私も以前は、聞かれるがままに答えていました。例えば、おもいやりのある子、とか。無責任に言っていました。
さぁ、私は、おもいやり、が何であると思い、そう使っていたのでしょうか…
今は、色々な方の考えと出会い、親が思うようには、子は育たない、むしろ、親のように子は育つのだ、と気付かされました。
例えば、宿題や手伝いをしない子に、しろ!と言っても…しかも、自分が家事をサボり、スマホでも弄りながら言ったもんなら…
それに気付いた私は、まず、家事を済ませ、何も言わずに夜が来るのを待ちます。次第に、宿題をしていない自分と向き合い、宿題を始めるようになりました。
そこで、最初に戻りますが、その愚問に対し、今、私が思えるのは、どのような子に、というよりは、その子らしく育って欲しい、という事です。
コトバにできるはずもありません。むすめっこりには、むすめっこりらしく、眠り姫には、眠り姫らしく、生まれもったものを自分なりに考え、育てていって欲しいと思えるようになりました。
おもいやりをもって、という事を私なりに考えてみました。
誰かのために、何かをする、とか、誰かを思い、声をかける、それだけじゃ足りないな、と。
誰かが声をかけてくれた時に、ありがとうと笑顔で言えたり、素直に頼る、甘える事なんだと、私なりに思いました。
手伝おうか?と言われ、大丈夫!と強がるより、素直に、じゃ、これを手伝ってもらえると助かる!と甘える。これで、相手のおもいやりに、こちらも、おもいやりを返せてしまう。大丈夫!と言われると、声をかけた方も、余計なお世話だったのかな、とか、気持ちがスッキリしません。断った方も、あまり気持ちよくありません。
だったら、今は大丈夫!次は甘える!と伝えあえる、とお互いに幸せな気持ちになりますよね。何でも頼れるけれど、その人が次は私を頼ってくれるんだ!と。
おもいやりは、素直に甘える事、すべては、コミュニケーションなのだ、と私は思いました。
コミュニケーションが取れないと、きっと成長の幅を狭くしてしまいます。浅く広く、とは言いませんが、ほどよく深く人と付き合っていけば、気付いたら、まわりには人がたくさん、なんて事もあるかもしれませんね。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございます。田舎のおかあちゃん、色々と考えているのです。