先日受けたセミナーで、久しぶりにドラッカーの「石切り職人」の話を聞きました。ドラッカーの「マネジメント」にでてくる、石切り職人のたとえ話です。
建築作業をしている三人の石切り職人に「あなた方は、何をしているのですか?」と尋ねました。
1人目は「カネを稼いでいる」と答え、
2人目は「技術を磨いている」と答えました。そして
3人目は「教会を建てている」と答えた、という話です。
ドラッカーは、この3人のうち、3人目だけがマネジメント(成果を上げられる人)であると語っています。
これをうちの営業会議で伝えました。
うちの営業をこの話に例えるとこんな感じになる。
1人目は「SESをやっている」と答え、
2人目は「会社の業績をあげている」と答えました。そして
3人目は「留学生を活かしている」と答えました。
当社の営業は3人目であってほしい。たしかにSESと呼ばれる業態ではありますが、それを「SESをやっている」と思っていたら、社会に対する成果は上げられません。
「カネを稼いでいる」人も「教会を建てている」人もやっていることは、石を切ることです。その行為にどれだけ意味を見出せるか。「でも結局石を切るんじゃないですか」とみんなが思うのなら、うちはただ「石を切る会社」になるだけです。でも私はそんな会社にはしたくない。うちの会社はSESをやっている会社でなく、留学生を活かしている会社だと思うからです。
どれだけ「留学生を活かしている」と思っている人がいるか。それがいないのなら、当社の存在意義はなくなります。
雑誌『経済界』に「人材育成企業」として掲載されました。