英雄・偉人と同じ責任を要求された庶民はとてつもなく大きな壁にぶつかるわけである。





恐ろしいのは、災禍の責任が主体そのものにあるという概念である。





これは近代の主体を建て前とする考え方であり・・・。




責任の犯人捜し・・・。





情報の開示・・・。





不安の助長・・・に繋がってくる。





と筆者は淡々と述べている。





・・・だんだん話しが難しくなってきた。





考えがまとまらない。





あっ。





3段落の前に不幸福と2段落があるので是非覗いてください。





見ないと余計わからないしね・・・。





なんか自分の考えがまとまんなくて申し訳ないです。





テーマは後々お知らせ致します。





ではこれにて「グローバル化のゆくえ」の時間は終了です。





では次の時間にお会いしましょう。
目。





前に不幸福で書かしていただいた「グローバル化のゆくえ」その続きを書きたい。





前に書かしていただいたのは第1段落である。





今回は2段落目。





ちなみに書き忘れたのだが第1段落のテーマはグローバル化の不安であった。





第2段落のテーマは近代以前の不安である。





リスクの話を覚えているであろうか。





覚えてなければ不幸福を見直してほしい。





・・・リスクを不意の災禍を考えるならばかつてもあった。





かつては無常の世・・・だと筆者は述べている。





庶民は神の不条理に耐え、身を慎んでいる。





決断の取消も許される共同体なのだと・・・。





一方で英雄・偉人は違う。




非日常の冒険。





ヒュブリス。





ヒュブリスとは傲慢な意志のことらしい。





そして一回きりの決断。





絶対的な意志。





・・・と筆者は淡々と述べる。





絶対的な意志とは庶民がおそれたこととも述べている。





続きを早く書きたいがまだ習ってないので書けない。





こういう評論は面白い。





自分で思うことがどんどん出てくる。





かつてがこうならば現在はどうなのか。





英雄・偉人の傲慢な意志とは。





考え出したらきりがない。





よかったら皆さんもたまには評論文を読んでみるといい。





頭が働く。





考えがうづく。





あまり難しいのは読まないように(笑)。
今、現国の時間に「グローバル化のゆくえ」という評論文を読んでいる。





その中で過去の不幸と現代の不幸は違っているという内容がある。





過去の不幸は資源の絶対的な窮乏。





現代の不幸は不意打ちのリスク。





現代の不幸は現代の幸福と背中合わせらしい。





根本的な解決は不可能。





狭義の社会政策ではなく、根本的な人間の生き方を修正するしかない。





・・・らしい。





ちなみにグローバル化という意味は地球規模の変動である。





この話しを私たち人に置き換えると。





つまり不幸と幸福は背中合わせ。





誰かが不幸に陥ってるとき。





誰かは幸福。





ぅん。





そんな感じ。





わかっちゃいるけど。





よくわからん。





でもこうしてブログ書いてるときに。





誰かは泣いてるかもしれない。





不幸と幸福。





うーん。





深いなぁ。