世界一小さい新聞

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山本モナのお手軽MBA、その後

■2011年1月11日付で私は「山本モナのお手軽MBA」というタイトルに記事を書いた。URLは以下の通り。再読してもらいたい。


http://ameblo.jp/babynikkan/entry-10775753119.html


■どうやらこの記事が気に入らない人たちが、コメントを入れてくるのだが、余りにレベルが低いコメントゆえに、ごみ箱に捨てることにしている。本日もまた性懲りもなく届いたが、IPは隠してあるから、ここに掲載する必要もない。


   日時: 2013-08-09 13:03:42
   記事タイトル: 山本モナのお手軽MBA
   コメントをした人: かみゆ さん
   コメントをした人のIP: 0.0.0.0
   コメントのタイトル: よくもまぁ


■「よくもまぁ」というのは、「よくもまぁ、こんな記事を書けたわね」ということらしい。要するにこのコメントは、この記事が十分な取材に基づいて書かれていないということなのだが、今読みかえしても、私には記事を修正しなければならない理由はなく、ズバリ核心を突いていると思うし、むしろ加筆したいくらいだ。だから、加筆しよう。


■まず、私が既述した次のパラグラフについて、私を非難するコメント送信者は、あえて無視している。


(略)コース授業で使われる言語はウェールズ語でもなく、むろん英語でもなく、日本語。読み込む文献は日本語、教える教員は日本人、なんのことはない全部日本を引きずっており、教育するのはHuman Academyという、一般に耳にしたことのない株式会社のHABSが作った組織である。私はいまここで、この組織が提供する教育の内容をとやかく言っているのではない。この株式会社が提供する「英国国立ウェールズ大学経営大学院MBA(日本語)プログラム」という表示がおかしい、と言っているのだ。


この表記だと、まるで英国で勉強して取得したMBAだと思う人もいるだろうし、ウェールズ大学が教育に「直接」かかわり、同大学から教員を派遣、前面的に協力して高等教育を行っているように受け取ってしまうではないか。実際、山本モナは、日経ウーマンからの取材で、「私が通ったのはイギリスの経営大学院です」と答えている。


■「この組織が提供する教育の内容をとやかく言っているのではない」と明言しているにも関わらず、非難の材料では教育の内容はいいぞー、と言っている。またモナ自身が言うような「私が通ったのはイギリスの経営大学院です」は誤解を与える表現で、この表現では、彼女が日本語で日本のカリキュラムで、東京で時々スクーリングをしただけのシロモノと思う人は誰もいないだろう。私はこういういかがわしさを具体的に指摘したわけだ。


■しかし、もう一度、再調査をしてみると、驚くべきことがわかった。これは恐らく学者の教育倫理にも反することであろうし、事実として間違っていることである。


http://www.athuman.com/mba/programme/about.php?code =


「外部審査委員」(エクスターナル・イグザミナー)と見出しがついたくだりである。


外部審査委員は、英国ウェールズ大学以外の英国の教育機関から選任され、当プログラムで行なう試験内容の審査と許可、適正な成績評価、最終的な成績の決定に関する監査と許可、英国大学の学位を授与する高等教育機関としての、教育の質向上と成績評価プロセスの改善に関する指導を行なう役割を担っています。監査および指導は、年間を通してのウェールズ大学認証事務局とのコミュニケーション、日本国内において年2回開催される定期審査、当プログラム教職員との会議、および当プログラム学生と審査委員による会議(学生からの改善要望抽出)を通して行われます。特に当プログラムの外部審査委員は、日本語での提出課題、定期試験、および修士論文の審査を行なう日本語能力を有しています。2011年1月現在の当プログラムの外部審査委員は以下の2名です。


■以上のように記述されている。問題は、「特に当プログラムの外部審査委員は、日本語での提出課題、定期試験、および修士論文の審査を行なう日本語能力を有しています。2011年1月現在の当プログラムの外部審査委員は以下の2名です」という個所だ。上記の説明によると、この外部審査委員は、「日本語での提出課題、定期試験、および修士論文の審査を行なう日本語能力を有しています」とあるが、「うそだろう!」と驚きを禁じ得ない。


■審査委員の英国人について、私は彼の日本語能力を知っている。また彼はMBAに関する知識よりは 日本の政治に詳しく、特に中曽根康弘政権下の教育改革と政治。そして彼の得意技は、なんと「日本の新幹線ネタ」。私は彼とメールを交換したこともあるから、彼の教育バックボーンを理解しているが、MBAの外部審査員の質に関して「疑義」を出したいと考える。本来なら、日本の大学卒の日本人が外国人審査委員より日本語能力も筆記能力も上であるし、また日本語の修士論文の中身も質は高いだろうに、なぜ、日本語に劣る外国人による外部審査を受けるのか、これを奇異だと思わない人はいないはずだ。


■理由はもうわかっている。東京からいったん英国へ戻すことで、権威づけをする必要があるのだ。いったいどれくらいの金が学商たちの懐に入っていくのだろうか。「おいしい日本人相手の商売であるからやめられない」のが本音だろう。


内柴正人さんは岩窟王?


第2話 から続く)

さらに、いくつかのことを指摘しておこう。


まず、勾留期間の長さである。
日本の法制度、特に刑事に関する法規には、
戦前の暗黒の残滓が残っており、たとえば、勾留期間の長さだ。
23日間が通常、しかし10日以内なら何度でも延長でき、
複雑な事件の場合、1年にわたることもある。
ここは先進国か――と疑うほどに被疑者にとって苛酷な実態だ。


先進国と呼ばれるところでは普通、数日である。


さらに内柴正人さんは去年の12月に逮捕されて、初公判まで、
5回にわたって、保釈申請をしてきたが、
全部、裁判所から保釈許可が下りなかった。


逮捕以来、弁護士とはなんとか接見できるようだが、
妻子との接見さえ許可されていない。
拘置所で、妻と子供にさえ会えないことは、精神的にかなりきつい。


警察・検事の取調は期間としては9か月に及び、
マスコミはこの問題を指摘さえしない。
新聞は、もう始めから100%、内柴さんを有罪とみているから、
一般論の議論さえしようとしない。


取調は、人権無視として、代用監獄と呼ばれる、警察署留置所が
しばしば拘置所の代わりに使われ、人権無視の環境で行われる。

拘置所だと、取調時間が決められ、食事も規定どおりできるが、
警察署では、自分たちの管理下で、自白へ追い込んでいく。
だから、過酷な取調から逃れたいために、ついやってもいない犯罪をやったと認めてしまう。
そして、裁判所はこの「悪習」下の自白を採用してしまう。


冤罪が起きる理由の1つであるこの代用監獄の問題は、
国連に何度か訴えられているが、日本国は聞く耳持たず。


くどいようだけど、内柴さんの事件は、男と女が酒を飲んで起きた事件だ。
接見禁止をしつつ、取調になぜ270日もかかるのか。
「無実」を主張すると、それだけで保釈されない。
そして妻子とも会わせてくれない、接見禁止。


僕は、内柴さんが有罪・無罪かを書いているのではなく、
この議論を一般に敷衍させて、被疑者が警察から受ける仕打ちが、
人権無視に当たると述べているのだ。


最近は、痴漢冤罪が議論されている。
いつ人はそれに巻き込まれるかわからないので、
満員電車に乗るさいには、両手でつり革をつかんで、
いかにも「何もしてませんよ!」と言わんばかりの
アッピール行動をとらないといけないそうだ。


しかし、日本国では、万一、捕縛されたら、
犯してもいない罪でさえ犯したと認めなければ、
何か月間かは、日本の裁判官は保釈を認めないだろう。

本当に、恐い国だ。


おそらく国家は、彼の一身専属の名誉をオリンピック史上から
消す役割を担っているのだろう。
準強姦罪を犯したオリンピック金メダリストとして、
歴史から抹殺しなければならないのだ。


ゆえに、今夏、ロンドンオリンピック開催中は、
内柴さんの「う」の字も出さず、
拘置所に入れておいて、
オリンピック熱が終わったこの時期に、
初公判が行われたことで、辻褄があう。


以上のような状況・背景の中で、
内柴さんは、無実を主張し、国家と対峙している。


本当に無実で、最後まで戦うつもりでも、
ただ、「合意があった」「合意がなかった」の世俗的な男女の事件では、
冤罪の迫力も、本家の「昭和の岩窟王」にはとてもかなわないから
「平成の岩窟王」とまではいかないだろう。

内柴正人裁判の疑問点


第1話 から続く)



容易に想像できることは、裁判所も検察も、内柴さんを絶対に「有罪」にもっていくはずだ。
殆ど自分達、身内の事情と言っても過言ではない・・・。
もうシナリオは決まっている・・・だろう。


キャリア組は、自分のキャリアを考えて判決を下す。
すでに米国のコロンビア大ロースクールのラムゼアー教授(Ramseyer)が
それを証明する英文論文を発表している。
日本法を研究する海外の法学者は、日本の裁判官の本性を完全に見抜いている。
(日本の法学者は恐れて書かない)


彼らは、国家から睨まれる判決を下して、最果ての裁判所支所勤務へ流されたくない。
国家としては、もはや内柴さんが、真に有罪が無罪かに関心はない、
この裁判では絶対、無罪にしてはいけないし、できないのだ。

もう結果は決まったも、同然。
自分の「キャリア」に傷ついても、
正義を尊重する裁判官が主宰してはまずい。
その意味でも、今回の裁判官が選ばれたのであろう。

また、多くの人が関心を持つから、大きな法廷にしたと考えるのも単純すぎる。
裁判所が宿痾としてもつ、社会・国民に対する社会観のゆがみだろう、と思う。

たぶんたいていの人は、裁判官を高潔で人格者と見ているが、実際はずいぶんと違う。


厳しい受験戦争を経て、大学時代はほとんどが図書館と司法試験予備校を往復する生活を送る。
彼らは、社会の実相を知る間も無く、こうした生活では、社会音痴になる。
またこの閉塞した「がり勉環境」では、人徳の育ちようがない。


下級裁判所では、常識不足、世間知不足で人間知らずのアタマで、裁判を主宰する。
少年時代・少女時代から、つめこみ教育の模範生として、
一度も叱られない、失敗知らずの環境で育ち、性根は驕慢・権高、
裁判官になっても、神聖であるべき法廷で、居眠りさえもするが、
性的な事件に対しては、異常な興味を覚える裁判官は決して珍しくない。


男女のデリケートな話だから多くの傍聴人が興味をもって来ると踏んでのことか。


いつもはうたた寝をしている判事でも、いざ尋問が佳境にさしかかると、
ガバっと体を起こしながら咳払いの一つでごまかし、聞き始める光景はときどきみられる。
ある弁護士の著作で、女性判事は被告男性がイケメンなら勝たせるという例が出ていたのには
「さもありなん」と合点したことがあった。


受験一筋の人間に、洞察力など育ちようがない。
洞察力も人格も社会にもまれて、傷ついてできたいわば大人の褒美だ。

つまり、裁判官たちのリビドー(性衝動)が動機となった大法廷利用だ。
そして、柔道界に泥を塗ったとされる内柴さんをこの大法廷で裁き、
国民に国家の威信を見せつけたいわけだ。



さらに、今回の裁判長のキャリアから推論をたてると、
次のようなことが疑念として残る。

司法界は、ピラミッドシステムだ。
目に見えないが、上下関係、優劣関係がきちんと決まっている。
国家が作り、国家がおおいにこのシステムを利用している。

司法修習時代に薫陶を受けた裁判官に一介の弁護士が立ち向かうときの心境やいかに?
すでに、国家が法廷コントロールに心理作戦を使っているのは明らかだと思う。


基本的に弁護士は、裁判官には卑屈な態度を示す。
いかに弁護士会の大御所でも、裁判官の前では、哀れに見えるほど
「借りてきた猫」状態なのだ。


そして、法曹は、司法修習所で「同じ釜のメシ」を食ってきた「仲間」。


こうした諸点を総合判断してみると、
残念ながら、いかに内柴さんが「無実」を主張してみたところで、裁判は負けだろう。
判決は、3年の実刑。
その後、内柴さんは控訴するに違いない。
戦いの場は東京高裁に移るが、これも敗訴。

次の2016年リオデジャネイロ・オリンピック開催よりもかなり前に、
簡単にセカンド・ステージでの敗訴の判決が出ると思う。


彼に対する世評は、「やったことを認めない往生際の悪い奴」。


しかし、これでは終わらない。
考えねばならない問題はまだ残っている。


(続く)

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