三年目にして、こんなとこ、来んかったらよかった。って思ってる、いま。あそこに行くのがつらすぎて、毎日泣いてる、いま。

わたしは、見てのとおり、容姿は残念やし、とびきり勉強ができるわけでもないけど、感性とセンスだけは、磨いてきたつもり。それで、それを伝えるための言葉と手段も、吸収してきたつもり。でもな、誰もわかってくれんかった。わからんかったどころか、理解しようともしてくれんかった。それって、わたしの存在意義、無し!ってことに値するよな。理解されへんことが、いちばん悲しくて、悔しくて、腹立つ。

一回でも、たったの一回でも、わたしの感性、センス、言葉を見てくれたひとは、おるんやろか。それを見て、聞いて、感じて、心を動かしたひとは、おるんやろか。たぶん、おってひとり。わたしが落ち込んだときに、モツ鍋屋に誘ってくれた、あの娘だけ。わたしの苦しみにいち早く気づいて、いちばんほしい言葉をくれた、あの娘だけ。いつも会ってたわけじゃないのに、文字どおり、そっと寄り添ってくれて、ありがとう。

わたしは、理解されないことが嫌い。やけども、理解しようともしてないくせに理解したようなことを言われるのは、もっと嫌い。そういうひとは、すぐに抽象的にごまかして、根拠のない言葉でその場をやり過ごして、自分の行いに逃げる。他人のほんまのつらさをちょっとでも察したら、その人に沿って、その人に成って、言葉を探すべきやと思う。あなたはわたしと違うのに、わたしはあの娘になりたいのと違うのに、って歯痒い。わたしの思想も、抱いてる感覚も、目指してるところも、憧れてる人も、なにひとつわからんくせに。それで、それよりまだもっと嫌いなのは、自分たちの理解に及ばへん人を端から切り捨ててかかること。あほらしなってくる。なによ。いい加減学べよ。なんで、こんなつらい思いをしてまでそんなとこにおらなあかんのやろ。

あそこに毎日おったら、素朴な疑問が沸いて来る。友達ってなんやったっけ?



あーあ、あほくさ。毎日、磨いてきた感性が錆び付いて、センスが劣化していくのを、感じる日々。怖い。嫌い。

特に意味は無い。


わたしは、昨日ほど楽しくお酒を飲んだことが、これまでにあったやろかな。そのぐらい、昨日は楽しかった。そしてほっこり仕合せであった。ああ、マンデー・ナイト・フィーバー。


川上未映子さんの講演を聴くために、てくてく、早稲田大学に赴いた。けども、その会場に人が入りきらず、十人ほど前で定員いっぱいシャットアウト。涙ちょちょぎれ、脳内テロップに落・胆!の二文字、「わたしどうしたらええのん?」っていうこの胸いっぱいの不安感を抱えながら、ふらんふらん、彷徨しようと歩きはじめたわたしの前を通りがかったのは、他でもない、川上未映子そのひとでした。「こんばんは」、わたしと未映子さんが交わした言葉。あの数秒間、たしかにわたしと彼女は見つめあった。あの瞬間、たしかにふたりの対話がそこにあった。わたしは、もう、それだけで満たされて、仕合せで、よかった。「いつか、もう一度、あなたと言葉を交わしたいと思います」、遠ざかる未映子さんの背中を見つつ、わたしは、一瞬ながらぼんやりとそんなことを思った。


そんでから、唯一親友と呼べる友人たちと、舟形やっていう胡散臭い居酒屋でアルコールを摂取。そして、談笑。あんなに心の底から楽しいって思える時間を作ってくれるのは、彼ら以外に考えられない。って云っちゃうことも厭わんぐらい、彼らと話すのは楽しい。ただ騒ぐのではなく、際限なくしみったれるのではなく、考えを巡らせながら飲むお酒、そうそうありつけるもんじゃないと思う。昨日した話(田んぼのこと、ボラをはじめとする魚のこと、言葉について・感覚の共有について、自分のすべきこととしたいこと、いつか戦わなあかんこと、エ・イヒレとフ・カヒレ、「太平洋の水が全部カシスオレンジやったらええのになあ」「どんなんなよ」、などなど)、唐揚げに齧り付き、竹輪の磯辺揚げに食らい付き、ホッケをむさぼり食べた我々、忘れたくないなあ。全部纏めて、冷凍保存して、たまに融かして再現できたらええのになあ。なんちて。


店を出たあとに見た、傘をかぶらない月。早稲田駅のホーム、滑り込んできた快速電車の起こす風。最後に手を振った、三人の笑った顔。宝物にしようと思う。



わたしは、念じてきた。椎名林檎、そのひとのようなひとになりたいと、念じつづけてきた。しかしながら、それは誤りであった。わたしは、彼女のようになりたいのではなかった。彼女のように生きたいのであった。


先週、水曜日、はじめて林檎嬢を拝むことができた。なぜなら、その日は東京事変のライブであったから。インシデンツ・トキオ。


ライブ。東京事変の面々のことは、もう、バンドとかユニットとか、そのような言葉で表わすもんじゃない。彼らは、完全なる芸術作品のようにステージの上で光を放ちつづけておった。「美しい」とか「素晴らしい」とか、そんな言葉に納めたくない。そんな箱のような言葉など、いっそのこと無かったらよかったのに、とさえすら思う。そして、わたしらは、まるで魚になったようで。事変の面々の生み出す音、空気、空間の中を、揺れ、踊り、固唾を飲み、そして踊り、泳いでおった。あの夜、東京国際フォーラムは、たしかにひとつの水槽であった。


あの夜、『勝ち戦』を聴いたとき、ほんまに生きててよかったって思った。あんなふうにしみじみと、清しい気持ちで、自分の生を実感することって、そうそう無いと思う。生きることの気持ちよさをほんまのほんまに久方ぶりに実感させてもらえたあの夜のことを、わたしは、一生わすれない。東京事変、サンキュー。


わたしは、わたしを生きようと思う。林檎嬢がそうしているように。いま、彼女が、生きているように。そして、またいつか、どこかで。