先日、三重県の地元紙 伊勢新聞さんが、わたしどもの活動を取材して“ニュースの断面”というコーナーの記事に載せてくださいました。
三重県にお住まいでない方は、ご存知でないかもしれませんが、伊勢新聞さんは、明治11年創刊で、創刊から現在まで134年続いている、歴史ある老舗の日刊紙なのです。
明治政府の地租改正(増税)が三重県では伊勢暴動(東海大一揆)の引き鉄となり、後に伊勢新聞に入社した増田藤之助が、三重県の自由民権運動の論陣を張ります。
そのような、日本の良識的なリベラリズムとともに歩んできた新聞媒体さんなので、わたし自身も、この取材には興味がありました。
また、マスメディアというと、大手全国紙や雑誌、東京発信の放送局からの情報発信を思い浮かべがちですけれど、レアな興味深い文化情報が拾い出せる地方紙・ローカル誌というものが、わたしはかなり好きなのです。だから、地域密着型のコアな情報媒体の現場で仕事をなさっている取材に見えられた記者さんを、逆取材してみました。
御話を御伺いすると、お祖母ちゃんの御家が旧美杉村内にあるということもあって、山間部地域がかかえる過疎・高齢化・限界集落化などの、さまざまな問題に興味があるとのことでした。
やっぱり、どんな仕事でも、自分の立ち位置をハッキリ持っていないと、物事を見据えることができないなと思いました。
それから、郷土愛というものが、取材のモチベーションになっているように見受けましたので、とても好感が持てました。
いろんな視点、色んな切り口から、『今』をみせてくれるので、各紙の紙面に興味がゆくのだと思います。どの新聞も同じようなものならば、新聞を買いたいと思いません。
これは、わたしのやっている織物にも共通することだと思います。
共通する部分を共有しながらも、作家個々はインディペンデントな存在でありたいと思います。
取材していただきながら、改めて再認識したのですが、・・・
わたしが、最初に、三重県に工房を設けた当時は、「静かに、マイペースで制作作業に没頭できる場」というところに重心がありました。
だから、当初から、工房見学は可能かという御問い合わせや、体験や教えて欲しいという御問い合わせを幾度もいただいたのですが、ショールームのように制作の場を公開すると気にはなれなかったので、全部お断わりしていました。
こういうところを、気にしない方は、オープンにされていらっしゃいますが、わたしは、工房は役者さんの楽屋や舞台裏という意識が強いので、原則的には非公開の方針です。
それが、あることがきっかけで、最初は他分野だとして距離をつくっていた製糸や養蚕を自分でするような展開になって、・・・加えて、“山村生活ぎゃらりぃー”を設けたことで、“単に、自分の作品をつくり発表するというだけのことよりも、絹の文化というものを伝えることの意義”というようなところに、より活動の重心が動いてきたことや、また、身禄さんの生誕地である川上という場で住まうようになって、限界集落化してゆく山村の活性化というような面にも、何らかの寄与ができないかと考えるようになったという大きな変化がありました。
「織物は、それを成り立たしている民俗文化や環境や歴史背景と不可分」というのが、私の考え方ですが、一見では、織物をつくる作業と直接関係しないようなことに携わることによって、奇しくも、今振り返れば、そのような従来から眼差しを、より深いものに成長させてくれたような気がしています。
昔は、絹が身近で、絹に触れる機会も多かったから、「しっかりとした絹への価値観があった。」、しかし、養蚕も衰退して絹への距離感ができたので、リアルな絹の感触から多くの人が縁遠くなった今日、「絹に触れる機会」を提供する場をつくってゆくことも、重要な活動だと思います。
・・・それで、「言葉で絹を理解していただくよりも、手の感触で生理的に理解していただいたほうがリアルと思って、伊勢新聞の記者さんにも、座繰りで絲をひいていただきました。」
取材を受けるということは、質問によって自分があまり意識していなかったことを再確認することにつながるので、客観的な視点で自分のことを整理してみることができて、わたし自身にとっても新鮮でした。
それは、記者さん自身も、類型的なニュースの文章に当てはめる為の情報を拾い上げるような姿勢ではなく、専門誌の特集記事のような、とても贅沢な取材をしてくださったので、紙面に載る載らないということを超えて、こちらも、いろんな突っ込んだ御話しすることができたからだと思って感謝しております。


