イノセントなもの | バディの日記 

バディの日記 

飼い主がシニアになって、会社・学校を辞めてはじめて自由人になった。
先延ばしにしてきたことを、これからやるって言ってるけど、どうなることやら。

こんばんは。バディの飼い主です。

先日、本好きの仲間の集まりがあって、ティーンエイジャーにお勧めの本を探して持ってくる、という会だった。


私は若い頃読んで面白いな、と思った
サリンジャー の「キャッチャー イン ザ ライ」(ライ麦畑で捕まえて)
にしようかと思い、再読してみた。

どんどん展開が楽しみで引っ張られて走ってついていく、というよりはへえ、こんな話だっけ、ふんふん、と若い頃はスピード感をもって読んだのが、今回は法定速度を守った運転よろしくゆっくり読めた。


なにしろ主人公のホールデンは高校をやめることになり、寮で一緒の同級生と一悶着起こした後、そこを出て先生の家を訪ねたり、ホテルに部屋をとったり、娼婦を呼んでみたり、お酒を飲みに行ったり、音楽をきいたり、ガールフレンドを呼び出して芝居をみたり、とにかくニューヨークの街をずーっとさまよう。ずーっとお酒も飲んでいる。そしてずーっと語り続ける。

唯一の心の通い合う存在が妹のフィービーで、両親の留守を確かめて、家に入り会話を交わす。

それからまた外に出て歩き続けて、、。


この、延々と話し続ける感じ、私が高校時代に夢中になった庄司薫さんの「赤ずきんちゃん気をつけて」を連想して、懐かしい気持ちにもなった。



ともかく、サリンジャー を推薦するにはもう少しサリンジャー について調べようと思い何冊か読んでみた。


彼の小説の特徴に、子供と戦争が必ず出てくるとあった。「キャッチャー イン ザ ライ」にも幼い妹がでてくるし、戦争の描写はないが主人公の兄、DBは戦争帰りの若者だ。


さらに調べると、サリンジャー 自身が20代でノルマンディ上陸作戦に加わるためイギリスに行き、部隊に入りドイツで終戦を迎えていることがわかった。彼の父はユダヤ人。ドイツではナチスによるユダヤ人に対する非道な行為の跡も目の当たりにしたのではないだろうか。彼はドイツで精神的ダメージのため入院している。


そんな中、彼の珠玉の短編がある、とのことで読んでみた。

「ナイン ストーリーズ」に入っている

「エズメに 愛と悲惨をこめて」

これが良かった。ほんとによかった。

何度も読んでしまった。


もちろん、子供と戦争はでてくる。


最初は、アメリカにいる男性がイギリスの女性から手紙を受け取った話。手紙の内容は、彼女の結婚式への招待だった。

行こうと思ったけど、結局はやめる。けど、6年まえに彼女と出会ったことを書き留めよう、という。


そして話は6年前、彼はイギリスのデヴォン州でアメリカの兵士として諜報機関の研修を受けていて、その最終日、大雨の夕方に街に出て教会の聖歌隊のお知らせをみて、そこにはいる。

そこで最前列の13歳ほどの女の子に目を留める。とても美しい歌声でみんなを引っ張っているのが分かったから。

その後お茶をのみに近くの喫茶室に入るとその女の子が偶然はいってきて、二人の間に会話がうまれる。


それがとても示唆に富んだ会話なのだ。

彼女は別れ際に手紙をかくという。


そして場面がかわり、彼はドイツにいる。体も心も疲れ果てている。入院もしていた。彼にはいろんな手紙や荷物が届いているが、それらをみようともしない、が偶然あの女の子(エズメ )からの手紙と小包を見つける。そして、、、。


私はこの短編を推薦することにした。

人は心身ともに疲れ果てているときには、イノセントなもの、無垢な存在が必要なのだと思う。


人はしばしばそれを小説の中にみつける。

サリンジャー は自分を救うために、イノセントなものを常に小説に書いたのではないだろうか。


ちなみにウチには本を読まない人がいて、彼はいま心身共に弱っている。

彼の最近の口癖は

「バディがいてくれたらな」

「バディに会いたいな」


そう、彼にとって唯一の無垢なもの、バディを失ってしまい、そのことにどう折り合いをつけて良いかわからず、未だ彷徨っている感じなのだ。

我が家のイノセントな存在をなくしてから、もう10ヶ月、まだ10ヶ月。