神様を信じると、自由になれます。
神様以外、何も価値がなくなるのです。だって全て、神様から来て神様から帰るのですから、理屈も、世間体も、過去も未来も、計画も夢も全て、一つに絞られるのです。
あなた。私に存在を与えたあなた。それだけ。
バラバラだった自分が、結晶化されるのですよ。そのパワーは偉大です。それはもはや、何々さんという一人の人のパワーではなく、果てしない存在が自分を通して現実化するパワーです。
そのプロセスは、スムーズである人もいれば、苦しみを伴う人もいるようです。その苦しみというのは、死ぬことと似ています。ある意味あなたは死ぬのです。
最後のメッセンジャームハンマドの言ったこととも重なります。”死ぬ前に死になさい”。と。
何々職についている、何々さんという、この世で生活している貴方とはお別れです。
長い間付き合ってきた自分ですから、それは中々苦しいものである場合が多いのです。
何が好きで何が嫌いとか、こういうときはこういうリアクションをするとか、こういう人たちとつきあっているとか。どんどん変わっていくのです。
一旦、神様を信じて、自分の全てを任せますと、周りのものがぱっと変わっていきます。
問題は、そういう時、信じるのを辞めないことですよ。祈り続けるのです。
私の心を貴方の元から離さないでください、と。
手放していくのですよ。自分を縛っていた自分を。
変わっていく自分を、生活を拒まずに、ただ一つの終点へ向かうのです。
向かうというのも、考え抜いたり、あがいたり、なにかするわけでもなく、ただ任せるだけでいいのです。
本当の自分なんぞや?という質問の答えは、これでわかります。考えて分かるものじゃないんです。
頭で納得しようとしている自分がぱっと頭を出すときに、すばやく”自分接点思考”から、”神様接点思考”に切り替えるのです。なに簡単です。
神様の愛を思い出すのです。
全てのものにありふれています。目を閉じて思い出すだけでも、それを感じ取ることができます。神様を思い出して、その名を言うだけでも、自分の内側からにじみ出てきます。
その愛のしずくたちがどんどんあふれて海になるのです。そして自分の中にきれいな花園ができます。その花園が貴方の家です。
その花園のメンテナンスは、祈り、思い出すこと。それだけで、やさしさが内側から湧き出してくるのがわかります。そしてそれはあるとき、家族や周りの人への思いやり、許すことに現れます。
その思いやりは実は貴方から他人へではなく、本当は神様から貴方へ、なのです。他人を許す行為は本当は、自分を許す行為です。
抽象的なことではなく、神様はいろいろと日常生活どうやってその花園をケアするかを教えてくださいました。メッセンジャーの話を読めばわかります。
ですが、教えのもっとも根本的な部分がこれです。愛です。
教えのプラクティカルな部分ばかりを追求しようとすると、まぁ、世間の言う、宗教マニアみたいなものになってしまう危険性があります。心の部分が伴わないとならないのです。
心さえOKなら、体全体OKになります。これは、最後のメッセンジャームハンマドもおっしゃいました。
イスラーム。任せる。自分を創った本人のほうが自分より自分を知り尽くしているのです。
誰よりも貴方を知っていて、誰よりも貴方を愛しています。思い出しさえすれば、貴方のそばにいつでもいます。
貴方の心の奥底に潜んでいる、”知らない誰かへ恋焦がれる気持ち”、”まだ知らないどこかへ引かれる気持ち”。そういう気持ちを無視して生活していく人々。
みんな、それを”青春”とか、過ぎる一時的なものと片付けて、心に背を向けて生きていきますが。
その気持ちは本物です。その呼ぶ声は本当です。自分の心の声を聞いてください。
全ての始まりであり、全てが帰るその場所を求めることで、全てから開放されます。
自由を求める貴方。
思い出すだけでいいのです。呼んでみてください。心で呼んでみてください。
それだけで道が開かれます。
