内柴正人裁判の疑問点 | 世界一小さい新聞

内柴正人裁判の疑問点


第1話 から続く)



容易に想像できることは、裁判所も検察も、内柴さんを絶対に「有罪」にもっていくはずだ。
殆ど自分達、身内の事情と言っても過言ではない・・・。
もうシナリオは決まっている・・・だろう。


キャリア組は、自分のキャリアを考えて判決を下す。
すでに米国のコロンビア大ロースクールのラムゼアー教授(Ramseyer)が
それを証明する英文論文を発表している。
日本法を研究する海外の法学者は、日本の裁判官の本性を完全に見抜いている。
(日本の法学者は恐れて書かない)


彼らは、国家から睨まれる判決を下して、最果ての裁判所支所勤務へ流されたくない。
国家としては、もはや内柴さんが、真に有罪が無罪かに関心はない、
この裁判では絶対、無罪にしてはいけないし、できないのだ。

もう結果は決まったも、同然。
自分の「キャリア」に傷ついても、
正義を尊重する裁判官が主宰してはまずい。
その意味でも、今回の裁判官が選ばれたのであろう。

また、多くの人が関心を持つから、大きな法廷にしたと考えるのも単純すぎる。
裁判所が宿痾としてもつ、社会・国民に対する社会観のゆがみだろう、と思う。

たぶんたいていの人は、裁判官を高潔で人格者と見ているが、実際はずいぶんと違う。


厳しい受験戦争を経て、大学時代はほとんどが図書館と司法試験予備校を往復する生活を送る。
彼らは、社会の実相を知る間も無く、こうした生活では、社会音痴になる。
またこの閉塞した「がり勉環境」では、人徳の育ちようがない。


下級裁判所では、常識不足、世間知不足で人間知らずのアタマで、裁判を主宰する。
少年時代・少女時代から、つめこみ教育の模範生として、
一度も叱られない、失敗知らずの環境で育ち、性根は驕慢・権高、
裁判官になっても、神聖であるべき法廷で、居眠りさえもするが、
性的な事件に対しては、異常な興味を覚える裁判官は決して珍しくない。


男女のデリケートな話だから多くの傍聴人が興味をもって来ると踏んでのことか。


いつもはうたた寝をしている判事でも、いざ尋問が佳境にさしかかると、
ガバっと体を起こしながら咳払いの一つでごまかし、聞き始める光景はときどきみられる。
ある弁護士の著作で、女性判事は被告男性がイケメンなら勝たせるという例が出ていたのには
「さもありなん」と合点したことがあった。


受験一筋の人間に、洞察力など育ちようがない。
洞察力も人格も社会にもまれて、傷ついてできたいわば大人の褒美だ。

つまり、裁判官たちのリビドー(性衝動)が動機となった大法廷利用だ。
そして、柔道界に泥を塗ったとされる内柴さんをこの大法廷で裁き、
国民に国家の威信を見せつけたいわけだ。



さらに、今回の裁判長のキャリアから推論をたてると、
次のようなことが疑念として残る。

司法界は、ピラミッドシステムだ。
目に見えないが、上下関係、優劣関係がきちんと決まっている。
国家が作り、国家がおおいにこのシステムを利用している。

司法修習時代に薫陶を受けた裁判官に一介の弁護士が立ち向かうときの心境やいかに?
すでに、国家が法廷コントロールに心理作戦を使っているのは明らかだと思う。


基本的に弁護士は、裁判官には卑屈な態度を示す。
いかに弁護士会の大御所でも、裁判官の前では、哀れに見えるほど
「借りてきた猫」状態なのだ。


そして、法曹は、司法修習所で「同じ釜のメシ」を食ってきた「仲間」。


こうした諸点を総合判断してみると、
残念ながら、いかに内柴さんが「無実」を主張してみたところで、裁判は負けだろう。
判決は、3年の実刑。
その後、内柴さんは控訴するに違いない。
戦いの場は東京高裁に移るが、これも敗訴。

次の2016年リオデジャネイロ・オリンピック開催よりもかなり前に、
簡単にセカンド・ステージでの敗訴の判決が出ると思う。


彼に対する世評は、「やったことを認めない往生際の悪い奴」。


しかし、これでは終わらない。
考えねばならない問題はまだ残っている。


(続く)