never ending journey | SZ

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とある音楽家の地球生活のカケラたち

海外思考というコトバがある。

私はとりわけそういう訳ではない。


しかし海を越えるしかないと思っている私がいる。






今いるこの場所で
できることがあまりにもある。

まだできていないすべきことが
多すぎる程ある。

過去にした旅を通して、
'場所を変えたところで
変わるのは場所だけだ'と思い知った私がいる。


そんな私は海を越えるしかないと思っている。







チャップリンが誰かに

「どうしてアメリカ市民にならなかったんだ?」

と尋ねられた折、


彼は

「国籍を変える理由が思い浮かばないからです。

私は自分を
'世界市民'
とみなしています。」

と答えた。




その意識は、

すんなりすぎるほどナチュラルに共感できるが

私はその言葉を使わない。






私の行きたい場所は海を越えないと辿り着けない。





— 海外思考か? —




しかし

私の目指す国の中に、

もちろん日本もみえている。






地理的でない意味での旅には

アバウトにいうと2種類のものがあるといえるが、


ひとつは内側のこと。

つまり自分は誰かということについての戦い。



もうひとつは外側のこと。

つまり居場所や行き先についての
暗中寒中模索捜索模作創作………







前者の大航海は、

答という玉を獲得して岸にたどり着いて既に久しい。





私は

2つめの旅にでなくてはならない。必須。


had betterでなく

have toでもなく

mustである。










そう思っていたら


今はもう







てぶらでひとり







色も名も知らぬ








海の中。







海の外ってどこ?







空?