9年前に安楽死について書きました。
9年分の経験がない時の事。
命の期限を人が決めるべきではない。という気持ちは変わらない。
でも、今は動物福祉の観点から考えたら安楽死をするべきである、または安楽死を選択肢として考えなければならない症例がある。
という考えに至っています。
今は安楽死という選択がもう少し浸透しても良いのでは?と思うようになりました。
最後に獣医に安楽死を提案された時に考えることを書いてあります。
殺処分、多頭崩壊、動物医療が進むにつれて高度医療や検査ができるようになり、色んな記事を目にするようになりました。
特に感じるのは日本人は死ぬ事に関して過度に過敏に反応する。という事です。
何故なのか?
宗教的な背景が無いからなのか、そこはわかりませんが産まれる事も死ぬ事も自然な事です。
健康な犬猫の殺処分に対して敏感なのは分かりますが安楽死は麻酔で深く眠らせたまま亡くなるので自然死よりも楽な死に方です。
オーストラリアの熱傷を負ったカンガルーの安楽死に対しても日本人は批判めいた気持ちになる方がいるようですが、生きられる見込みが無い、またはそのままにしても苦しむだけだという事が獣医学的に判断できる獣医師がやっています。
獣医師は本来私達よりもずっと動物が好きで助けたい人たちです。そうでなければ勉強してお金だして大学行きますか?
その人たちが安楽死を選択しなければならないのはどれだけ辛い事か、またカンガルーがどれだけ酷い熱傷を負ったのか理解して欲しいと思います。
最終的な救済です。
話を人間の医療にうつして考えてみましょう。
人間の場合は第一に救命が優先されます。
ですから医療現場ではすでに脳死している状態の方が呼吸器に繋がれて生きている事もあります。
老人の胃ろうについても近頃は問題視されていますが意識が無くとも呼吸してて胃から栄養が入れば生きています。
どちらも寝たきり。植物状態とも言われます。
また救命にあたり救急室で開胸して心臓マッサージまでする場合もあります。それが80才の高齢者だったらどう思われますか?
そこまでするべきでしょうか?
人の場合、意識が無いと本人の希望を度外視して救命になり、挿管、呼吸器というとても苦しい状態に置かれる事になってしまいます。
自分の身に起こることと考えたら、やめてほしいと思う人がほとんど。。
しかし、日本では人間の安楽死は認められていません。
医療現場で働く人たちにはこういったジレンマの中に置かれる事も少なくありません。
しかし動物はどうでしょうか?
あえて苦しい思いをさせてまで生かす必要はない。安楽死という選択をして良いのです。
昨年、初めて里親さんに安楽死を勧める、と言う経験をしました。
その子は口腔内にガンができ、二度手術をしましたが再発し、食事ができない状態でした。
腫瘍は膨れ上がりご飯は食べられず餓死を待つ状態。回復の見込みが無く、獣医も、私も安楽死を勧めました。
顔面のガンだけは顔も変形して見ている方も辛い、本人も不愉快極まりない、それで食事ができないとなれば、、。。。
里親さんは決断され、日を決めて安楽死をされました。辛かったと思います。
でも、猫を苦しい状態のままにしておく事の方が辛い事です。猫の苦しみを我がことのように思える飼い主さんだから決断できたのだと思います。
選択するにあたっては医学的な知識は絶対に必要です。そうでなければ生きられる見込みがあるのに安楽死を選択する、または生きられないのに無理に生かそうとする、という両方の間違いを犯すからです。
動物を扱う場合に命と同じくらい大事に考えなければいけないものがあります。
それは何か?
あちこちで目にしてる方も多いと思いますが
これです
QOL quality of life (クオリティ オブ ライフ) 日本語では『生活の質』と言われています。
殺処分を免れさせ助けたつもりの犬猫が生き地獄にいる、日本ではあるあるの現実です。
これでは助けた事になりません。
命は得たものの、QOL がガクンと下がる。
というわけです。(場合によっては虐待とも言える状態にまでなってることがある。)
生活の質を落としてまで生かそうとする事に私は違和感を感じます。
センターからの引き出しの場合には飼育環境の悪化。
病気の場合には不必要な治療により痛みや行動制限がかかる場合など。
老化によって寝たきりになるのは自然かもしれないけど、そうではない時、動物にとって息をしてるだけ、ご飯も自分で食べられない、厳しい痛みが続く、酷い状態を死ぬまで耐えなければならない。
そんな時に安楽死はその苦しみから動物を助ける唯一の方法です。
安楽死を考えるべきか迷う時の参考に
または先生に安楽死を言われた時に考えること。参考にしてください。ここからちょっと辛い。
☆命の危険にあり迷う時
感情的な思い、自分の気持ちは脇に置いてください。冷静にならないと動物のための適切な判断はできません。
思考の順番として
①助かる病気、または状態か?
②治療法の選択について獣医に提示してもらい治療をした時のリスク、しない時のリスクを考える。
③治療に要する期間を考慮
④治療自体が動物のQOLに及ぼす影響について考える。
生きる可能性の%について、奇跡が起こらないわけではなく可能性が1%であってもそれにかけたい人もいるし奇跡的な経緯で生還する猫たちもいます。
ただ、ほぼ90%以上生きる見込みの無い病気、または状態である場合、変に期待をかける事は動物に余計な負担をかけ苦しい目に合わせる事を承知して下さい。
経験は無駄なものではありません。
ボランティアがそうであれば獣医の経験はなおのことです。助けるために日々治療をしてきている先生方が言う事を自分の考えと違うからと言って馬鹿にしてはなりません。
獣医さんが安楽死を勧める場合にはそれなりに理由があるはずです。それほどまでに状況は悪いと言う事と、もう一つは動物にとってを前提にしていると言うことです。人間的に考えてはならないという事です。
そこは9年前の私は未熟だったように思います。
長くやっていても安楽死を言われるケースはさほど多くはありません。
安楽死を考えなければならない猫を前にしたら動揺して当たり前ですし、誰しも生かしたい、生かしてやりたいのは同じです。
安楽死を提案している先生も、です。
生かしてやりたい思いは同じです。
最後に
安楽死を選択した人を誰も責めるべきではありません。自分を責めてもいけません。
もし他に方法があればそれを選択できたのですから。
9年前には1人で活動しており障害のある子たちを譲渡できませんでした。3年で亡くした排泄障害のあった子については生かして良かったかどうかはわからない。亡くなる時のトラウマが酷すぎて
今でも答えは出ません。
目の障害の子は今では眼科の先生にお世話になり適切な治療も受けられますし、里親さんにも出せます。
昔とはだいぶ違うのでその点、ご理解ください。
読まなくてもいいでーす。笑
※写真は本文と関係ありません。