じつ今、正確に云ったら三月の二十九日から、日記と云うものを毎日欠かさず書くようにしてる。二、三日はなんとなくめんどくさいような感慨もちらほらとあったけど、日課にしてしまったら、なんてことないね。もともと、ものを書くことは嫌いではないし。で、たまーに過去の日記をぱらぱらと捲ってみる。プチ自省。これがなかなかどうして面白い。そのページにたどり着いたら、その日のわたしに会えるみたいで。なんか、私生活をさらけ出すようで濃縮恐縮100パーセントやねんけども、今日は、なかなか活力に満ちてた日の日記を、電波に乗せて流してみる。最近のを、三つほど。原文まま。


4/26(月)

 さて、今日は家に帰ってきたよ。お父さんの顔、お母さんの顔、おじいちゃん・おばあちゃんの顔、その声、雰囲気が懐かしいなあ。思い出せるようで完全には思い出せん感じ、その場におらん限り掴めん空気が優しかった。うれしかった。今日から10日間、この空気の中を泳ごうと思う。なるべく力いっぱい!!

 で、今でこそ言える今日のハラハラ。5時5分に離陸する飛行機に乗らにゃならんのに、起きたのが2時。で、そこから準備をして、洗たくをして、家を出たのは3時。バスが出ること3時半。羽田に着いたのは4時半。(この間のハラハラ、というよりヒヤヒヤ、を通り越してヒリヒリ。心が焼けるような焦りを、久方振りに体験したよ。)で、バスを降りて、郵便局のATMに走り、金を下ろし、お土産(事前に連絡を受けていた)を買い、チケットを買い、荷物の検査を受け、搭乗口に着いたら、4時50分だった。あー。次からはもっと早く家を出ようと心に誓った。無事着いてよかった。お土産も買えてよかった。   おしまい。 



5/8(土)

 今日は、寝すぎな上に生活リズムが悪すぎで、あかん日。明日も休みなんで、なんとか、リズムを整えていきたい。食材も届くらしいし。あ、そうそう、そうでした。今日は待ちに待ったテケツが届いたのだ。東京事変の!!ステッカー入りで、うれしいのん。水曜日が待ち遠しい!!やほー。あと、家から荷物が届いた。夏服も。やっと着られる。私、夏の服が好き。色も鮮やかでステキ。はよ着たい!!明日は衣替えをしよう。で、また、自炊を再開する。では、寝ます。   おしまい。


追伸、今日、ツイッターがすごく楽しくなった。botを見つけたから、つぶやく言葉も愛おしくなってきたよ。こっちの

もんですね!!



5/9(日)

 今日は、衣替え、しました。朝、宅急便(クール)が2箱届いて、その中の食材を必死になって小さな冷凍庫につめこんで(ドアをガムテープでとめて)、野菜やなんかもつめこんで、プチ二度寝。で、その後、昼食後から、戦い(衣服と私の)が始まって。昨日届いたままのダンボールから夏ものを取り出してクローゼットに入れて、その中に入ってた冬ものを引っぱり出す。(あれま!服の山!)で、ロフト行きのはしごをセッチングして、服の山をちょっとずつ崩しては上に運んだ。(軽く10往復はしたんですけどォー!?)それを勝ち戦におさめたら、床がほこりだらけで、気付けば実家に帰省して、その後掃除をしてなかった。(いや、ほんとうは知っていた。めんどくさがってしていなかったんだ…。)洗濯物がなびいてるベランダの扉を開けて、窓も開けて、掃除。ひたすら。無心に。最後にぞうきんをしぼったら、部屋もピカピカになってた。それで、嬉しくなって。

 夕飯は、全て実家から送ってきてもらった食材で作った。お母さん、ありがとう。ほんまに、いつもありがとう。わたしな、あんたのこと、海みたいな人やと思う。心が広いってだけじゃないで。潮が満ちたり干いたり、凪いでたりシケてたり。穏やかで激しくて浅くて深くて、そんでもって広いあなたがほんまに好きで、できれば一生、一緒におりたいね。   おしまい。

あなたはもっと大自然に触れるべきよ。ふふ。あなたに大自然の素晴らしさがわかるかしら?わたしはね、ロハスやスローライフっていう言葉に感銘を受けてそういう言葉に基づいた生活を送っているの。いつかは自給自足の生活を送りたいわ。自分で育てたり獲ったりしたものを戴くことって、美しいじゃない?あなたにわかるかしら?ロハスやスローライフの素晴らしさが。ふっふふ。まあ、とりあえず、実践してみるべきよ。あ、そうそう。わたしね、最近、パワースポットなんてものにも興味があって、いろんな所を巡っているの。日本の神社仏閣程度じゃ物足りないから、いつかはグランドキャニオンやエアーズロックに行くつもり。あそこに行けば、疲れたわたしの心身はたちどころに癒えるはず。あなたもいつかは行ってみるべきよ。自分がいかにちっぽけでつまらない人間だったかを実感すると思うわ。ふふ、あっはは。


このようことをのたまう方が、世間を賑わせているらしいのですが、わたしは、このような方々を見ると、「お前たちはもう、メシを食うことをやめろ」と云ってやりたくなる。大自然なんて、寝惚けたことを吐かしてくれるな。お前が云う大自然ってなんやの?ケニアかどっかの、サバナかなんかのことなん?ついでにもう一つ聞くけれども、パワースポットってなに?聖地とはなんか全然ちゃうような気がするんですけれど。なんだか、非っ常ーに気にくわんのですけれど。横文字になると、なんとなくすごくマネーのかほりが漂ってくるんですけれど。どうなん?


大自然の中で生きる人も、あなたの幻想の中で生活をしているのではない。彼らも、わたしらとおんなじ現実の中で息をして、中今に這いつくばって生きてるんです。それを、あなたがたの勘違いで汚したらあかん。グランドキャニオンの麓で生活する人らの中にでも、夫の浮気に泣く女がおったり、エアーズロックに見守られて育ったって、劣等感を拭えずに苦しむ少年がおったりする。ただ物を取って生計を立てる人らの中にも、汚さとか醜さがあって、全く問題は無い。環境が違っても、生きるってことに差はないって信じてる。素朴さを見くびったらあかん。粗野って笑ったらあかん。


二十一世紀の大自然には、なんとなく、逃げの要素が多分に含まれてる気がする。ただひたすら厳しい、人の立ち入ることの許されんものに自然って言葉を当てつけてる気がする。喧騒じみた現実から逃れるために無理くり自分の理想の空間を作って自然って呼んでるだけのような気がする。そんでもって、それはほんまの自然なんかとは全く云えんような気がする。そんな不自然な自然なんてものは、自然に対して失礼です。ほんまの山、森、川、海、農民、漁民、そのほか、自然のなんやかやを、もっとちゃんと見らなあかんって。現実を見る目で。そこに癒しなんかは無い。心を浄化するような魔法も無い。そこにあるのは、風景の美しさと、その中でなんとか生きようとする人らの生活と、その密やかな息遣い。それこそが自然の醍醐味で、守るべきもので、昔の人が伝えたかったものやと、わたしは信じてる。まずは、自分の生活を生きて生きていかなあかんのであります。

今日の日のような晴れは、よく見ると全くの真っ青であるな。このように快晴が鎌首をもたげておると、空がぐっと近いような、はたまた遠いような。吾が生まれた町では、昨日、海をお開きになって、鮫、鱶の類が浜辺に侵入せぬように網を張り巡らせ、人を呼び入れ、誰もが泳ぐことのできる海をおつくりになったようです、例年のごとく。矢庭に活気づいた海は、ほんとうに青くて、黒くて、緑で、斑であるな。八割方、ウルトラマリンブルー。新しい芽の吹いた山は、四方が緑と黄緑とビリジアンの塊で、ポンポンしておるな。そこもここも、発色が鮮やかになりつつ、濃くなりつつ、徐々に夏めいてきた気がすると思ったら、明日には夏がお立ちになるそうな。ほんの何日か前まで、パステルパステルしてた空気も、一気にビビッドめいてきた。初夏なんだな、初夏なんです。


なんか、こういう陽気の変わり目、終りは始まりをすごく感じる気がするような、引きずるようで呆気ないような、「まだまだ」って我慢を重ねておった春が「ええいめんどうだ」と投げてしまった匙を、夏が受け止めたような、ドアを開けて次の部屋に駆けていくような感慨に支配されておるわたし。世界は今、ものすごくパステルとビビッドであるような。