恋はつづくよどこまでも二次創作小説【NYランデブー:第20話.真夏の雪】 | 風月庵~着物でランチとワインと物語

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毎日着物で、ランチと色々なワインを楽しんでいます。イタリアワイン、サッカー、時代劇、武侠アクションが大好きです。佐藤健さんのファンで、恋はつづくよどこまでもの二次創作小説制作中。ペ・ヨンジュンさんの韓国ドラマ二次創作小説多々有り。お気軽にどうぞ。

【NYランデブー:第20話.真夏の雪】

ニューヨークの夏は暑い。そう思えるのは7月で、30℃を超える日が続いたかと思うと、急に空が真っ暗になり、土砂降りの雨が容赦なく降り注ぐ。ビルの間に間に稲妻の閃光が走り、時折 避雷針に落ちた雷が一瞬の刹那と共に消えていく。それは摩天楼に映る短くも儚(はかな)い夢のようでもある。


8月も半ばを過ぎると真夏の暑さは鳴りを潜(ひそ)め、まるでスピーカーから流れる下校時刻の気だるいトロイメライのように、そろそろ帰り支度を始める。日に日に長く伸びる影に秋の気配を感じる頃には、カレンダーの8月の残りもあと僅(わず)かだ。トロイメライとは夢の意味。人が隣に寄り添うと何故か儚(はかな)いという文字になる。8の数字はメビウスの輪のように永遠を刻む一筆書なのに、陽炎(かげろう)は去り行く人の記憶のように、揺れて揺れて、儚(はかな)くも切ない。


そんなニューヨークの夏の様子を子供たちの次の本の題材にしようとしているのは、イ・ジュンサンことミニョンだった。彼は児童書の世界的ベストセラー作家で、今は各方面でマルチに活躍している。朗読やエッセイ、イベントの企画と忙しい。それはいつも何かしら、人々が手を休めて聞き入る魅力的な声と言葉から紡(つむ)ぎ出されていた。

当初、入院していた子供たちのために書いた『アスティとタルト』シリーズは大学生の頃からなので、もう何十年と続いている。子供たちは大人になり親となり、また自分の子供たちが読み繋いでいる。新刊が出ると書店に行き、平積みになった本を手にする時、少しばかり腰を曲げて手を伸ばす。あの頃は目の高さにあった絵本が、今は大人になった分だけ距離が出来た。ただ、それだけ。それだけの違いしか思い当たらない。決して遠くなった訳ではない。手の届く距離にいつでも懐かしい『アスティとタルト』はいて、本を開けばそこにまた新しい『アスティとタルト』の物語がある。間違いなくそう思えるのは、自分の顔が嬉しさと楽しさで綻(ほころ)ぶのが分かるからだ。

そんな『アスティとタルト』のファンである子供世代の一人、白浜杏里は、頬杖を付きながら新作の資料に目を馳せるミニョンの顔を瞬(まばた)きもせずに眺(なが)めていた。さすがにこそばゆくなったミニョンは手を止め、顔を向けた。
「僕の顔に何か付いてる?」
「あっ、ごめんなさい」
「謝ることなんてない、ちょっとくすぐったかっただけさ。懐かしいな」
そう言いながら脳裏に浮かんだのは誰なのだろう。初恋はユジンだと知ったフローラは子供のように泣きじゃくった。恋に年齢は無い。燃えるような思いが、胸の奥底で燻(くすぶ)っているような気がする。燃え残った恋文の焼け焦げは、今は赤ワインの湿った森の落ち葉の香りに変わっているけれど、若い君はまだ恋の言葉さえ綴(つづ)っていない。


「それより杏里ちゃんの興味は『アスティとタルト』の次回作なんだろう」
「そうだけど、資料を見ている時のミニョンさんも素敵だなあって」
「ありがとう」
ミニョンは満面の笑みを浮かべると杏里を見つめた。
「わっ、恥ずかしい」
ポッと頬を染めると杏里は両手で顔を覆(おお)った。
「あぁ、僕はたぶん君のお父さんより年上だと思うけど、嬉しいな」
「私、お兄ちゃんとは10歳離れているから、ミニョンさんはお父さんより少しだけ年上です」
「そうか、10歳年上か」
「大学生だから、いつも私は子供扱い。喧嘩してもお兄ちゃんはウンウンと笑っているだけ」
「それは喧嘩にはならないね」
「そうなんです」
杏里はプゥと可愛らしい頬を膨らませた。
「喧嘩したい?」
「しない方がいいのは分かっているけれど、友達の兄弟喧嘩を聞くと、ちょっと羨(うらや)ましいかな」
「お兄さん、優しいんだよ。それに杏里ちゃんの事が可愛くて仕方がないのさ」
「それは嬉しいけど」
杏里は僅(わず)かに目を伏せた。
「私、小さい頃から何度も入院していたから、お兄ちゃんは気を使っているのかな」
「そう思うと苦しいか」
「よく分かんない」
幼い杏里は素直にそう答えた。

ミニョンは手にした資料を置くと、杏里に問い掛けた。
「僕は一人っ子だけど、生まれた頃からずっとジュンサンと兄弟のように育った。同い年で、誕生日も近くて、子供の頃は双子のようにそっくりだと言われたよ」
「ディナーの時にお会いしました。今でもとても似ていると思います」
ミニョンは片方の口元を上げるとフフンと笑って見せた。
「よく悪戯(いたずら)して二人で入れ替わったよ。そうしようと言うのはいつも僕だった」
「双子のようにそっくりだったのに?」
「似ていたのは外見だけさ。性格も成績も違ってた。ただ一人、直ぐに見破るのはママだった」
「ソン・セナさん」
「あぁ、杏里ちゃんはママにそっくりだから、僕は今も叱られているような不思議な気分だ」
「ごめんなさい」
ミニョンは声を上げて笑い出した。
「冗談だよ。ただ、懐かしいんだ。一瞬で消えてしまう夢であってもね」
「私もお兄ちゃんは大好きです。医学部の勉強をしている真剣な横顔は素敵だなって、いつも思います」
その目は誰かを思い浮かべていた。
「もしかして、お兄さんはDr.天堂に似ているのかな」
「あっ、いえ…少しだけ」
恋する少女の理想は兄なのか、それとも年上の担当医なのか。
「僕とジュンサンが多重人格になり、交互に入れ替わったことがあったのは知ってる?」
「詳しくは分からないけれど、そういうことがあったと聞きました」
「互いに改名はしたけど、今は二人とも自分自身だよ」
ミニョンはそう言ってから『あぁ…』と首を横に振って言い直した。
「僕の中にはイ・シン王子が残った。別人格のミニョンがジュンサンを乗っ取ろうとしたのを防ぐのに力を貸してくれたからね。感謝しているんだ」
杏里は柔らかな笑みを返した。
「私、分かるかも知れない。心臓移植のあと目を覚ましたら、私の中で優しい誰かが話し掛けてきた。もう、大丈夫。怖くないよって」
「上条葉月さんか」
「私の知らない風景や思い出や、ピアノや歌や、一番楽しかったのは、思いっきり走ってた」
杏里は窓の外に広がる夏の空に目を向けた。
「ジャンプしたら空に手が届きそうで、凄く気持ち良かった。それまでで一番綺麗な空だった。最後の記憶、葉月さんが事故に遭う前…」
「杏里ちゃん、思い出さなくてもいい。それは君の記憶ではない」
「大丈夫です。葉月さんの事故の記憶は目隠ししてくれるから。私はその頃、まだ眠っていたみたい」
「そうだね」
「今でも時々、眠くなるの」

ミニョンは頭(こうべ)を垂れた杏里の手にそっと手を重ねた。
「葉月さんだけじゃない。ママも力を貸しているんだろう」
「ミニョン」
「さすが、ソン・セナだ」
「あなたもよ、素敵な作家になったわ。世界中の子供たちが心踊らせる物語を、今も書き続けているなんて」
「アスティとタルトは最初、僕とフローラが入院したり施設で暮らす子供たちために作った手作りの絵本だった。でも途中で気づいたんだ。この小さな妖精は普段は周囲には見えない。自らも楽しむが、そっと寄り添ったり助けてくれたりする。パパやママでもあり、ジュンサンとユジンでもある。僕の中にいるシン王子や上条葉月さんでもある。だから、杏里ちゃんの中に葉月さんがいても、いいんだって」

杏里はゆっくりと目を開けた。
「ありがとう、ミニョンさん」
「上条葉月さんだね」
「えぇ、セナさんと一緒にミニョンさんのお喋りを聞いていました。セナさんはとても嬉しそうでした」
「ママは、あとどれくらいいるのかな」
「たぶん、杏里ちゃんがニューヨークにいる間は一緒にいるようです」
「そうだね、あとはあの少女の頃の写真に戻るんだ」
少し憂いた表情になるのは致し方ない。ミニョンはそれでも言った。
「真夏の雪でも降らないかな。一瞬の幸せ、儚(はかな)くても夢から覚めるより僕はそれを望む」
「ミニョンらしいわ」
セナの口調で杏里は答えた。
「葉月さんの夢も忘れないで。叶えてあげたいわ」
「ジュリアード音楽院か」
「えぇ」
「それなら僕の出番だ」

ミニョンはテーブルの上に散らばった次回作の資料を片付け始めた。トントンと紙を整える音に杏里は目を覚ました。
「ごめんなさい、私…眠ってしまって」
「僕はしょっちゅうだよ。ナルコレプシーだからね」
そう言うとミニョンは杏里に耳打ちした。
「僕の場合、その間はシン王子が何があったか、あれこれ教えてくれるんだ。杏里ちゃんも葉月さんは、そうしていない?」
杏里は胸の中で葉月が笑顔で頷(うなず)くのを感じた。
「たぶん、そうです。今も真夏の雪が見たいと」
「それ、直ぐに叶うかも知れない」
思い当たる節でもあるのだろう。ミニョンは開け放たれたドアの向こうに視線を移した。
「Dr.天堂、佐倉七瀬。恋する二人はパワー全開だ。それから葉月さんが好きだった上条周志(ちかし)さん、パパとジュンサン、ユジン。そうか、フローラとシンシアの力も借りよう」
自分たちの名前が出た天堂浬(かいり)と佐倉七瀬は顔を見合せた。
「目が丸すぎる」
「先生、私は真夏に雪を降らす魔法なんて持っていません」
「答えになっていない」
「じゃあ、天堂先生、魔王はそんな事まで出来るんですか」
「答えたくない」
「す、凄い。流子さんは?まさか、お父さんまで!」
呆れ顔の天堂浬はミニョンと視線を合わせた。
「申し訳ありません。このようにロマンの欠片もないもので」
「そんなことはありませんよ。七瀬は純粋で暖かな心の女性です」
「もちろんです。たまに暑苦しいんですが、それも可愛くて」
「はい、よく分かります。七瀬は実に可愛らしい」
「私のこと?誉めてるんですよね、先生もミニョンさんも」
「図に乗るな」
「貶(けな)しているの?」
「何か貶されるような失態でもしたのか」
「いいえ、していません!」
ブンブン顔を横に振り、否定する七瀬に階段の下から上条周志が声を掛けた。
「七瀬ちゃんのその顔、写真に撮ってもいい?」
「ダメです」
「天堂先生が答えるなよ。僕は七瀬ちゃんに聞いたんだ。ミニョンさんと二人で可愛らしいを共有しないで欲しいな」
「一枚くらいなら」
「ダメだ」
「それなら皆、一緒に撮りましょう」
タイミングよく顔を出したジェヨンのカメラに、皆は笑顔で収まった。ミニョンは軽快なステップで階段を駆け降りると、クルリと振り返った。
「一日待ってくれ。真夏の雪を用意しよう」

セントラルパークの一角、野外音楽堂ではジュリアード音楽院の学生たちがチャリティーイベントの演奏を行っていた。ミニョンは以前から『アスティとタルト』を通じて、病気で入院や治療中の子供たちへ励ましと募金活動を行っている。今回はそれに賛同したジュリアード音楽院の学生たちが、オペラやジャズ、クラシック演奏と多彩な姿を見せている。その後ろではベンダーと呼ばれる屋台が並び、お腹をくすぐる美味しい香りを漂わせている。その中にはデザートも並んでいた。ニューヨークのアイスクリームをはじめ、イタリアのジェラート、長く伸びるトルコアイス、韓国のパッピンス、そして日本のかき氷も、所狭しと並んでいる。

冷たいデザートを買い求める人々が列をなして並んでいる。天堂浬と七瀬は冷たいデザートを手際よく渡していた。上条周志も慣れない手付きでかき氷を削っている。小児科医のフローラとシンシアは子供たちの健康相談を行っている。健診カードは『アスティとタルト』のイラスト入り。スタンプを集めるとシールがもらえる。大きなかき氷の周囲に並べられたフルーツとアイスクリームのパッピンスはスタンプを見せるとアイスクリーム、1個おまけだ。

ミニョンはかき氷を手伝う杏里を手招きした。暑さの中でも涼しげな表情で彼は話し掛けた。
「アスティとタルトの次回作、今度は南半球を考えているんだ。季節は北半球と逆になるだろう。ニューヨークのクリスマスは真冬で雪が降るけれど、オーストラリアのクリスマスは真夏だ。サンタクロースはサーフィンもしいてる。だから真夏に雪を降らせたら素敵なクリスマスになるんじゃないかって」
「だから、かき氷や冷たいデザートを用意したんですね」
「元々、各国の料理を出す予定だった。それに冷たいデザートを加えただけさ」
そこへやって来た上条周志は首から下げたタオルで汗を拭(ぬぐ)った。
「簡単にいうけれど、かき氷を削る器具なんて早々見つからない」
「だから君に頼んだ。上条財閥の上条周志さんなら必ず見つけてくれるだろうと」
「かき氷は葉月も好きだったからな。用意しないと仕方がない。何で無いのって、怒られそうだ」
クスクス笑うミニョンは杏里に楽譜を手渡した。
「これ、何?」
「僕とシン王子からのプレゼント」
「私にどうしろって言うの」
「今から君が弾くんだ」
「ショパン第6番英雄ポロネーズ、こんな曲、弾けない」
「葉月さんなら弾ける。何故ならショパンコンクールの中の一つだからだ」
ベンダーから降りてきた天堂浬はバンの上に登ると、掛けていた白いシートを外した。そこにはもう一台の、かき氷機が姿を現した。七瀬が氷の塊を天堂先生に手渡す。
「上条さん、出番ですよ」
七瀬の可愛い笑顔に手を振りながら、長身の周志は少しばかり膝を折り、杏里に視線を合わせた。
「あのかき氷機、2台見つけるのに苦労した」
「お兄さんなら見つけられたはず」
「葉月だって弾けるだろう」
「分かった、行ってくる」

ショパン第6番英雄ポロネーズの調べに合わせて、かき氷機から真夏の雪が降り始めた。


鍵盤の先に雪が降る真夏の空が見える。青空と白い雲、キラキラと輝きながら雪は溶けていく。

一瞬の幸せではない、もっともっと長い。

ピアノを弾いている時間、私は幸せの中にいる。

ありがとう、杏里ちゃん

ありがとう、天堂先生、七瀬さん

ミニョンさん、そして周志お兄さん

私は今、ショパンコンクールで弾いている。

杏里の小さな手が、精一杯指を伸ばし身体が躍動する。一瞬の煌(きら)めきを次々と繋ぎ合わせるように、ショパンの英雄ポロネーズが流れていく。

いつしか真夏の雪の跡に虹が掛かりはじめた。
「シン王子、見えますか」
ミニョンの言葉にシン王子は嬉しそうに頷(うなず)いた。
「私も感激しました」
そして不思議な言葉を呟(つぶや)いた。
「虹の中に、上条さんと少し大人になった杏里の姿が見えた気がしました」
「さて、年の離れた兄と妹のようになるのか。それとも恋人同士になるのか」
「伝えなくも良さそうですね」

バンを降りた天堂浬は七瀬の肩を抱いた。
「真夏の雪、本当に降りましたね」
「あぁ、綺麗だ」
「私は先生とのアイスクリームデートを思い出しました」
「それで何が欲しいって」
「言わなくても分かっているくせに」
真夏の雪が降り注ぐ中、浬は七瀬の口元に付いた雪を自らのキスで拭(ぬぐ)った。
「ライスシャワーみたい」
「それは結婚式に取っておけ」
「治療じゃないなら、もう一回」
「欲深い奴だ」
「先生だって」
「分かっているなら言うな」
真夏の雪の向こうに、嬉しそうにピアノを奏でる葉月の姿が見えた気がした。


第21話.月の欠片



第19話.サウタージ 苦く切ない憂鬱




風月☆雪音