僕は今までずっと思ってきた・・・。
「罪人は苦しみという罰を享受して、罪を償うべきだ。」
僕は罪人だ、
神様が罰を与えてくれて、苦しむ事で罪が償えるなら、
こんなにありがたい事はないと思っていた。
そして、これからも僕は罪を犯し続けると、
それは無知な僕の宿命なんだと。
確かに僕はこれからも罪を犯す事はたくさんありそうだ。
でも、いらない罪を減らす方法が見つかった。
犯す罪を減らせて、僕と出会う人達が僕からの被害を受けずにすむのなら、
こんなに素晴らしい事はない。
今までどうり罪は償う、僕は罰に感謝する。
でもこれから犯してゆくであろう罪はなるだけ減らしたい。
僕は昨日、今まで以上に強く幸せを感じた。
そして今日、わかった。
幸せな人間は罪を犯さない事を、
地獄の中で苦しみ、心に余裕のない人間は、
心の穴を満たそうとして犯罪に走ったり、
道行く全ての人々に舌打して歩く、
ついついイライラしたり、恐怖や不安に苛まれたり、
言動は粗野になりがちだ。
逆に心が豊かで幸せな人は、
人に優しくなれるし、色んなところに気をくばれる。
余裕があるからだ。
罪を犯さないどころか、ありあまる幸せの欠片を振りまいて歩く。
幸せになるという事は、僕はあまり良いイメージがなかった。
罪人が幸せになっていい筈がないと思っていた。
でも僕が幸せになれば、僕と出会う人は僕の被害にあう事もなくなる。
それなら僕は幸せになりたい。
罰を受けて苦しむだけが、償いじゃないかもしれない。
人に与える事で、罪を償えるかもしれない。
僕が幸せになれば、これまで僕を愛してきてくれた人達へ、
恩返しができるかもしれない、
地獄の中で苦しんでいるだけじゃ、受けた恩は返せない。
「無知無能な罪人の分際で、人に何かを与えようなんてできる筈がない、
そんな気持ちは傲慢だ。」
それは違うと感じた。
僕の心に余裕さえあれば、
何気ない挨拶が、小さな贈り物になる筈だ。