三年目にして、こんなとこ、来んかったらよかった。って思ってる、いま。あそこに行くのがつらすぎて、毎日泣いてる、いま。

わたしは、見てのとおり、容姿は残念やし、とびきり勉強ができるわけでもないけど、感性とセンスだけは、磨いてきたつもり。それで、それを伝えるための言葉と手段も、吸収してきたつもり。でもな、誰もわかってくれんかった。わからんかったどころか、理解しようともしてくれんかった。それって、わたしの存在意義、無し!ってことに値するよな。理解されへんことが、いちばん悲しくて、悔しくて、腹立つ。

一回でも、たったの一回でも、わたしの感性、センス、言葉を見てくれたひとは、おるんやろか。それを見て、聞いて、感じて、心を動かしたひとは、おるんやろか。たぶん、おってひとり。わたしが落ち込んだときに、モツ鍋屋に誘ってくれた、あの娘だけ。わたしの苦しみにいち早く気づいて、いちばんほしい言葉をくれた、あの娘だけ。いつも会ってたわけじゃないのに、文字どおり、そっと寄り添ってくれて、ありがとう。

わたしは、理解されないことが嫌い。やけども、理解しようともしてないくせに理解したようなことを言われるのは、もっと嫌い。そういうひとは、すぐに抽象的にごまかして、根拠のない言葉でその場をやり過ごして、自分の行いに逃げる。他人のほんまのつらさをちょっとでも察したら、その人に沿って、その人に成って、言葉を探すべきやと思う。あなたはわたしと違うのに、わたしはあの娘になりたいのと違うのに、って歯痒い。わたしの思想も、抱いてる感覚も、目指してるところも、憧れてる人も、なにひとつわからんくせに。それで、それよりまだもっと嫌いなのは、自分たちの理解に及ばへん人を端から切り捨ててかかること。あほらしなってくる。なによ。いい加減学べよ。なんで、こんなつらい思いをしてまでそんなとこにおらなあかんのやろ。

あそこに毎日おったら、素朴な疑問が沸いて来る。友達ってなんやったっけ?



あーあ、あほくさ。毎日、磨いてきた感性が錆び付いて、センスが劣化していくのを、感じる日々。怖い。嫌い。