フジテレビの『保毛尾田保毛男』の悪影響をニュース記事にみる | 上田昌典の音楽等など

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 ゲイであることカムアウトして音楽活動しています。音楽を中心にセクシュアリティなどについて書いています。

 フジテレビの『保毛尾田保毛男』がいかに当事者の自尊感情にも非当事者にも悪影響を与えているか両方の側の意識を伝える二つの記事からわかりますね。 

「理解されることは、あきらめている」 あるゲイ男性の静かな絶望 LGBTブームの陰で 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=5057427&media_id=220 
 この数年、ニュースでよく「LGBT」という言葉を聞きます。セクシュアルマイノリティを「差別してはいけない」というメッセージがあちこちで流れるなか、「理解されることは、あきらめている」と話すゲイの男性に出会いました。メディアで見る「LGBTブーム」とは一線を画す、「冷めた当事者」の思いを聞きました。(朝日新聞デジタル編集部記者・原田朱美) 

【イラスト解説】テレビでよく見る「おネエ」、「LGBT」のどこに入るの? 「Gにも色々な人がいます」 

喫茶店にて 
 都内で派遣社員として働くAさん(33)。 
 仕事が終わった平日の夜に、喫茶店で会いました。 

 「理解とか差別解消とか、あきらめている部分が強いんですよね」 

 Aさんは、ゆっくり考えながら、口を開きます。 
 物静かなたたずまいで、視線を落としながら、淡々と。 

 「なんでしょうね。小学生、中学生の頃からの偏見や攻撃の積み重ねです。『ホモ』『オカマ』みたいな。子どもって残酷じゃないですか。そういう体験を原動力にして世の中を変えようとする人は、NPO活動とかになるんでしょうけど、もう、疲れているから」 

 Aさんは、ふっと笑いました。 

 冷笑、シニカル、自虐、厭世(えんせい)。 
 どの言葉とも違う気がしました。 

 動かない水面のように、静かな静かな、絶望。 


 「取材を受けるにあたって、周り(のゲイの人たち)にも聞いてみたんですけど、『普通の人間として扱ってほしい』とも『結婚できない不都合を解消したい』とも、思っていないんですよね。ありていに言うと、『放っておいてほしい』でした」 

 私は今まで、何度かセクシュアルマイノリティの取材をしたことがあります。ゲイ男性に会う度に「メディアに出て活動するのは、ごく一部。多くのゲイは、冷めた目で見ている」と、釘を刺されます。 

 そういう人たちは、同性パートナーシップ証明も、レインボーパレードも、喜んでいない、と。差別的だと批判を浴びたフジテレビの「保毛尾田保毛男」騒動さえ、「注目を集めること自体が、迷惑」。 

 「取材を受けることも、『やめなよ』って言われました。『お前もそっち側にいくのか』って」 

 「そっち」とは、あきらめず、「理解促進を」と言う人たち。 
 メディアに出るのは、たしかに「そっち」の人が多いです。 

 「当事者のなかで、『じゃあ闘ってやろう』という人は、少ないと思いますよ。僕は周囲には比較的オープンにしている方ですけど、穏やかな差別をしてくる人はずっといるし」 

 穏やかな差別とは、たとえば、仲良くもないのにセックスのことをあれこれ聞かれたり、男性から「俺のことを好きになるなよ」と言われたりすること。どちらも、異性を愛する人には、うかつに言わない言葉です。言うと相手に怒られます。なのに、同性愛者には、言ってしまう。 

 「そういう偏見って、小さな自己否定を重ねられているのと同じなので。積み重なっていくと、そこに屈してしまうじゃないけど、もうあきらめてしまう」 

言葉の限界 
 ある友人の例を話してくれました。 
 Aさんがゲイであることを知っていて、いろんな話をする仲の良い男性の友人です。 

 先日、その友人の家に泊まりに行くことになり、こう言われました。 

 「泊まる部屋は一緒だけど……。俺は、ゴメンね。それはナシで」 

 Aさんは、最初からずっと「友人」のつもりでした。セックスがしたくて、遊びにいくわけではないし、仲良くしていたわけではない。そもそも男なら誰でも良いわけではない。自分がゲイだというだけで、「狙っている」と勘違いされたこと、それも「いろんな話を聞いてくれた人」だったことが、ショックだったそうです。 

 「うーん……。全部を理解してもらうのって、無理なんだなって。育ってきた環境が違いすぎて、もうどこまでいっても、言葉で理解してもらうのは限界があるなあって思っちゃって」 

 夜の喫茶店。 
 テーブルをはさみ、私の1メートル先で話すAさんの顔には、怒りも悲しみもありません。ただ淡々と、話してくれます。 

 「とはいえ、僕も揺れてはいるんです。わかってほしいという気持ちと、あきらめている気持ちと」 

 そうでしょう。 
 でなければ、取材を受けてくれなかったはず。 

 Aさんは、決して「人生すべてが投げやりになっている人」ではありません。 

 「僕のアイデンティティのすべてを『ゲイであること』が覆ってしまうのは嫌です。自分を構成する要素はもっとたくさんあるのに」 

 神奈川県出身とか、文章を書くのが好きとか、「Aさん」という人は、いろんな要素でできています。でも、声をあげ、活動をはじめたとたん、周囲は「ゲイのAさん」としか扱わなくなるでしょう。 

 「フラットな存在でありたいんです。そう思いすぎることがまた、とらわれているということなのかもしれませんが」 

 そもそもAさんは、「声をあげる」ことについて、どう思っているのでしょう。 
 苦しさを訴えることは、とても大事なことです。私たちメディアも、その声を報じてきました。一方で、声をあげることが「正しい」という圧力を感じるでしょうか。 

 「自分の場合は、『声をあげるべきだ』という価値観の人がまわりにいなかったので、特に……。ちょっと違うかもしれませんが、セクハラでも『どうせ言っても無理』とあきらめている女性っていますよね。言っても無駄だし、余計面倒なことになってしまうから、結局黙っているのが一番良い、という。損得勘定ですよね」 

絶望の正体 
 Aさんは、最近話題になったテレビドラマの話もしてくれました。 
 「結婚」をめぐり、悩んだりぶつかったりするゲイのカップルが、出てきます。 
 過剰にデフォルメした「おネエ」ではなく、ごく普通の青年として描かれています。 

 「でも、当事者の思いをすくいとっているようで、ちょっと違うというか。僕らは抱えている闇が深すぎて。同性婚とか表面的なものでは解決しなくて……。例えば同性婚が認められたとして、『男女の結婚』と『同性婚』は別物なんだろうな、と思うんです。『カニ』と『カニかま』みたいな。LGBT団体は『カニかまでも進歩。もらいたい』と言うだろうけど、僕は『カニかまじゃん! 結局普通じゃないじゃん!』と思っちゃう」 

 当事者の間でも、いろんな意見があります。 

 私はたくさんのゲイの人たちに会ってきましたが、それぞれ意見が違います。 
 マジョリティは「めんどうくさいなあ」と言うかもしれませんが、もともと「男性のことが好きな男性」が共通点というだけで、性格も生活環境も、すべてバラバラな人たちです。 

 「僕はまだ、これくらいで止まっていますけど、絶望が進化した人は、ゲイを嫌いはじめるんですよ。自分がゲイであることを棚に上げて、2丁目に出入りする人とかを、まるで自分が一般人であるようなスタンスで『嫌いだ』と。本当は同性愛者だから、ゲイコミュニティに行きたいのに、心をつぶされすぎて、ゲイに冷たい視線を送る。そういうアンビバレントなものを抱えるゲイに何人も会ったことがあります」 

 そういう人たちは、なかなかメディアには、出ません。 

 「もしかしたら、『あきらめている』と言いながら、何周も何周も何周もまわって、深層では、『男女』『普通』にあこがれて、渇望しているのかもしれません。でも絶対にひっくり返せない。そこに絶望している」 

 抱える絶望は、ふたつ。 

 分かってもらえない世間に。 
 「普通」に生まれなかった自分に。 

 「うん、それはもう、一生、死ぬまで続くと思います」 


LGBTが気持ち悪い人に会ってみた 「僕の方が社会的に葬られる」ポリコレ棒を恐れる本音 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=5059012&media_id=220 
 セクシュアルマイノリティの当事者が、メディアに出て苦悩を語ることが増えました。でも、逆はあまり聞きません。つまり「LGBTが理解できない」という人の心の中です。「ただの差別主義者」なのでしょうか。ある男性に話を聞いてみました。(朝日新聞デジタル編集部記者・原田朱美) 
【イラスト解説】テレビでよく見る「おネエ」はLGBTのどれなの? 

「理解不能。気持ち悪い」 
 先日、私は「LGBTのイメージに関するアンケート」をネット上でやりました。ニュースでよく聞くようになった「LGBT」という言葉について、人々がどんなイメージをもっているのかを知りたかったからです。 

 寄せられた回答は800件。 
 SNSで募集したネットアンケートなので、このテーマにそもそも理解のある人が回答することが多いと予想しましたが、「理解できない」と書いた人も少数いました。 

 そのひとりに、会いました。 

 Bさん。43歳。 
 東京都内の会社に勤める男性です。 

 Bさんのアンケート回答は、こう書いてありました。 

 <理解不能。気持ち悪い。> 
 <この手の議論に関わるLGBTの人は非寛容で被害者意識が強いように思う。多様性を主張する割には、マジョリティを啓蒙してやるという選民思想感が鼻持ちならないと感じる。このアンケートにも忖度(そんたく)して書けば良かったのだろうが、本音を書くとこういう結果です。差別主義者と、みなされるかもしれないけども。> 

 これを読んで、あなたなら、どんな人を想像しますか。 

 しかめっ面をした、怖そうな人? 
 人の話を聞かず、持論を一方的に話し続ける人? 
 斜に構えた、皮肉屋? 

 私もいろいろ想像しては、少し緊張して、待ち合わせ場所の喫茶店に向かいました。 

 「いやいやいや、お待たせしてすみません」 

 スーツ姿のBさんは、人なつっこい笑顔で現れました。 
 平日の夜、思いのほか混雑した店内で、いまどんな仕事をしているのか、笑顔のまま話してくれました。営業の仕事をしているそうですが、明るくて話のテンポがよくて、盛り上げるのがうまい人だなあ、と、拍子抜けというか、ほっとした自分がいました。 
「頭では理解していても、心がついていけない」 
 さて。本題です。 

 Bさんは、「理解不能」とアンケートに書いていましたが、どういうふうに思っているのか、もう少し詳しく教えてください。 

 「例えばゲイの方について。僕は女性しか好きになったことがないので、男を好きになるというのがどうしても想像できなくて。『だって自分と同じ体をしているんだよ? それで興奮するの?』と」 

 「いや、頭ではわかっているんです。『同性を好きになる人がいるんだ』と頭では理解していても、心がついていけないんです。そういう衝動って、本能的なものじゃないですか。だから本能的に拒否してしまうんですよね」 

 変わらず明るい話しぶりなのですが、後半は、悩んでいるようでもあります。 
 「理解しなければと分かっているのに」と。 

 Bさんは今まで、セクシュアルマイノリティに会ったことは、ありますか? 

 「あります、去年。男性の同性愛者だから、ゲイ、ですかね。仕事のクライアントだったんです。LGBTの支援活動をしている人だったので、『ゲイです』ということを明かして来られまして」 

 会って、どう思いましたか? 

 「正直に言うと、騒動になったフジテレビの『保毛尾田保毛男』のような人が来ると思っていたんです。僕は、あれのストライクな世代ですし。でもまったくもって普通の人でした。何も知らずに同僚として働いていたら、(ゲイだとは)気付かないでしょうね。いや、ステレオタイプの刷り込みって、あるんですね」 

 「普通」って難しい言葉ですけど、どういう意味で「普通」だと思ったんですか? 
  
 「もっとナヨナヨしていると思っていたんです。(セックスで)女性的な立場の方は、女性っぽいのかな、とか。ゲイだと明かしている人に会ったのは初めてで、興味があって。初めて外国人を見る子どものようなものです。でも、仕事中にそんなことを考えるのは相手に失礼だと思って、やめました」 

 Bさんは、苦笑します。 
 とても正直に、見栄をはらずに話してくれていることが、伝わってきます。 

 ちなみに、すぐに「性的な興味」をもたれてしまうのは、セクシュアルマイノリティの人たちがウンザリすることのひとつだそうです。「普通、他人にそんなこと聞かないでしょう?」と。 

 Bさんの名誉のために言うと、言葉にして聞いたわけではないそうです。 

 「僕、保険の代理店をしていたこともあるんですけど、同性パートナーだと保険金の受取人になれないんですよ! 3年前に知って驚きました。そんな不都合は、すぐ解消してあげたらいいと思うんです。ただ、自分自身が同性愛者をどう思うかと聞かれると、『うっ』となる、という……」 

 「保険金が受け取れないなんて、信じられない」といった表情です。 
 どうやら、同性愛者を積極的に嫌っているとか、権利を認めたくないといったことでは、なさそうです。 
「先に感情がこじれてしまうと…」 
 では、どうしてああいう回答になったのでしょう。 

 「例えば先ほどの『保毛尾田保毛男』がはやったころ、僕は中学生でした。あの時傷ついていた人がいたなんて、当時想像もしていなかった。毎週木曜日の夜9時にあの番組を見て、大笑いして寝て、翌朝同級生と『見た?』と話して」 

 「当時の僕らは、女子が夏服になったら下着が透けて見えたとか、ほんとしょうもないことで盛り上がるような、純朴なバカでした。そういう思い出って、心の原風景みたいなものなんです」 

 「後になって『あの時傷ついた人に気付けなかったあなたは罪人です』と言われると、『うち実家の花畑はキレイだなあ』と思っていたら、いきなり戦闘ヘリが飛んできて機銃掃射で荒らされる、みたいな気持ちになるんですよ」 

 実際に、時代をさかのぼってまで批判している人がいるかは、わかりません。Bさんには、そう思えている、ということのようです。 

 「当事者にとっては、今までずっと言えなかったことがようやく言える時代になって、フタが開いた状態というか。だからキツい表現をする人がいるんでしょう。でもこの年まで異性愛が当たり前だと思っていたのに、急に『お前は差別主義者だ!自覚せよ!』と糾弾されて、社会的に罪を背負わされたような表現をされると、こちらとしても、つい『何を!?』となってしまうんです」 

 「LGBTだけではないですが、先に感情がこじれてしまうと、相手の話を聞く気がなくなりますよね。『どうせ責めたてに来たんだろう』と」 
「僕の方が社会的に葬られる」 
 Bさんの話し方は、「許せない!」と怒っている様子ではありません。笑いをまじえ、あれこれ工夫しながら、「伝わります?」と確認しながら話しているという感じ。変わらず明るい表情で。 

 ただ、それに反して、「罪」というのは、とても強い言葉です。当事者の多くは、「苦しいから、やめて」と訴えているつもりなのだと思いますが、なぜ、そこまで強い反発になるのでしょう。 
  
 「強迫観念として、ポリティカルコレクトネスに反してしまったら、僕の方が社会的に葬られるというのがあるんですよ」 

 ポリティカルコレクトネス。 
 直訳は「政治的な正しさ」です。 
 正しさを理由に他人を批判する時、言い方や相手によっては、ある種の暴力と受け取られることがあります。それを皮肉って、「ポリコレ棒」という言葉もあります。 

 「差別意識で、いじめてやろうと思って発言したら、たたかれるのは当然。でも、異性愛が普通だと教わって育ってしまったから、全く悪意のない、うっかり吐いた言葉が『差別だ』と炎上することがある」 

 「じゃあもう怖いから、何も関わらない方がいいとなってしまう。でもそれじゃあ、苦しんでいる当事者に対する偏見は消えなくて、ますます当事者は苦しみますよね?」 

 はい。それはたしかに、そうです。 

 「今の時代、ポリコレ棒で殴られることって、ほぼほぼ死刑宣告じゃないですか。自分の暮らしが破壊される恐怖がある。怖いから、殴る相手に憎悪を向ける。すると相手もまた怒る。負の連鎖ですよね」 

 Bさんが、アンケートに「鼻持ちならない」と書いたのは、LGBTに対してというより、「ポリコレ棒」に対して、だったのでしょうか。 

 「僕らより上の世代は『気持ち悪い。人間じゃない』と切り捨ててしまう。僕らより下の世代は、多様な人がいると教えられて育っているから、理解がある。僕は気持ち悪いと思ってしまうけど、それを言うと下の世代からたたかれることも、わかる。僕自身、どう接していいのか、常に自問自答しています」 

 うーん、と腕を組むBさんを前に、私も「LGBTを理解できない」という意見をどう取り上げるのか、悩みながら話を聞きました。 

 「アンケートに書いたとおり、忖度(そんたく)して『差別はよくない。みんなで明るい未来をつくろう』と回答すれば、良かったのかもしれない。でも、それじゃあ本当の解決にならないですよね?」 

 どうすればいいのか、簡単にこたえは出ません。 
 ただ、「Bさんと会って、話して、よかったな」と思ったのは、たしかです。