寺社に伺わない方が良い方 | 不思議なことはまだまだ起こる

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この言葉が私の頭の天辺からつま先までを抜けた。
この日から、私は自分の人生が自分の思うがままに生きられることを知った。人生って最高!

寺社に伺った時、太鼓の音が聞こえてきたのよね~という方、そうでない方、ポチッと、応援お願いいたします。


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有難うございます。
寺社に伺った時に太鼓の音を耳にするのは、大歓迎の証です。
有難くご参拝なさったら良いと思います。
ささっ、本文を読んでくださいませ。

 私は、鑑定後、ご縁を頂いた方々とメールのやり取りをさせて頂いておりますが、文面が怖すぎると思ったことが数回あります。

かなり前のことですが、東京のあるお寺に伺うことをお勧めした方からのメールに、お寺が建立されている場所について、「下町は嫌いだと思っていましたが・・・」や「駐車場があるから今後も行ける」と立地のことのみが記されており、お寺とのご縁に対し「有難い」などという言葉は一切ありませんでした。
それ以外にも、寺社に対し高みからのお言葉が並んでいました。

このことにお怒りになられたのが、桂昌院さまでした。
そのお寺の建立を願われ、ご尽力されたのは桂昌院様だからです。

また、私がお相手の方にお伝え申し上げた神社も、勧請されたのは桂昌院様でした。

この時、桂昌院様は、「下町の何がいけない。この世の土地など完全に自分の物にすることなど出来ない。にも関わらず、土地に対し、くだらない誇りを持ち、人をみくだし見栄を張り合う。そのような者たちが集まる場所よりも、仲良く心通わす下町の方がどれほど良いか。今後、私が関わった寺社への立ち入りは一切禁ず。己のような者が足を踏み入れるような場所では無い。それでも足を踏み入れるのであれば覚悟せよ」と仰っていました。
また、この内容をブログに記すようにとも言われました。

私はブログに記すことに抵抗がありましたので、親しくさせて頂いている宮司さんに事の顛末を聞いて頂きました。
宮司さんは、「貴方、桂昌院様ほどの方が、お考えなしに仰っているとお思いでしょうか。お相手の方は、東京の寺社、土地のことについて無礼を記したのでしょう。江戸は徳川。長く続いた徳川家ですから、家臣の方も多いです。その方々の怒りに触れれば、お相手の方も無事では済まないと思います。だからこそ、この度のことをブログに記し、注意を促すことによって、事を納めようとお考えなのだと思います。私が思うことが全てでは無いと思います。勿論、桂昌院様個人としてのお怒りもあると思います。桂昌院さまは、元々武家の方ではありませんから、将軍の御生母さまであっても、大変なご苦労をなさったと思います。ですが、徳川家の一員として、将軍生母として、最後まで、身を尽くされた方です。貴方も、そのことは分かっていらっしゃるのでしょう。相手の方が危ないと感じるから、私に連絡をしてきたのでしょう。桂昌院様のお心に従った方が良いです。それは、貴方にしか出来ないことなのですから」と仰られました。
ブログには、全て記しました。

そして先日も、ご縁を頂いた方のお相手チーム方々に言われ、お伝え申し上げた寺社に対して、お寺の「規模が小さい」や、「特に思入れの無いところばかり」橿原神宮参拝のことに至っては、「ここは暑くて『こなしたぞ』という感覚だけでした」と、記しお送りくださった方がいらっしゃいましたが、魂の方々のお怒りが今も収まりません。

今まで、ご縁を頂いたことの無い寺社であると表現なさりたいのであれば、「これまで存じ上げなかった寺社ばかり」や「初めてご縁を頂く寺社ばかり」でも良いのでは無いかと思います。
何故に、「特に思い入れも無い」と、その寺社に思い入れがある方々の反感を買うような言葉を選ばれるのか、理解に苦しみます。

いつなら良いという訳ではありませんが、今年は明治天皇さまがご崩御されて百十年。
皇族の方々が、明治神宮を参拝なさっていらっしゃる時です。
初代天皇「神武天皇」さまが祀られている橿原神宮への参拝を「こなしたぞ」と記されることに、人では無いものを感じ、ゾッとしました。

天皇家の方々、ご高名な方、沢山のご功績を残された方だからひれ伏した方が良いなどとは全く思っていません。
そのようなことでは無いんです。
身分では無く、心の問題です。

私は、寺社というのは、先人の方々との待ち合わせ場所だと思っています。
先人の方々は、この世を過ごし、沢山の経験をして大本に戻られています。
そして、大本から同じ魂として、私たちを支えてくださっています。
この世を過ごした中には、今の私たちと同じ、幸せを感じる日もあれば、不安に駆られたり、孤独を感じた日もあったと思います。

だからこそ、私財を投じたり、伺う度に少しずつお賽銭を納めるなどして、寺社を存続させてきてくださったのだと思います。
今、私たちが目にしている寺社の姿は、このような先人の方々の心のリレーが無ければ、目にすることなど出来ないものです。
「いつかこの世に来る子たちだって、私たちと同じように心寂しくなったり、孤独を感じることがあるはず。晴天も続かないけど、雨も続かないよ。寂しくなったら、ここにおいで。大丈夫、大丈夫だからね」とのお心です。

私は、寺社に伺った時、御朱印を書いて頂いておりますが、それは、先人の方々のお心に続きたいからです。
「大きなことは出来ません。本当に、本当に、僅かばかりですが、お役立て頂けたら嬉しいです」と思っています。
私は、御朱印を「領収書」だと思っています。
『私も、先人の方々が続けて来られたことに参加している♪』と一人喜んでいます。

話しは逸れてしまいましたが、ご本人にはそのつもりは無くとも、寺社を愚弄するような高みからの物言いは、先人の方々の崇高なお心を踏むことと同じです。

祀られていらっしゃる方々は何も仰いません。
ですが、眷属を始め、関わって来られた魂の方々は、そのような方を決して許しはしません。

桂昌院様のお心を踏んだ方も、「国替えを命ず」とのお言葉通り、そのような流れが、ご本人の知るところなく進んでいました。
その後のことについては存じません。

今回の方も「こなしたぞという感覚だけでした」と、ご縁に対して感謝を持てないならば、その場所を保ってこられた方のお心を踏んだも同然です。

神々の存在、魂の方々の存在を肚(はら)の底から信じていないから、このようなお言葉が出てくるのだと思います。
折角、ご自身のチームの方々が「うちの子が参りますので、どうぞ宜しくお願い致します」と頭を下げて回ってくださったにも関わらず、その寺社に伺って愚弄するぐらいなら、伺わない方が良いです。

そのようなことをなさった方のチームの方々が思うのは、うちの子の為にと、「幸せを願っている背中を後ろから撃ち抜かれたような感覚」だそうです。
「余計なことをしたばかりに、大切に思ってきた子に要らぬことをさせてしまった。傍に居ては足を引っ張るだけ」と、迷わず離れるそうです。
とても切ないですが、そうご決断をさせたのは、ご本人だと思います。

私も、数回の経験ですが、本当に背筋が凍り付く思いですし、数日は皆様方の怒りが鎮まらず、その間、皆様方のお怒りのお言葉を伺っておりますので、心穏やかには過ごせません。

私たちを支えてくださっている方々には、支える義務はありません。
良くお考え下さいませ。

沢山の方々に読んで頂きたく、参加させて頂いております。
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