イブリースは、人間に”幸せ”と称して不幸を約束する。
イブリースは現実をかえる力などもて合わせていない、それは神様しかできないんだ。
イブリースができるのは、思わせること。つまり、だます事。なので、彼は審判の日に、自分の過ちを彼のせいにする人間に言う、ついてきたのは君たちでしょう、と。
それが、魔法というものの本当の姿。魔法というのは、存在する。だけど、それに現実をかえる力はなく、現実を見る人の目をくらませるだけのもの。今のメディアに似てるね。
このペンダントを身に着ければ、ほら美しさ漂う毎日に。。。このメイクアップで貴方は幸せな女に。この車に乗れば、世界が貴方のものに....などなど。魔法の一種だ。
それで、貴方を自分から奪う。それが、つまりは悪魔との取引だ。
悪魔に魂を売る話は、アニメや小説では出てきても、誰も信じない。
毎日、みんながやっていることだ。
テレビは信じても、自分の心の声は信じないひとの多いこと。
つまり、魂を売るというのは、意思を売ってしまうのだ。
動かされるままに、動いて、心に背を向けて、欲に従い、目に見える物に囚われてしまう。偽りの幸せの幻想にとらわれて。いつまでも目を覚ますことなく、夢を見続けてるようなものだ。
アダムは最初天界にいて、神様はアダムの骨から、イブを作った。アダムとイブは天国ですごしていた。
イブリースはアダムとその子孫を自分が自分を追いやってしまった、”分裂”という地獄に巻き込もうと、アダムとイブにささやいた。神様がこの木にだけは近づいてはいけない、といった木の実を食べると、永遠の命が手に入るのだと。
アダムは忘れてしまった。永遠などすでに持ち合わせているものだと。なにか手に入れることで、なにかすることで、なにかが変わることなどないのだと。
その幻想にすっかり飲み込まれてしまった。自分が一人ぼっちだというイブリースが作った幻想に。自分は一人ぼっちで、力を手に入れないといけない。
イブリースは今も同じ形で人間の目をくらまし、人間は同じ手にひっかかっている。遠い昔なんてもんじゃない。同じことの繰り返しだ。
ほら、こんなんで大丈夫なの。あれもこれも手に入れなきゃ。強くならなきゃ。大きくならなきゃ。
全部、幻想だ。貴方にはなにも必要ない。
逃げ場なんてないの。みんな同じ場所に帰る。みんないずれは死ぬでしょう。それを、そんな当たり前のことを、みんなに忘れさせる。まるで、この短い人生が永遠かのように、思わせる。
死さえも、逃げ場ではない。死というのは、自分の存在の形が変わるだけで、存在しなくなるわけではない。
今の貴方の心の状態の延長だと思っていい。
このままでは、アダムの子孫は真実を見失ったまま、暗闇にさまようことになるので、神様はメッセンジャーを送った。
メッセンジャーというのは、天界と繋がっている人間だ。人間で、人間の欲を持ち合わせている。天使などではない。
天使は欲を持たない。自我を持たない。天使は光でできている。
聖者と呼ばれる人間も天界と繋がりを持った人間。本物を見分けるのは、簡単。
本物は見返りを待たない。ひたすら与える。そして、自分へ人を招くのではなく、神様へ引っ張っていく。自分はただのリンクなのだということを強調する。
そしてメッセンジャーのみな、なんらかの奇跡を与えられた。目に見えることしか信じない人のためだ。
それでも、モーゼを信じた人々は、神を見せろなどと、おろかな事をぬかしたのだけれど。
なんで、目に見えることだけを信じるんだろう?
貴方を見せてと私が言ったら、貴方はどうする?
自分が書いた絵や文や、作った音楽を通して、自分を見せるしかない。それでも、伝わらないこともある。自分でさえ知らない自分というのもある。
それをみせてといったら?
みせられないでしょう。目には見えない。絶対。だけど、貴方はそこにいる。誰にも見えないのに。
誰にも見えないからといって貴方は自分の存在を疑ったことはあるか?
神様の存在を疑うというのは、それと同じ。それほど、ありえないことなのだ。
神様の存在は、貴方の存在だから。