8月10日に退職しました。やったぜ。


仕事と言っても、所詮は6時間パート。

暇な人がちらほらいる部署で、

僕も例に漏れず暇気味でした。


毎日ほとんど仕事をせず、

ネットサーフィンをしたり、

自前のホームページをいじったり。


なぜなら、

ちゃんと仕事をしたら1時間ほどで

終わってしまうから。



まあ、そんな仕事でも4年間続けました。



なぜ退職に至ったのか。


7月末から胃が死んでしまい、

数キロ痩せ、精神面もかなり荒れていました。


8月頭の休日には、自宅の中で叫ぶわ暴れかけるわで、父親に抑えられベッドに寝転びながら号泣し、数年分の涙を流したんじゃないかというくらい泣きました。声を上げて泣いて、手が震えるほどに。


現在、170cm47kgのガリガリ男です。

まあ、もともと50kgギリギリくらいでしたけど。


ただ、血液検査には特に問題なく、

体重についても消化器内科の先生からは

「健康で問題ない」と言われています。


脳外科の主治医からは、

「健康ではあるけど、

 アバスチンも打っているし、

 痩せていると抵抗力がないからね」と。


でも、健康なのである。


アバスチンを始める前は58kgほどありました。

始めて1年目に下痢に悩まされ、

胃も不調になり、1年で8kg減りました。


今でもアバスチンの点滴後は、

7日ほど下痢しやすいです。

下痢止めの薬で凌いでいます。




僕は、しんどくてもほとんど涙が出ない。


というより、

「泣いてはいけない」

「堕ちてはいけない」

どこかで思っていたんだと思います。


今まで色々大変なことだらけな中、

頑張りすぎて疲れました。


点滴の日以外の通院日も

休むことなく出勤していました。


退職日に職場の方から、

「通院大変なのに、ほとんど来てたもんね」

「ほんとに頑張ってるし、しばらくゆっくりしてね」

などと声をかけてもらいました。



ああ、俺、結構頑張ってきたよ。




振り返ってみると、

大学進学の頃からずっと無理をしていたのかな。


そもそも大学に行きたいと、

心から思っていたわけではありませんでした。


「行って何の意味があるんだろう」

「学歴に意味はあるのか」


そんなことより、自分の身体がこれからどうなっていくのか、そっちのほうがずっと不安でした。


高校3年生になり、

夏まで相談室登校、その後は不登校。


その間、まともに勉強した覚えもなく、

もう勉強が嫌になっていました。


仮に進学しても4年間持つ気がしない。

夏は専門学校を軽く調べるだけで終わり。


一応問題集は開き、

無意味に引きこもってるわけじゃない

と自分に言い聞かせながら、

YouTubeでお笑い番組やアニメを観続けました。


友達や高校の同級生はみんな進学するので、

「俺もやっぱり行く!」


と思ったのが入試直前。

当然、間に合いません。


それでも、

ある程度のレベルの私大に

進学することができました。


高校2年間の宿題予習地獄に耐えた貯金がなければ、

無理だったかもしれません。


県内トップの高校にギリギリ滑り込んだ僕は、

本質としては、学力は平均レベル。


勉強は決して得意ではなく、

表面的な理解で運よく凌いできた凡人です。


それでも、

その環境にいると嫌でも勉強から逃げられない。


変に負けず嫌いだったので、

学力競争から降りるという選択もできませんでした。


高校を辞めたときは、すっきりしました。



その後、大学に入学したものの、

1年の夏には片耳難聴から両耳難聴になりました。


本当にしんどかった。

それでも半期は通い、2年目に休学。


両親が下宿先に来てくれたとき、

2人が帰ったあとに号泣しました。


1年前期の頃から、

地元から下宿先に向かう電車に乗るたび、

泣きそうになってましたが。


大学に行かなくてよかったじゃん!

と言われそうですが。


それでも僕はやってみたかった。

経験したかった。

遅れを取りたくなかった。


幸運にも、大学でも友達には恵まれ、

1年だけだったけど、楽しい思い出ができました。


結果的にはしばらく休学したのち退学。

後悔はありません。多分…。


本当は…何もなければ卒業したかったけど、

人間関係やコミュニーケーションが不得手なので

学校に向いてないのですよね。そもそも。


決して我が家は裕福ではないけれど、

たまたま僕の大学進学時に父親が昇進したため、

県外で一人暮らしかつ奨学金なしで通学できました。


休学してからも

しばらく一人暮らしさせてくれました。


本当にありがたいです。


色々あったけれど、

僕はね、両親には本当に感謝しています。




さて、僕には引きこもりの弟がいます。


弟は重症筋無力症という難病があり、

中学1年生のときに、

初期症状である眼瞼下垂が現れました。


本人曰く

同級生から色々と言われたそうで。

そこから家に引きこもるようになりました。


僕自身も、

高校1年生の終わり頃に難病が発覚しました。

ちょうど弟が病気を発症したのと同時期です。


初期症状は治まり、

彼は通院制高校に進学するも、

ほとんど登校せず留年して退学。


今も引きこもっています。

身体は普通に動けるし、ご飯も結構食べています。


僕は弟とまともに話をしません。


ごくたまに話しかけても、

会話にならないというか…。


何年も前に自動車学校に通っていたようですが、

そこで"複視"という物が二重に見える症状が出て、

免許取得を諦めたようです。


「病院行けばいいのに」と言うと、

「治療法がわからない」と返ってくる。


「だから病院行くんでしょ?

 複視も良くなるかもしれないよ?」


と言っても無反応。


かれこれ十年近く、病院に行っていません。

健康診断も受けていない。

年1回くらいは医大行ったほうがいいのに。


昔のカルテは残っているので、

先生から弟さんはどうしてるんですかと

聞かれたこともあります。


いつも昼間も部屋真っ暗だし、

体は僕とは違い動くのに、何もしない。


常に何かのせいにして、家に引きこもり続ける。


僕には、そんな弟がいるわけです。

彼の気持ちは彼にしか分からないので、

僕は憶測であーだこーだ言うことはできない。




弟が引きこもり始めてからというものの、


「僕だけでもちゃんとしないと!」

「真面目に生きないと!」


と、必死になっていたんだと思います。


息子2人とも引きこもり。

そんな辛い思いを両親にさせたくない。


僕は1日中家の中にいることが

苦痛に感じる性格なので、

引きこもりなんて無理だけどね。



そしてさらに、母は別居しています。


あまりにも父と弟が、

いつも母に文句やら何やら言うので


「このままではお母さんが病気になってしまうから  

 一回ここから出たほうがいいよ」

と僕が提案しました。


僕が(退職した)仕事を始めたのと同時に別居開始。


自宅から近いので、

今でも週末に遊びに行ったり、

平日の夜にご飯を食べに行ったりしています。


ただ、

例えば母がご飯を作って持ってきてくれて、

玄関まで来たりすると、

謎のパワーで弟は瞬時に察知。


せっかく僕が玄関の鍵を開けておいたのに、

閉めてしまう。


そのたびに、僕はイライラ。


とにかく、

僕はどこかで弟を恨んでいるんだと思います。


小学生の頃も、

弟は母に「死ね!死ね!」とうるさかった。

亡き祖母ともいつも喧嘩ばかり。


もうやめてほしかった。


「俺ならもっと上手く、

 平和に、穏便にできるのに」


そう思って、ずっと我慢していました。

僕にも悪いところはある。


僕が弟を恨んでいるように、 

弟も僕を恨んでいるのかもしれない。 


まあ、実際のところは分からない。



結局、

僕は家庭においても、外の世界においても、

自分の意思を後回しにして、


相手に同情すれば、

相手に合わせれば、

我慢すれば、

すべて平和に解決する。


そう信じて生きてきたんだと思います。

今も、たぶんそうです。


そしてそれは、

弟だけではなく母に関しても。


子どもの頃から、

「母の言う通りにしないと」

「良い子でいないと」

と勝手に思い込んでいました。


いつしか、

それに自分自身が縛られていたと思います。


また、父は放任主義。

普段は温厚だけれど、

お酒を飲むと一気に怖くなるタイプ。


喧嘩や言い合いが多い家庭環境だったな。

母もお酒が入ると父と言い争う。


お酒は良い結果を生まない。


かくいう僕も外では真面目な分、

家では荒れるときは荒れていました。


真面目すぎるんですよね、僕は。


県外の大学に行った理由の一つは、

家庭環境や狭い田舎から

抜け出して自由になりたかったから。




今までの人生は

「自分が本当にやりたいこと」より、


「こうしなきゃ」

「こうあるべき」

「周りがそうしているから」

「両親を安心させるため」

「誰かを困らせないため」

「人間関係を壊さないため」 


みたいなものを優先してきました。


近年でいうと、例えば、

おそらく仕事や手話でも同じだったんですよね。


2022年4月から辞めた仕事を始めたと同時に、

手話講座にも通い始めました。


前述のとおり、

母の別居もこの頃に始まりました。


その後、

複数のサークルに行ったり、

イベントに参加したり、

サークルの役員になったり。


しかし、

手話へのモチベーションは

2023年夏にはもう無くなりつつありました。


自転車で転んで鎖骨を骨折した時期あたりです。

それでも頑張って続けました。


ありがたいことに、

イベントや食事などにお誘いいただいて、

そのおかげで色々経験はできました。


けれど、エネルギーが切れました。

今年3月で手話界から引退。


本当に興味が湧くものでない限り、

手話行事はもういいかな。


最後の1年は、

サークルの役員になることで

モチベーションを保とうと試みましたが、

残念、続かず。


なぜなら、

僕は心から手話がやりたいわけではなかったから。


ろう文化とか、あまり興味ないなと、

経験してみて思いました。


最低限の手話が分かれば満足。


この身になったから、仕方なく。

嫌々、手話を始めたからね。



そんなこんなで、色んな疲れが来ました。

春から通い始めてみた手のリハビリもストップ。


多少暇ではありますが、しばらくは休息します。

せいぜいニートライフを楽しみますよん。


仕事?うーん。


次にやるなら、

就労継続支援A型事業所

(↑障害者や難病患者が働ける福祉サービス)

あたりもいいかなと考えています。


まだ未定です。

今は、とりあえずのんびり生活。


何はともあれ。

8月10日。

無事、退職しました。


やったぜ。