こんにちは。
岡田です。


今回は、なぜ健康水先案内人を志したのか、
どういう経緯でそうなったのかをお話します。

-祖父からの学び-

わたしが小学校に入ったころ、
祖父は理工学部の教授と長寿研究の
二足のわらじを履いていました。

我が家では、
向上心が強く常に学んでいた
祖父を尊敬していました。
 
勤務する大学の近所だったこともあり、
我が家の住人は長寿にかかわる、
病気や健康についての話を、
しょっちゅう聞かされていました。


たとえば、

健康に必要なジョギングの話、
お酢の効用、和食の必要性、東洋医学の話。
薬害の話、残留農薬の話、食品添加物の害、
西洋医学の中にある問題点、ガンは心の病気、
米国による日本人弱体化戦略と食事の話、etc.

小学生のわたしには、
よく理解できませんでしたが、
幼少期から虚弱体質で不健康だったので、
重ねて聞くうちに記憶には残っていきました。

「みんなが言っていることとは違うらしい」
ということは分かりましたので、
不思議に思いながらも、
何となく憶えようと思った次第です。


その後、祖父は70代で鍼灸学校に通い、
わたしが高校生の頃には長寿研究所を設立し、
健康長寿の研究に没頭していきました。

おそらく自分が長生きし、
健康長寿の専門家として活躍したかったのでしょう。


一方、青春期のわたしは、
そんなことはそっちのけで、
好きな美術関係に進学するつもりで、
平凡な毎日を送っていました。

ところが、
進学を機会に思わぬアクシデントが発生。
芸大模試の配色で大失敗、
色彩感覚のテストが全くダメだったのです。

失敗の原因は、
祖父譲りの色弱でした。

以前から学校の色盲検査で、
いつも初めの1ページだけ数字が読めて、
あとはさっぱり読めませんでしたが、
深く考えたことはありませんでした。

しかし、この失敗で、
「先天性のハンディ」を自覚したわけです。

しばらくショックから立ち直れなかったものの、

「わざわざ不利な土俵で生きる必要はない」
と切り替え、あきらめることにしました。

しかし、
この時すでに高3の夏で進路変更は手遅れ。
 
そこで、
まだ大学に籍があった祖父に相談してみました。

祖父いわく「目標もなく大学に行くのは愚の骨頂だ。
それよりも、これからは東洋医学の時代がくるから、
東洋医学、鍼灸を勉強しなさい」ということでした。

それまで不健康であったこともあり、
「手先の器用さを生かせるかも」
と不本意ながらも自分を納得させ、
その道に進むことになりました。


何とか3年間の鍼灸学校を卒業し、
神戸の鍼灸院に就職。
その後、京都の鍼灸院で修業をつづけました。

治療現場に出てから、
人間の体の神秘や個体差の不思議などを知り、
奥の深い生命の世界に引き込まれていきました。
 
このころになって、
祖父より教えられた諸々の知識が役立ちはじめます。

なぜなら、
10~20年の時の流れの中で、
祖父の指摘していたポイントの多くが、
社会問題化していったからです。

その時得た気づきは、
 
「現在の常識というのは、
過去の常識であって真実とは限らない」
というものでした。

以後、新たに学ぶ時には、
「まずは受け入れ実践し矛盾を感じれば疑ってみる」
という姿勢でのぞむようになりました。

そして、
医療や健康関連の情報にアンテナを張り、
良さそうと直感したものは、まず実践してみる。

そして経過を見ながら、
今までの常識と比較検討するという、
見極める習慣が付いたのです。

いつのまにか、
健康の悟りを求める求道者となっていたのです。

そんなこんなで、
あっという間に30年が過ぎました。

この間、いろんなことを学び実践しました。
多くの方と出会い、
様々な経験を積むこともできました。

考えの柱となる
仏法真理や構造医学とも出会えました。


そしてようやく、
「もっと多くの人のお役に立ちたいなぁ」
と思えるようになってきたのです。

つづく。


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