先日、取材にいらっしゃった伊勢新聞の記者さんに教えていただいて、はじめて知ったのですが、うちが三重県で唯一養蚕をやっているところになるらしいのです。
わたしのところは、集落の休耕地や耕作放棄地をお借りして、桑を植えさせていただいているわけですが、実際に長い間、耕作されなくなった土地を再び農地として使うことって、実際にやってみると、とっても大変な作業です。
特に根を張った草を取り除くのは、・・・自然のと闘いを感じさせます。
たしかに、除草剤を散布して・・・というやり方もあるのでしょうが、あまり気が進みません。
特に、蚕にやる桑なので、あまりリスクのあることはしたくないと思います。
問い合わせれば、養蚕にも使えるといわれる除草剤というものがあるのかもしれませんけれど、もしトラブルが発生すると、とっても厄介です。
いろいろ考えた末、結局、「昔の人のようにやること」が案外に合理的なのかもしれないという結論に至りました。
もともと、国産の絹絲というところにこだわったので、自分で養蚕をやらなければならなくなって、養蚕をするために桑を栽培しなければならなくなったので、“農業”という分野に足を踏み入れてしまったというところですから、できれば楽な方法を選びたいと思うのですが、・・・。
それを選んだ結果、自分の立ち位置が、どのようにズレルのかというところです。
作品を制作する上において、コンセプトと、それに沿ったプロセスの設計が大事だという事はよく言われることなのですが、「昔の人のようにやる方法」を選んだことによって、いろんなことが見えてきて、また、実感できました。
わたしは、養蚕農家に育ったわけでもないし、自分の家で採れた繭から絲にして織っている家族の姿を見て育ったわけではありません。だから、言葉で聞いたことを、言葉として理解したとしても、自分がそのような文化に属していると自負できるほどのリアリティーを、自分自身で認めることができないのです。
そういうところを誤魔化してしまって「モノをつくる」ということって、潔くないし、ずいぶんカッコ悪い事だと思うから、「自分が掴み取ったリアリティーから、生み出す作業を慈しむという立場で、つくってゆけることを願います。」

