【天堂浬の回想:第9話.七瀬のXmasカード】
12月の一大イベントは、なんと言ってもクリスマスだ。毎年、どんな時でも、世界中の何処にいても、クリスマスは必ずやってくる。日本の暦(こよみ)では師走といって、師匠に限らず弟子も見習いも、時には普段は呑気(のんき)な家族の誰かさえ、忙しく気忙しく奔走するのだ。それは子供のためのクリスマスの可愛らしい玩具(おもちゃ)探しであり、愛の告白をしたためた愛しい人への熱い贈り物であったりする。
しかし、世界には寒さやひもじさに身を委(ゆだ)ねたまま、クリスマスを迎えなければならない人がいることを決して忘れてはならない。
天堂浬(かいり)が在籍する横浜山手にある聖昂学院では、そんな人々へも思いを馳せ、開校以来、欠かさずクリスマスに向けて慈善活動を行ってきた。伝統として高等部の二年生が中心となり一年を伴い、街頭募金からバザー、炊き出しや食糧配布と、周囲の女子高や有志の人々の協力や賛同を得ながら、教会や寺院で積極的に活動を行ってきた。それが今ではクリスマスを迎えるこの時期の、横浜の風物詩となりつつある。
期末試験が終わると、その日の午後からクラスや部員同士が集まり、募金箱やバザーに出展する品物、炊き出しや配布する食糧などの調達や準備の役割分担を決めていく。浬は剣道、バスケ、ブレイクダンスと三つの部と共に、クラスのグループ割にも加わった。街頭募金のメインは主に駅や繁華街の人通りの多い場所だ。クラスのグループ割担当では聖昂学院の制服のまま行うが、部活動の面々は週末の歩行者天国や広場などで、剣道の技やバスケのミニゲーム、ブレイクダンスを披露したりと、それぞれ工夫を凝らして募金を募(つの)っている。また、聖昂学院はキリスト教系の学校だ。本格的なXmasカードを販売して募金の一部に当てるのは、中等部の生徒たちの担当だった。浬も中等部の頃は家族で何枚か購入したり、知人にも声を掛けてもらったりと募金に貢献したものだった。
クリスマスの本格的慈善活動は高等部一年の去年に引き続き、二回目になる。それも今年は二年生のため、先頭に立って活動しなければならない。横浜といえども12月に野外で長時間過ごしていると、さすがに寒さが身にしみてくる。天気が穏やかな日はまだ良いが、木枯らしが吹く夕方には、凍えそうな風に身を竦(すく)め、募金箱を持つ手も冷たく悴(かじか)んでくる。そんな時には、有志の横浜山手の女子高生たちから、暖かなココア缶やホカホカの肉まん、時にはマフラーや手袋といった有難い激励のプレゼントや差し入れもあったりする。
そして今年は例年とは一味違う慈善活動が加わった。夏休みに対抗戦で盛り上がった鎌倉高校の有志たちが週末の三日間、鎌倉駅の前で、募金や慈善活動に賛同した商店街が提供してくれたお菓子やクリスマスグッズを販売してくれたことだ。もちろん、そこには天海コンビを自称する海堂光太郎や湘南白鳥学園の水上海(みなかみ うみ)も加わっていた。
光太郎の家の老舗の和菓子屋 的屋は人気のカスタードクリーム饅頭と、可愛らしい雪だるまやXmasの柊(ひいらぎ)に似たてた上生菓子を。
水上 海(みなかみ うみ)の家のリストランテ マーレからは、アリンガと呼ばれるニシンのオイル漬けと、ローストチキン。ピッツァもピース毎に買えるので好評だった。
クリスマスイブには海が鎌倉の公園で、熱々のアクアパッツァ(ブイヤベース)を慈善活動として人々に振る舞った。湘南白鳥学園の有志たちが手伝ってくれたのは言うまでもない。
そうして同じクリスマスイブの日、海堂光太郎は横浜に向かい、天堂浬たち聖昂学院の面々と共に合流すると、自慢のパスタ料理を次々と作り大好評だった。本格的パスタに心もお腹も満たされた人々は、暖かな面持ちで家路に着いた。
翌日、クリスマス当日の25日。浬は光太郎を伴い横浜山手の教会へと向かった。ここでは先発隊として聖昂学院の各クラスの調理担当が野外で、豚汁やカレー、焼きそばや炊き込み御飯を作り、まるで屋台やキャンプのような盛り上がりになっていた。浬はクスクス笑いながら光太郎に耳打ちした。
「クリスマスの特別なごちそうじゃないんだけど、いつの間にか こうなった」
「いいんじゃないか、楽しくて。俺も手伝うよ」
浬と光太郎は焼きそばの鉄板の前にやって来た。
「制服は脱いでおけよ。焼きそばの香りと油が染み付いてしまうからな」
「おぅ」
二人はお揃いのエプロンとバンダナを頭に巻くと、焼きそば担当と交代した。大量のもやしとキャベツ、肉と蒸した麺が鉄板の上に山盛りになっていく。
「一度にこんなに入れて大丈夫か?ヘラで返すだけでも大変だろう」
光太郎の心配に浬は涼しい顔で答えた。
「そこは腕に自信のある剣道部の出番だよ」
「なるほどね」
浬は言った通り、巧みに大量の具材と焼きそばを混ぜ合わせていく。そこにソースが加わり、カツオブシ粉の旨味が振りかけられると出来上がりだ。熱々出来立ての湯気が上がる焼きそばを、今度は光太郎が手際よくパックに詰めて青海苔を散らしていく。4個5個と買い求める人もいて、山盛りに作った焼きそばも、あっという間に無くなった。
「続けて2回目行くよ」
浬はそう言うとシャツの袖を再度たくしあげた。その姿に何処からか女の子のはしゃいだ声が聞こえる。
「さすが天堂さん、剣道で鍛えた腕、逞(たくま)しい」
「こんな近くで見られるなんて幸せ」
吹き出しそうな光太郎は追加のパックと割りばしを用意しながら話しかけた。
「剣道の腕は焼きそば作りに役立つだけじゃなく、女の子や客も惹き付けるのか」
「普通に腕捲(まく)りしただけだよ」
「カレーでも炊き込み御飯でもなく、焼きそば担当にされるのは、そういうことか」
「まだまだ作るよ。サッカー部のフットワークを活かして次の材料、どんどん用意しておいてくれ」
「分かった」
そうして得た売上金は教会へ寄付され、困窮する人々への暖かなクリスマスの手助けとなるのだ。
冬の夕暮れがやって来ると、それぞれの料理担当も片付けを始めた。今年のクリスマスの慈善活動も幕を閉じる。来年は高校三年生で、受験勉強真っ只中、最後の追い込みをかける時期で、早い受験生だと推薦入学で合否も決まっている頃だ。それぞれの道に向かってクリスマスツリーを見上げる日々になっているだろう。教会の中には大きなクリスマスツリーが飾られているのが見える。刻一刻と辺りは冬の夕暮れを加速していく。パイプオルガンで讃美歌や街の何処からか聞こえるクリスマスソングも今日一日だけだ。浬は感慨深げに空を見上げた。
「クリスマスのこんな慈善活動なんて、当分…いや、皆でこうして出来るのなんて無いかもしれないな」
「浬は医学部志望だろう。大学入っても医者になっても忙しくて自由に時間 取れないだろうからな」
「やろうと思えば出来るんだろうが、こうしてクラスや部活や光太郎たち有志と出来たってことは、今だけの貴重な時間なんだと思う」
その言葉に光太郎は嬉しそうに応えた。
「カスタードクリーム饅頭の大量差し入れを聖昂学院の剣道部にウミと届けにいってさ、浬と再会して、意気投合して、夏休みには学校対抗試合までした。面白かったな」
「ウミちゃんまで巻き込んで」
「浬も人が悪いよな。ウミに黙って剣道個人戦まで組んでさ」
「ウミちゃんが県大会の準決勝まで行ったと教えたのは光太郎だろう」
「ウミは元々、弓道やりたかったのに出来なかったからな」
「いつでも言ってよ、姉貴が教えてくれるから」
「そうか、ウミは高1だから、まだ来年一年は出来るんだ」
「高2で光太郎と再会して良かった。心からありがとう」
照れた光太郎は浬の肩を軽く小突いた。
「何だよ、改まって。そりゃ、俺も嬉しかったけどさ」
「レストラン マーレで作ってくれた光太郎の絶品パスタ、今回も作ってくれて嬉しかった」
「ほんの数ヶ月前なのに、あっという間に冬になった。俺も来年は受験生だ」
ふと、浬は思い出したように呟(つぶや)いた。
「あの日、結婚記念日の家族が来ていて、近くの席で食べたんだ」
「あぁ、確か新婚旅行にマーレで食べて、結婚10年とか言ってたな」
「ウミちゃんが出したイタリアのデザート、帽子のような形で、女の子は大喜びだった。家族皆が楽しそうに食べてた」
「10年か、その時どんなふうに高2の今年を思い出すんだろう」
未来の自分はまだ予測出来ない。
「浬は医者になってるか」
「なっていても新米だ」
「俺は店を継がなくてもいいと言われてるから、好きなことやってるかも」
「レストラン マーレでパスタ作ってるか」
「さあな」
「ウミちゃんと一緒に」
「ウミには好きな奴がいるから」
「分からないだろう。10年経たなくてもウミちゃんの気持ちも変わる」
「浬さぁ、俺とウミは生まれた頃からの幼馴染みだよ。別に無理にくっつけなくても」
「仲良いし」
「浬だって女の子に騒がれているけど、彼女いないだろう」
「いない」
「じゃあ、俺と同じ。ウミは片想いだけどな」
二人の他愛もない会話に後ろから声が掛かった。
「私のいないところで勝手に話題にしないでよ」
「あっ、ウミ。何でいるんだよ」
「コータじゃなくて浬君宛のクリスマスカードを届けに来たの」
「女の子たちからなら、たくさん貰っているだろう」
「それがね、特別な女の子からなの。うちのお店に届いたの」
そこには幼い絵と文字で書かれた可愛らしいクリスマスカードがあった。
「浬君、夏にコータがパスタを作ってくれた日、近くの席にいた結婚記念日の家族のお客様、覚えてる?」
「さっき、その話を浬がしていたんだ」
「その女の子、小学校一年生の」
「少し、話したな」
「その女の子からお店と浬君にクリスマスカードが届いたの」
そのカードには、こう書いてあった。
『メリークリスマス、スイカアイス食べてたカッコいいお兄さんへ。私が大人になったら一緒にクリスマスツリーを見て下さい』
光太郎はクスクス笑いだした。
「これ未来のデートの申し込みだ。それもクリスマスの」
「あの家族、確か鹿児島」
「浬、迎えに行けよ。いや、向こうから来るか?」
「大人になったら相手の女の子の顔も変わっているだろう。分からないよ」
「向こうは覚えているかもよ。浬君のことを、カッコいいお兄さんと言ってるもの」
「10年、いやもっと先か」
「とにかく、クリスマスカードは浬君に渡しておくね」
「その子の名前、何ていうんだ」
それはカードの最後に、ひらがなで『ななせ』と書いてあった。
「ななせちゃんか。浬、覚えておけよ」
「いや、忘れると思う」
「浬、時々、女の子に薄情だぞ」
「カスタードクリーム饅頭は好きなのよね」
「大好きだ」
三人は声を上げて笑った。
空には星が輝いている。
「鹿児島はどっちだ」
「向こうだ」
「メリークリスマス、ななせちゃん」
浬は嬉しそうに微笑むと、そのクリスマスカードを静かに閉じた。
十数年後、浬は確かに七瀬という女の子を忘れていた。
最終話.あの日の君へ
https://ameblo.jp/baeyongjoon829/entry-12723838529.html
参考:第6話.七瀬の来店
https://ameblo.jp/baeyongjoon829/entry-12701398654.html
第8話.銀杏の小径
https://ameblo.jp/baeyongjoon829/entry-12714738324.html
風月☆雪音