一週間ほど前から、PCの調子が悪く、ここ数日はだましながら使っています。
いつ立ち上がらなくなってもおかしくない状況なので、皆様にお知らせをしておく必要があると考えました。

今は懸命にバックアップの作業に追われていまして、ブログを書くことや皆様のブログに訪問するのも遅れがちです。
このPCが完全にダウンした場合は、しばらくiphoneで対応しますが、通常よりも遅れるとは思います。
ご高配賜りますよう、よろしくお願いします。

多分、近日中に新しいPCを購入することになるとは思いますが、設定や転送や同期などに時間が数日かかると思います。

これからの2週間あまりは、変則な形で対応すると思います。
その間、ブログもアップできるかどうかは、今のところ見当がつきません。
ご考慮いただきたく存じます。

取り急ぎ、連絡事項のみの、ブログとなりましたことお詫び申し上げます。

暑い日が続きます。
皆様におかれましては、くれぐれも御身体ご自愛ください。

Hongming拝
日曜日は政治ネタではありません。

大学時代、僕は演劇に没頭していた。
演出、役者、舞台監督、照明、音響、などすべてを4年間で経験した。
最後の卒業公演のとき、僕は主役を命じられ、女性の役が少なかったこともあり、Tさんという同じ卒業生の女性が演出をすることになった。
演出は映画の監督と同じで、僕も何回かやったが、統率する力も必要だし、重圧も激しい。
だから、ほとんど慣例みたいに男性がやる場合が多かった。
だが彼女は、悩みながらもその大変な仕事を引き受けた。

2ヶ月間の練習や準備が始まったが、案の定解釈をめぐって、それぞれがぶつかった。
その中心は常に彼女で、それは仕方のないことだった。
僕とも何度も激しい議論をした。
彼女の友達から伝え聞いて、少し弱音を吐いてることも知った。
でも僕は敢えて優しいことは言わなかった。
だから、傍目からは僕とTさんは仲が悪いだとか、このままでいいのかと心配する後輩もいた。
実際、僕も悩んでいたが、彼女は日増しに強く明るくなってるのも感じていた。
反面、そのように振舞ってるのかもしれないとも思っていた。

公演前日、最終リハで、僕はそれまで練習では「泣かないといけない場面」で泣けなかったが、初めて自然に泣けた。
その瞬間にこの劇が完成したのだと、自分の中で思った。
最終日の公演が終わり、都心近郊の安旅館で打ち上げになった。
卒業生も手伝った後輩や先輩も集まって、すべてを吐き出して宴会は盛り上がった。
それまでのことや劇への批評やこれで演劇とお別れするという想いなど、様々な感情がその喧騒の中にあった。
卒業生の一人でもあり、前年部長でもあったので、僕も集中的に飲まされ、発言させられた。

途中、したたか飲んでいたので、宿泊する部屋の一つに逃げ込んだ。
薄明かりのその部屋にTさんがいた。
びっくりしたので「あ、ごめん」と言った気がする。
その後、次の言葉が出なかった。
「よく頑張ったな」とかねぎらいの言葉を言おうかと思ったが、言えなかった。
Tさんの顔は僕のすぐ前あった。
あれほど毎日練習していたお互いが、このように間近でいるのは初めてだった。
見つめ合ってるうちに、互いに涙が流れてるのが判った。
沈黙が怖くなって、確認するように「うまくいったよな」とだけ言った。
「うん」
小さい言葉が返ってきた。
「嫌ってるのだと思ってた。」と彼女は続けて言った。
そのまま二人の目が互いの姿を写すのが見えるほどに迫ったとき、口吻を交わしていた。
彼女の実力は認めていたが、恋愛感情は互いにはなかったと思う。
それは、目標を達成した同志が、互いを讃えあう握手のようなものだったのかもしれない。

今ではそれがどのくらいの時間か、どのような感触だったかも曖昧だ。
後輩のO君が「せんぱ~い、こんなところでなにしてんですか。主役がいないと駄目ですよ。」と部屋に入ってきて、緊張感のある濃密な時間は終わった。

その後は、Tさんと話す機会はなかった。
卒業後も会うことも、話すこともなかった。
互いに言い足りないことを持ったまま、何年も過ぎて行った。
一度だけ、10年位あとの同窓会で会った事がある。
懐かしさに、笑いながら仲間と一緒に冗談を言って言葉を少し交わしただけだった。

男女の間でも、友情のような、共感し合う感情を持ち合うことはあるのだと思う。
あの瞬間で、互いは理解し、和解も出来たのだと思う。
あくまでも僕の勝手な解釈だが。



11日、NHKの解説委員室副委員長の影山日出夫氏が、NHK放送センター内トイレで首をつっている状態で発見された。病院に搬送され治療中だったが、12日夕、死亡が確認された。

影山氏がトイレで発見されたのは8月11日17時30分前。
影山氏の机からは遺書のようなものが見つかっているとも報じられている。
だが、内容は個人的なもので公表しないとのことだ。

影山氏は、政治部記者などを経て「日曜討論」の司会などを務めていたが、どちらかと言えば、自民党寄りで、「政治と金」の問題の追及をしていたが、記者クラブ所属でもある。

遺書らしきものを残しながら、職場で突発的に自殺するのは、彼ほどの知識人では考えにくい。
ならば、自殺に見せかけた「口封じ」なのだろうか。

以前にブログにも書いた、2001年10月のNHKの長谷川浩氏が自社の渋谷放送センターから転落死している件とは違うように思える。
彼は9.11テロのアメリカ陰謀説に関連して「WTCの死者には、4000人いたイスラエル国籍のユダヤ人二重国籍米国人が1人もいなかった」と番組で発言していたという、時の権力者に明らかな不利なネタを持っていたからだ。

では今回は何が「口封じ」の対象だったのだろうか。

この数日前、長い間検察が放置していた件に動きがあったことを朝日が伝えている。

民主党への政権交代が決まった昨年の総選挙直後に2億5千万円の内閣官房報償費(官房機密費)を不当に引き出したとして、自民党の河村建夫官房長官(当時)が詐欺と背任容疑で告発されたことを受けて、東京地検特捜部は、内閣府に使途を照会する方針を固めた。

捜査当局が官房機密費の使途を照会するのは初めてとみられる。2002年に策定された機密費の取り扱い要領は、「出納管理簿」や領収書などの支払い関係書類について「5年間保存し、犯罪捜査の対象として捜査当局から求めがあった場合、(職員は)官房長官の同意を得て使用する」と規定する。支払先の記録が残っているかは不明だが、民主党政権は機密費の公開ルールを検討しており、対応が注目される。

河村氏は、自民党が大敗した衆院選から2日後の昨年9月1日、それまでの月々の使用額の2.5倍にあたる2億5千万円の機密費を引き出した。鳩山政権が発足した後の同年11月、当時の平野博文官房長官が公表して発覚した。

この件以前に、最近は「官房機密費」を受け取ったとされる記者や評論家などへの追及は強まってきていた。
当然、記者クラブ所属の者は、ベテランほど疑われるのではないか。

影山氏がどのような性格なのかはわからないが、追い詰められていたのなら、自殺も考えられるが、その場合、職場のトイレを選ぶだろうか。またそんな時間帯を選択するだろうか。
逆に正義感や報道への誠実さを持ち合わせていた場合はどうだろうか。
自分を含めた「官房機密費」の受領者を公表しようと考えたとしたら、そのことを良しとしない人たちもいたのかもしれない。
その行動を見抜いたグループは「口封じ」を選択したのだろうか。

または、最近のNHKはどちらかと言うと、親韓、親中である。
温家宝首相来日のときも、独占インタビューを放送しているが、内容は中国サイドに大変気を使ったものであった。
このようなNHKの流れに、反発しての自殺とも解釈できなくもないが、それだと抗議文がないのは解せない。

この事件の前日、関西朝日は、京都朝鮮第一初級学校(京都市南区)の授業を街宣活動で妨害したとして、在特会の幹部らが逮捕された事件で、京都府警が、東京の会長宅からパソコンを押収したことが捜査関係者への取材でわかったと伝えた。
府警は家宅捜索した関係先12カ所で押収した資料約130点を分析し、組織の実態解明を進めるそうである。
この件はいろんな人がブログで書いているが、小沢氏の件で検察審査会に申し出ていた団体への捜査は、河村氏官房機密費といい、これまでの検察、警察の動きが違う感じがする。

いくつかのブログでは、流れが変わったのではないかという意見のものを見ることが出来る。

それらと連動するのかわからないが、2日前には小沢グループについて以下の記事があった。

米軍普天間飛行場の移設問題を巡り、民主党の「沖縄等米軍基地問題議員懇談会」のメンバーら約20人が今月26、27日に沖縄 を訪問することが分かった。会長の川内博史衆院議員は同県名護市辺野古周辺への移設を決めた日米共同声明の見直しを求めており、9月の民主党代表選で争点 化させる狙いもある。
同懇談会関係者によると、沖縄訪問では、「国外移設」を主張し、11月の沖縄県知事選に近く出馬表明する見通しの伊波洋一・宜野湾市長と会談する 予定で、共同声明見直しを求める同会の姿勢をアピールする。福田衣里子、三宅雪子両氏ら昨年衆院選で小沢一郎前幹事長の支援を受けて初当選した議員も参加 する予定だ。
川内氏は今年2月、初代会長の鳩山由紀夫前首相から会長職を引き継いだ。米側の公表資料や在沖米軍関係者への聞き取りに基づき「普天間の移設先は 米領グアム、米自治領北マリアナ連邦テニアンへ」と主張している。

また、日本一新の会のメルマガには、平野貞夫氏の「問題の本質は菅政権の信頼感にある」とした文章が掲載されている。

最近の小泉竹中応援団たちの関係者の逮捕などもこの流れのなかにあるのだろうか。

少し前に書いたブログ「八丈島」の「手打ち」はある程度本当だったのだろうか。
それとも余りにも不甲斐ない菅直人をアメリカは見放そうとしているのだろうか。
まだ、しばらくは見ていかねばならないが、9月の代表選まで、まだいろんな動きがあるだろう。
あの島で、小沢氏は潮目を見ていたのかもしれない。