恋はつづくよどこまでも二次創作小説【NYランデブー:第21話.月の欠片】 | 風月庵~着物でランチとワインと物語

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毎日着物で、ランチと色々なワインを楽しんでいます。イタリアワイン、サッカー、時代劇、武侠アクションが大好きです。佐藤健さんのファンで、恋はつづくよどこまでもの二次創作小説制作中。ペ・ヨンジュンさんの韓国ドラマ二次創作小説多々有り。お気軽にどうぞ。

【NYランデブー:第21話.月の欠片】


ニューヨークを再び訪れた天堂浬(かいり)の日程も、そろそろ終わりの時期が近づいていた。

イ・テワン邸の一室でレポートを作成しながらパソコンに向かっていた浬は、徐(おもむろ)に息を吐くと正確に進めていた手を止めた。物思いに耽(ふけ)るわけではないが、どこか感慨深いものがある。

心臓移植によるDNAの記憶転移。

白浜杏里に起こった心臓移植提供者である上条葉月の言葉や振る舞い。そして、白浜杏里に瓜二つだったイ・テワン会長の亡き妻ソン・セナの出現と、人知を超えた出来事に遭遇した真夏のニューヨーク。その体験は若き日、初めて訪れた留学の日々とは大きく異なっていた。


恋人だったみのりを失い心臓外科医として、ひたすら技術の習得に努力した留学の日々。あの頃は何も目に入らなかった。余裕も時間も感情も、何もかも無いものだと、そう自分に言い聞かせていた。それが今回、杏里の心臓移植後に起こった思いもよらぬ記憶と行動の変化に、自分がそれほど違和感も持たず否定もしなかったのは、自然な思いに素直に従ったからだ。それは多分、佐倉七瀬という、かけがえのない女性を愛したからに他ならない。

今、こうしてニューヨークに滞在していると、8月半ばをとうに過ぎたカレンダーに目を馳せ、そろそろ秋の気配を感じるようになったと身をもって分かるのだ。朝の風や光、昼に高く上った太陽、午後に掛けて長く伸びる影と、木々の隙間から揺れる木漏れ日が、感傷的な心を刺激する。いつからスイッチを入れたのかなんて、とんと分からないように、静かに密やかに、佐倉七瀬は天堂浬の感情と涙腺の開かずの扉を開けた。

泣きたい時は訳も分からずただ涙を流し、声を上げてしゃくりあげたし、ずっと誕生日に献花していたみのりの墓参りを忘れたことを思い出せず、手放してしまう寂しさに感情が高ぶって、どうしようもなくなった。そんな自分をさらけ出し、同僚に見られ心配されても、それを素直に思える自分に少々戸惑いながら、受け入れてくれたみのりの両親に感謝した。だからだろうか、心臓だけでなく移植による記憶転移が、脳の一部に残ったとしても、不思議ではないと思っている。たぶん、七瀬ならDNAに感情があるなんて素敵だと、そう表現するだろう。


今日はニューヨークハドソン記念病院も休診だ。ディスカッションは終了した。あとは杏里の担当医である天堂浬(かいり)が連絡事項の確認を残すのみである。幸いなことに小児科医のフローラとシンシア母娘はイ・テワン邸と接する隣の敷地に住んでいて、広い裏庭を抜ける近道を行くと最短距離で両家を行き来できる。

そんな裏庭の秘密の近道は、古くはテワンの実母であるミン・ソヒが父イ・テソンに軟禁されるように住んでいた別邸にも通じていたし、テワンとセナの子ミニョンと、ピアニストのカン・ミヒの実子、父のいないカン・ジュンサンの二人がシンクロと多重人格を起こした経緯や時間を見つめてきた。

波乱に満ちたセウン一族のエピソードは、奇しくも世界的ホテル王ワン・チャウサンの孫娘であるルポライター メイリン・ワンの本で、ある程度知っているのだが、直ぐそばの窓から見える場所にあると思うと、殊更(ことさら)真実味が増してくる。彼ら二人は今、互いに名前を改名して生きている。カン・ジュンサンはイ・ミニョンと名乗り、セウングループの後継者として。イ・ミニョンは小児科医フローラ・ムンと結婚し、イ・ジュンサンと名乗り児童文学『アスティとタルト』という世界的ベストセラー作家として活躍している。

彼等の中から生まれた多重人格のもう一人のイ・ミニョンは、記憶を失ったカン・ジュンサンを乗っ取るべくミニョンと対立したが、命懸けの攻防で消え去ったという。そして今は文学好きの朝鮮王朝の王子イ・シンが、ミニョンことイ・ジュンサンの中で静かに本を読んでいる。

カン・ジュンサンことイ・ミニョンは失明しながらも天才建築家として第一線で仕事を続けているし、イ・ジュンサンはナルコレプシーという病と付き合いながら、今もベストセラーの『アスティとタルト』の新作を執筆している。

だからという訳ではないが、自分が執刀し担当医だった白浜杏里の心臓移植の後に、心臓提供者である上条葉月の記憶が動き出しても、杏里に瓜二つのテワンの亡き妻ソン・セナが突如として姿を現しても、その事実をありのままレポートとして書き留めている。

そんな彼の元へテワンの朝の健康管理を終えた七瀬が戻ってきた。ご機嫌な彼女はスキップを踏みそうな勢いで部屋の前までやって来たが、パソコンに向かう浬を目にすると、途端に踵(きびす)を返すとドアの後ろに姿を隠した。
「どうした、入ってこいよ」
「先生、今日は随分と優しいんですね。何か良いことありました?」
浬は椅子を回すと七瀬と向き合った。
「遠慮など必要ない。下手に気を回すな」
「でも、レポート制作中だったんでしょう」
「お前は自分の仕事を一つ、やり終えたんだろう。俺も一息付いたところだ」
「じゃあ、行きます」
そう言い終わる前に七瀬は浬の胸に飛び込んだ。
「先生、大好き。愛してる」
「俺より先に言うな」
「凄く嬉しいニュース、早く先生に教えたくて」
「何だ、イ・テワン氏からキャンディーでも貰ったか」
「それでも嬉しいんですけどね。もっと嬉しいこと」
浬の膝の上に乗った七瀬は彼の首に腕を絡めた。
「今夜、ダウンタウンにあるフレンチレストランでイ・テワン会長とディナーをいただくことになりました」
「わざわざ俺の許可など要らないぞ。行ってこい」
「違いますよ、先生も皆さんも一緒です」
「俺も?何で」
「何でって、明日 先生は杏里ちゃんとお母さんと一緒に帰国するし、私が看護留学を終えるまで先生と会えないから」
「あぁ、もう。それを早く言え」
浬は七瀬を膝に乗せたまま立ち上がった。勢い余った七瀬はそのまま多々良(たたら)を踏んでコロリと転がった。
「痛い、急に立ち上がらないでくださいよぅ」
「面白い転がり方をするなぁ」
「笑わないでくださいったら」
浬は片手をポケットに突っ込んだまま右手を差し出した。
「つかまれ」
「はい」
「ところで、杏里ちゃんとお母さんには、その事は伝えたか」
「あっ、まだです」
「バカ、先に伝えろ」
「すみません」
「また、厄介岩石に戻るのか」
「久しぶりに聞きました。魔王のその言葉」
七瀬は浬の腕に寄り添うとスリスリとすり寄った。
「懐(なつ)くな」
「嬉しいんです」
「怒られていて嬉しがるな」
「先生の言葉は今はどれも嬉しいんです。だって、帰国するまで当分聞けないんだもん」
七瀬の言葉を最後まで言わせず浬は彼女の口元を塞いだ。
「不意打ちのキスも素敵」
「お前、キャンディー食べただろう」
「何の味か分かりますか」
「バニラアイス、いや違うかな」
「当たりだって知ってるくせに」
「もう一度、確かめさせろ」
再びキスをした向こうに遊園地でのアイスクリームデートの記憶が甦る。それは冷たい感触まで思い起こさせた。
『あぁ、今は真夏のニューヨークなのに、まるで白昼夢を見ているようだ』

浬は七瀬を傍(かたわ)らに座らせるとフローラから聞いた話を語り始めた。それはミニョンとジュンサンの不思議なシンクロ現象だった。


共にニューヨークで生まれ育った二人は高校生になる頃、数学オリンピアード韓国代表になるため、ジュンサンはソウル科学高校へ入学し、初めて離れ離れになったという。その後、彼は父親を探すべく春川(チュンチョン)へ転校した。

ミニョンが17才の冬、12月31日。フローラはその日、彼とデートの約束をしていた。ミニョンは待ちきれなくて、朝早くフローラを起こしに裏庭の近道を抜け、彼女の家に向かっていた。何か胸騒ぎを覚えたフローラは家を飛び出し裏道を急いだ。ミニョンの姿が見えた時だった。彼は小高い築山に積もった雪で足を滑らせた。不意に身体が高く舞い上がると雪面に強く叩きつけられた。それはまるで何かに撥ね飛ばされたようだった。


その頃、ソウルから少し離れた春川は午前0時を迎えようとしていた。12月31日、韓国ではあと少しでニューイヤーだった。ジュンサンが春川(チュンチョン)で交通事故に遭った時刻とミニョンが雪で足を滑らせ、不自然に身体が舞い上がった時刻は、同じだったという。

それだけではなかった。頭を打ったミニョンは意識が朦朧(もうろう)とした中で『月が出ていた』と呟(つぶや)いた。真昼の月かと思ったが更に決定的だったのは『夜空に花火が上がっていた』という。その後、意識が戻らないジュンサンはヘリコプターでソウルのセウン病院へ運ばれた。綺麗な月が雪が晴れた空を照らしていたそうだ。

ニューヨークとソウルの時差は14時間。まだ、昼前だったニューヨークでは綺麗な月もニューイヤーを祝う花火も上がっていなかった。

後にジュンサンは意識が戻らないままニューヨークへ転院し、目覚めた時には、それまでの記憶を失い、新しいミニョンという人格が生まれていた。血縁がないにも関わらず、ましてや移植手術をした訳でもない二人が、それぞれ生死をさ迷う体験をした中でシンクロし、多重人格を生み、もう一人の自分を名乗る人格と闘い消し去った。人知を超えた現実の姿が、そこにあったという。セウン一族のトップ、イ・テワンが心臓移植による記憶転移が起こった白浜杏里に手を差し伸べたのは、そんな経緯があったからなのかも知れない。

七瀬は静かに浬の胸に顔を埋(うず)めた。イ・テワンの人生に起こった衝撃の出来事は数知れないというのは知っている。ただ、一つだけ聞いても、どんなに辛かったかと思うと胸が痛む。優しく髪を撫でながら浬は言った。
「イ・テワン会長の担当が佐倉七瀬で良かったな」
「本当に私でいいの?」
「あぁ、もちろん。俺の誇りだ」
「ありがとう、先生」
浬は涙ぐむ七瀬の頬を慈しむように包み込んだ。
「たぶん、ソン・セナさんは今夜、杏里ちゃんから離れ、姿を消すと思う」
「そんな」
「会長は分かっているだろう」
「明日じゃダメなの?」
「空港で別れを告げるのは杏里ちゃんだ」
七瀬は無言で頷(うなず)いた。

それから二人は各々の仕事を淡々とこなした。夕方が近づき、イ・テワンの家族と共に白浜杏里と母親、そして天堂浬と佐倉七瀬はダウンタウンのフレンチレストランへ向かった。

高級感漂うフレンチレストランの一角は、和やかな雰囲気に包まれていた。長年通い、慣れ親しんだイ・テワン一家をスタッフは心地よいもてなしで対応した。古参のスタッフの一人は白浜杏里に若きセナの面影を重ねたのは言うまでもない。
「本当にセナ様にお会いしているようで、なんとも嬉しく存じます」
老齢の彼は目を潤ませ声を震わせた。
「明日、お帰りになるのですか。どうぞ、お元気でお過ごしください」


テワンもまた、セナとの別れの時が近づいていた。
「少し早く行くわ。空港でお別れするのは杏里ちゃんですもの」
「夢だったのか。いっそ、そう思いたい」
「いいえ、あなた。本当に大切なものは目には見えないのよ」
セナによく似た仕草で杏里はテワンを見つめた。
「星の王子様でキツネが言った言葉、覚えてる?」
楽しそうなセナはクスクス笑いながら言った。
「『ものごとは心で見なくてはよく見えないんだ。一番大切なことは目に見えないんだよ』テワンお兄さんが教えてくれた言葉よ」
「あぁ、そうだった」
「私が母の療養で韓国へ帰国することになった時、私に好きだと告白してくれたわ。必ず会いに行くと。あなたは一人でニューヨークから春川まで会いに来てくれた。14才のあなたは私にプロポーズしたわ。そして離ればなれになったお母様に会いに行く勇気をくれと」
「足がすくんで怖くて震えていた僕を、君の言葉が勇気を持ってと後押ししてくれた。だから母に言えた。あなたの息子ですと」
「テワンお兄さん」
「セナ、ありがとう」
「ミニョン、愛してるわ」
「ママ…」
「もう行かなくちゃ」
杏里の中からセナの気配は消えていた。
「ママもブイヤベースを堪能して行ったかな」
ミニョンの穏やかな声に誘われ、皆はまた食事を始めた。
「何が一番美味しかったか聞けば良かった」
ジェヨンの言葉に妻のミミは大きくなったお腹に話し掛けた。
「赤ちゃんは女の子だから、きっと答えを教えてくれるわ」


帰宅してからも七瀬は思い出しては何度も涙を拭(ぬぐ)っていた。二階から手を繋いで降りてきた浬と七瀬はリビングの入り口で足を止めた。

テーブルの上に星の王子様の本が置かれている。テワンは懐かしそうに手に取ると、感慨深げにページを捲(めく)った。その両側に寄り添うのは
ミニョンとジュンサンだった。
「子供の頃、ママがよく読んでくれた。ジュンサンも一緒にね」
「あぁ、覚えているよ。セナおばさまはとても優しかった」
ジュンサンは懐かしむように呟(つぶや)いた。
「天体観測」
「僕は宇宙飛行士が夢だった」
「今は子供たちに夢を与える作家だ」
「君は建築家だ」
三人は天堂浬と佐倉七瀬を呼び寄せた。
「一緒にココアを飲もう」
「セナが亡くなる最後の晩に飲んでいたんだ」
「僕がパパとママにココアを入れた。今日も僕が入れよう」
ミニョンは暖かなココアを配るとジュンサンをからかった。
「ユジンを慰める時にココアを飲ませたんだって?」
「彼女が言ったのか」
「ジェヨン、ミミにも作ってあげようかなと言ってた」
ココアの優しさと共に笑い声が起こる。
「天に帰ったのであればいつでも会える」
「ママならもっと近く、月にいるのかも」
それに応えるように窓辺から月の光が差し込んだ。
「ママの置き土産かな。月の欠片だ」


ココアを飲み終えた浬と七瀬は部屋に戻ると仲良く寄り添いながら月を眺めた。
「ベストセラー作家の発想は素晴らしいな」
「月の欠片」
「子供の頃、俺も好きだった」
「星の王子様、先生が?」
「おかしいか?」
「ううん」
「亡くなった人の記憶は何処に行くんだろう」
「私は満月から欠けた月の見えないところにあるんだと思う」
「見えないところに本当のことがあるか」
「月の欠片は私が先生を覚えていたこと」
「こうしてニューヨークで二人過ごした時間を月の欠片に刻もう」
「先生、ロマンチック」
「悪いか」
「ううん、とっても素敵」
「月が見えなくなるまで夜通し抱き締めてやる」
愛しさが募(つの)る二人の影が重なると、月は優しく甘い恋の吐息を照らした。


最終話へ続く…

第20話.真夏の雪


最終話.桜の下の待ち人



風月☆雪音