いや、なんかびっくりました。


兄の仕事を始めて見てしまったのです。


いつもは「家でくつろぐモード」の彼しか見ていませんから。


兄とは必然的に中学まで同じ学校で、

高校も兄の後を追うつもりだった僕は、

学力が足りなくて惜しくもついて行けなかったのです。


兄はいつも優等生でした、

スポーツ、勉強、ルックス、全部良し!

先生から信頼され、近所では優等生として有名、

人気があって、学校中の女の子にモテた。


幼い頃の僕にはそれが誇りであり、プレッシャーでもありました。


いつだって兄の背中を無意識に追ってきた。

同じように勉強して、同じ部活に入って、同じ習い事をして

世の中にはそういう「弟」はたくさんいると思います。


同じ親から生まれて、同じ家に住んで、いつも同じ空気を吸って、

同じ物を食べて、同じテレビを見て、同じ街で育った。


どういう運命か、兄とは違う高校に入った時から、

それは変わりました。


僕は兄の知らない高校に入って、兄とは違う部活に入って、

兄の経験した事のないものを、僕はたくさん経験した。

やっと僕は「兄」という呪縛から解き放たれた。

兄とは違う道を歩き始めた。


それが僕はうれしかった。

だって、今までは何をとっても兄にはかなわなかったから、

僕はいつでも劣っていたから。


新しく始めた音楽なら、僕はいつでも兄に優った。

もしも僕があの時、違う高校に入らなかったら、

僕はまた兄と同じ事をやろうとしただろう。

そしたら僕はもう3年間、兄との比較をやってなきゃいけなかったんだ。


僕は兄と自分を比べなくなった。

僕の知らない高校に通う彼は、遠い存在になった。

「家でくつろぐモード」の彼しか知らなくなった僕は、

兄への尊敬を失った。


でも今、兄の「そとづら」を目撃してしまった。

幼い記憶がよみがえる・・・

兄は変わっていなかった。

優等生としての誇りがにじみ出てる・・・(笑)


僕はショックだった。

久しぶりにそんな兄を見た。

家での「だらしない兄」とは違う人。


なんとも言えないこの感情は・・・

僕の母は天性のネガティブの持ち主です。

だから僕は、十代に入って自我が芽生えた頃から、

母と話すのがとてもイヤでした。

すべてにおいて後ろ向きな言葉で返ってくるからです。

だから今でも、母に対する恐怖心から、

あまり母に甘えないように心がけて、

僕の方からは他愛のない話なんかはなるべくしないようにしています。


ネガティブな言葉は話すほう側のしては、

気持ちの良い事なのかもしれません。

僕も幼い頃から、家族との問題で怒りが抑えられない時は、

物にあたる癖があります。相手を殴るよりもましだと思ったから・・・

そうすると、悪い事をしているのに、発散できて、

冷静を取り戻す事ができるのです。


でも不平不満、愚痴、妬み嫉み僻み、人の悪口・・・

こういうネガティブな言葉を聞くがわはとても疲れます、

それよりも恐いのは影響を受けて自分までネガティブに感染してします事です。


彼女は僕に愚痴を聞いてもらう事を求めているようです。

それが彼女にとっての癒しになるのであれば、

僕の母への恩返しになるのかもしれません。


でもあそこまで筋金入りのネガティブさんだと、

愚痴を聞いても聞いても切がないし、

ネガティブな言葉が恐い。

それを聞くとついつい暗い気持ちになってしまう。


でも、とりあえずは恩返しだと思えば、

愚痴を聞くこともできそうです。


それには、絶対に必要な事があります。

僕がポジティブでいる事です。

僕が幸せに心の余裕を持っていなければ、

他人の悪い気まで吸い取って変わりに消化してあげる

なんてエラい所業は、とてもできる事じゃありません。


家族の分まで、僕が幸せをとってきます。

僕は今までずっと思ってきた・・・。


「罪人は苦しみという罰を享受して、罪を償うべきだ。」


僕は罪人だ、

神様が罰を与えてくれて、苦しむ事で罪が償えるなら、

こんなにありがたい事はないと思っていた。


そして、これからも僕は罪を犯し続けると、

それは無知な僕の宿命なんだと。


確かに僕はこれからも罪を犯す事はたくさんありそうだ。


でも、いらない罪を減らす方法が見つかった。


犯す罪を減らせて、僕と出会う人達が僕からの被害を受けずにすむのなら、

こんなに素晴らしい事はない。


今までどうり罪は償う、僕は罰に感謝する。

でもこれから犯してゆくであろう罪はなるだけ減らしたい。


僕は昨日、今まで以上に強く幸せを感じた。

そして今日、わかった。


幸せな人間は罪を犯さない事を、


地獄の中で苦しみ、心に余裕のない人間は、

心の穴を満たそうとして犯罪に走ったり、

道行く全ての人々に舌打して歩く、

ついついイライラしたり、恐怖や不安に苛まれたり、

言動は粗野になりがちだ。


逆に心が豊かで幸せな人は、

人に優しくなれるし、色んなところに気をくばれる。

余裕があるからだ。

罪を犯さないどころか、ありあまる幸せの欠片を振りまいて歩く。


幸せになるという事は、僕はあまり良いイメージがなかった。

罪人が幸せになっていい筈がないと思っていた。

でも僕が幸せになれば、僕と出会う人は僕の被害にあう事もなくなる。

それなら僕は幸せになりたい。


罰を受けて苦しむだけが、償いじゃないかもしれない。

人に与える事で、罪を償えるかもしれない。

僕が幸せになれば、これまで僕を愛してきてくれた人達へ、

恩返しができるかもしれない、

地獄の中で苦しんでいるだけじゃ、受けた恩は返せない。



「無知無能な罪人の分際で、人に何かを与えようなんてできる筈がない、

そんな気持ちは傲慢だ。」


それは違うと感じた。

僕の心に余裕さえあれば、

何気ない挨拶が、小さな贈り物になる筈だ。

疲れた・・・かも。


休息は必要だ。


疲れた、休みたい、そう思ったとき。

なぜだか、疑ってしまう。

「自分は怠惰なんじゃないか・・・」


でも実際は給油しないままずっと走り続ける車なんてありえない訳で。


努力や気合は大事だけれど、

自分の体調を万全にするための休養の技術も大事だ、

心の休養なくして人は頑張れない。


前向きな休養をとろう。

休息は一時停止なんかじゃない、大切な通過点だ。

しっかり休養が取れていると言う事は、

僕は前に進んでるという事だ。

幸せだ、実感できる。


「日本は豊かな国だ」

子供の頃からずっとそう言われてきた。

僕は大人達の言うその台詞の意味が理解できなかった。


犯罪、戦争、自然破壊・・・


いったい日本の何処が豊かだというのか、

僕はずっとわからなかった。

確かに物質的には豊かだ。

豊かというより、カラッポで愚かなガラクタとゴミの山であふれている。

これを「豊か」という言葉で表現するのはやっぱりおかしい。


でも今、初めて幸せを強く実感できた。

前々から部屋のCDや楽譜、楽器をながめる度にうれしくて、

物がたくさんある事に感謝は感じていたんだけれど。


今の幸せはもっと強い。

欲しいものをリストアップしよう、

家具、腕時計、服、新しい楽譜とCD

考えるだけで幸せになれるかも


僕には買う権利がある。

僕にはお金を稼ぐ権利がある。

ママからおこずかいがもらえた。

街には物を売っているお店がある。

それらを禁止する法律はない。


ガラクタはもうイヤだ、

素敵なものを買わなきゃお金がもったいない。


僕はまだ学生で、

色んなお金は父上殿が稼いだお金ではらってもらっている。

食費も学費も全部、子供の頃からずっと

すごいよパパ・・・


この年になってやっとそのありがたみがわかった。

なんてすごいことだ、すご過ぎる・・・。

こんな恵まれているのに実感しないなんてもったいない。

最近、父上殿の姿をみかける度に、頭が下がる想いだ。

同時に家を支えてくれた母にも、


いやいや面と向かってありがとうなんて言わないよ、

恥ずかしいもん、残念ながらそんな柄の家じゃないのよ。

「ありがとう」という言葉は親から教わったものじゃないから。


日常は次々と起こる深刻な問題に追われて、感謝しているひまがない。

僕はボーっと幸せを謳うよりも、

惨劇の中で叫ぶ人の声が聞こえる方に行って、

人間達の身に起こっている問題に目を向けたい。


けれども、与えられている物に感謝もしてたい。
それもやっぱり大事なことだから。

今日は雨上がりで、

風が吹いて、雲はみんな流れて、快晴です。

夏の日差しが降っています。

でもまだ夏ほどには暑くないかな、

真夏はもっと灼熱だからね。


僕はこの光がとても好きなのです。

懐かしい光です、幼い頃に見たような、


ピアノが弾きたいな、ふじこちゃん の影響です。

本業のギターもロクに上手くならないのに、

ずっとピアノには憧れています。

しばらくの間、夢の見方を忘れてしまったことについて

悩んだりしていたけれど、少し考えが進みました。


「目標を立てること」

これを 「夢を見る」 と呼んでしまうとなんだか気が引けてしまう。

だから、夢ではなく目標を立てることにした。

するとなんだかやりやすい。


目的を持つことは大事だと感じられた。

これも長い間、夢を忘れて、目的も忘れて、

ただ無知なまま生きていた、憂鬱な日々があったおかげだ。


よくよく考えて、日常を見てみると、

目的というのは結構たくさんあった。

僕は目的にむかってそれなりに努力をしてきていた。


ただ、「目的」というものを強く認識していなかったから、

いまいち気合や情熱が入らなかっただけだ。

目的を強く意識してみると、

生きていることへの実感が少しはっきりしてきた。


それに目的という言葉の意味を知らなかった僕には、

必然的に努力という言葉の意味もわからなかった。


努力=目的に向かって力を尽くすこと。


やっともう一つ、人にとって大事な言葉の意味を知った。

おそい・・・ 

こんな基本的なことも知らなかったのです。

だからこんなんなんです。


次に知りたい言葉は「情熱」

努力+情熱=夢 かもしれないから。

情熱を知らずに夢を見ようとしていてもダメみたいなので。


「人の目が気になる。」


いつからか、その台詞は自分のものになってしまった。

経験して初めてその台詞の意味を理解できる。

その経験はありがたいのだか、このままではいけない。

自分に課された問題は解決しなければ。


もともとは人に気を使うところから始まった。

それは礼儀だったりマナーだったりした。

それは協調性だったかもしれない。


いつからかそれは人の目を気にすることにすり替わってしまっていた。

何をしてても 「人にどう見られているのか」 と思ってしまう。


これはなんだろう、劣等感か?


自分の中に確固たる信念を持って努力している人間が

他人の評価なんて気にするだろうか。


最近の僕は色んな事で迷っている。

そんな状態の僕が、人の評価を気にしないほど、

自信は持てない。


自分の道というのを失ってしまうと、

他人の評価しかなくなってしまう。


生きる事が苦手な少年 //


中のひと      Bach (バッハ)


現在位置      大学生


得意技       大外刈


アイテム      心の闇 ギター 哲学の本 


好きなもの     花 星 ネコ 煙 優しい光。


好きなアーティスト hide /cid /bule hearts /林檎 /久石譲/eminem/

            Fujiko Hemming/JAM...


好きなテレビ    NHK テレ東


趣味         音楽  考える事


好きな映画     ジブリ(特にもののけ姫


好きなゲーム   FFシリーズ(特に5・7・8


嫌いなもの    クオリティの低い仕事  束縛  ウルサイ所


目標        中学高校時代に確立させた、

           不健全なパンクロッカー体質の改善。


           



最近よく考える事があります。

「犠牲」についてです。


「何事にも必ず犠牲が要る」

それは本当でしょうか。


犠牲の要らないものってあったっけ?

全てが犠牲によって成り立っている?

犠牲って悪い事?


いつだかアメリカの政治家が言ってた。

「正義のための犠牲だ」

政治的な理由で戦争を起こして、民間人を犠牲にした。


ダムの建設によって沈む町、動物が住む森。

犠牲があまりにも大きすぎないか?


僕が楽しく笑う事で、君の望む静寂は犠牲になる?


僕は3チャンネルが見たいのに、兄ちゃんが12チャンが見たいってゆうんだ。

どちらかの望みは犠牲になる。


犠牲について考えた事がありますか?

誰かが夢を追うことで犠牲は起こる。


バイクのマフラーを変えてエンジン音をかっこよくしたい。

君が夢を叶えれば、僕の睡眠は犠牲になる。


存在する事自体は罪にはならない?

でも僕が存在することで、犠牲になるものが出てくる。