本当に間を空けてしまいました。
すっかりこちらのブログのことを忘れていました。

というのも、春に、新しくサークルを作りました。
こちらのブログではあまり宣伝したくないので詳細は書きませんが、文学のサークルです。

その手続きやら新歓活動やらが忙しかった、という言い訳がひとつ。

それからもうひとつ、一人暮らしをすることになりまして、その準備に予想以上に時間がかかってしまった、というのがもうひとつ。

この春は、人生の大きな転換点になるんじゃないか、という予感があります。

大切にしたいものです。


あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


おひさしぶりです。ずいぶんと寒くなりましたね。

最近ちょくちょく考えていたことがあるのですが、答えにたどり着けそうにありません。

一度ここに書かせてもらって、忘れてしまおうと思います。

メモを取るのは忘れるためだ、と信じているので。



僕には好きな作家さんというものがほとんど居ません。

とくに、自分が専門にしようとしている近代文学には、ほぼ、どころがまったく居ません。

自分は国文系の学部学科に居ますので、周りの友達にもいろいろと聞いてみたのです。

ところが皆、誰かしら好きな作家というものが居る。谷崎だの太宰だの。


好きな作家が居ない、というのは、もしかすると、僕は近代文学が好きではないのかもしれません。

どうでもいいことのようですが、これって、かなりの衝撃です。

才能が無いことが分かる、というのならあきらめもつきます。

が、今回のことは、好き嫌いです。

自分の気持ちひとつ理解しきれない、こんなものなんだな、なんて思いました。



近代文学字体は好き。研究も楽しい。

だけど趣味とは違う。

何が違うのかは分かりませんが、そんな都合のよさも、もしかしたらありなのかもしれません。


古着屋さんで、エドウィンのデッドストックのパンツを、500円で手に入れました。

古本屋さんで、岩波文庫を、10冊1500円で手に入れました。

岩波は買い取りなせいか、ほとんど新品のようなものが手に入ったりします。

僕は古本も古着も大好きで良く利用しますが、本当に、貧乏学生の味方ですね。

古着は、需要と供給がちゃんと理解できます。

いちいち手縫いするわけにもいきませんし、季節ごと必要ですし。

服はヴィンテージでもないかぎり、つまり古いこと自体に価値がないかぎり、流行に乗っていて綺麗なものほど、高値がつきます。

わかりやすいですよね。
僕が買ったパンツは、フェイクレザーという素材や、赤みがかった色が、一切流行にあたらないから安かったんでしょうね。


じゃあ古本は、と考えると、全く違いますよね。

今日も感じたのですが、流行りの本、現代小説ほど、安売りされていたりします。

ぼろぼろの本で、ダニでもいそうなやつが結構高かったりします。

本は形式じゃない、情報量だ、という考え方もあるでしょうが、それなら、高くてぼろい本は大体図書館でタダで読めます。

僕なんかは、本棚に置いておいて必要なときに見返すために買っていますから、見映えも気になり、あまり古いものしか見つからないと、普通の本屋で定価で買ってしまいます。

だから、わからんのです。表紙の文字も読み取りにくいほど日焼けした『名作』を、にこにこしながら買うおじさまの、その心がわかりません。

おそらく大学生程度のガキにはわからない楽しみかたがあるのでしょうね。

奥が深いです。いつかはそんな読書の楽しみも味わってみたいな、と思います。
人間にはウイルスなんか見えません。

それでも、清潔だ、不潔だ、と大騒ぎし、アルコールで殺菌し、大変な騒ぎです。

手袋をして吊革につかまる人もいるらしいですね。


ふとニュースか何かで、ケータイは汚い、という話を知りました。

なんでも、便器よりも汚いんだとか。

そんなことをいくら言われてもどうすることもできないんで、黙っていてくれたら良いのに、と本当に思います。

受話器から流れる恋人のささやきに耳を傾けることが、便器に頬ずりすることよりも不潔な行為だそうです。


不潔な人、というと、お風呂に入っていない人、でしょうか。

ふとしたとき体臭が気になる方がいると、不潔な感じがします。

そのほかにも脂っぽい肌や髪だと、不潔な感じかもしれません。



清潔であること、というのは、人を不愉快にしないためのエチケット、といわれています。

どこからが不潔で、どこからが不愉快なのでしょうね。

着古した服だがきちんと洗濯し、風呂にも毎朝入り、ただ髪やひげは無精にのばし雰囲気はホームレス、といった人が満員電車にいたとしたら、清潔なのにきっと、不潔に感じて回りには誰も寄らないでしょうね。



案外人間は、清潔かどうか、はどうでもいいのかもしれませんよ?