詳細は、周知のことと思い、ここでは割愛する。
日本の闇を調べていくきっかけにもなったこの事件は、いろいろなものを読んで調べたので、改めて書く気はしなかった。
しかし、今日のマスゴミの報道が相変わらずの記事で埋め尽くされているのを見ると、腹が立ってきて書こうかなと言う気分になった。
従って、今日は冷静には書けないと思う。
また、ネット上には詳しく資料や写真を添付した、真相を追究したものが沢山あるので、其処で詳しく見て考えていただきたい。
そもそも、この事故の真相を知るためには、墜落原因が何だったのかが重要なのだ。
事故調査委員会の報告は、「隔壁の損傷により尾翼、後部が破壊された」のが直接原因とされ、遠因は隔壁の修理ミスとされた。
訳のわからない「金属疲労」なる言葉も出てくる。
それならば、何故ボーイング社を訴えないのだ。
また、何故その後もJALはボーイング社から飛行機を買い続けたのか。
これは、JALもボーイング社も最小限度に責任を回避できる原因に最も良いものだったからだろう。
そもそも隔壁破損が上空で起きると、減圧が起きて、酸素マスクを着けないといけない状態になるのに、実際は証言などから、そのようなことは起こっていない。
つまり、この調査報告は捏造されたもので、墜落原因は他にあるのだ。
捏造までしなければいけない墜落原因とは何か。
ネット上で言われる「撃墜」されたとする説は有力だろう。
他の原因ならば、捏造する必要はないし、墜落現場を特定していたにも関らず、一切報道には教えなかったと言うことや、1時間後に米軍へりが墜落現場の上空から救助活動をしようとしたのを断る理由も、
断った上すぐに救助に向かわなかった理由の説明がつかないではないか。
JAL123便が相模湾上空で水平飛行に入った後の、コクピットの緊張感やシートベルト着用、その後6分間の急上昇、死亡した乗客のカメラに残る窓の外のオレンジ色の飛行物体、何かの追われて後に、ボイスレコーダーに「ドーン」と言う音が残っている。
これらの事実から導き出されるのは、当時相模湾での自衛隊と米軍の合同演習との関りで、おとりの機体か巡航ミサイルの類の飛行物体の衝突であろう。
それならば、何故ミサイルの自爆や民間機認識装置が作動できなかったのだろうか。
故障か操作ミスか誤認か、はたまた米軍の陰謀か。
このことは判らないが、どちらにしても自衛隊が原因であるとしたら、その後の隠蔽はつじつまが合う。
JAL123便はその後、羽田あるいは横田に帰りたかったが、自衛隊機が追尾し、誘導していく。
この事実を隠せる場所への誘導である。
自衛隊から防衛大臣にこの事実はすぐに伝わり、官房長官を経て、総理に伝わったのだろう。
当時の総理は中曽根康弘。官房長官は藤波孝生、防衛大臣は加藤紘一である。
迷走飛行を続けながら、機体は総理の地元群馬に向かっていくのである。
このとき既に、国家の中枢は乗客乗務員全員の命を奪うことを決めていたのだろう。
隠蔽はまず一般人や報道を墜落現場に近づけないことから始まった。
墜落から翌朝までの間、特殊任務を受けた自衛隊が山に入った。
生存救出された一人は、夜の間何十人もの声を聞いたと証言している。
すぐに救助に向かえば、助かった命はもっとあったのだ。
正義感から救助に入った自衛官が射殺されたと言う情報もある。
朝、地元の消防団などが現場に向かったが、その際に既に自衛隊がヘリでなにか物体を吊り上げて運んでいった証言がある。
遺体の損傷は激しく丸焦げのものも多く、2度焼かれたようだったそうだ。
回りの木々がそれほど焼けていないのも不思議なことだ。
4名の生存者は、隠蔽者達から見たら誤算だったのだろう。
その意味では本当に奇跡の生還だったのだろう。
この政府の大いなる犯罪隠蔽は、アメリカに最大級の弱みを握られた。
アメリカからの要望書をその後ずっと飲み込んでいくのである。
この判断は大きな間違いである。
国民を殺し、国民を欺き、国民を救助せず、後の国民の財産を奪った。
中曽根康弘は一度も御巣鷹山には行っていない。
何故総理在任中のこれほどの事故に、退任後も慰霊に行けないのか。
官房機密費の問題で、評論家の三宅が藤波官房長官から貰ったことを喋っていたことがある。
このとき、どれだけの官房機密費がマスゴミに渡ったのだろうか。
25年経った今も、真相究明に積極的でないマスゴミは、やはり国民の味方ではないのだろう。
調査委員会は遺族の再三の再調査要望を受け付けていない。
尾翼の3分の2が発見されていない。
すべてはこの尾翼の爆発から始まったのではないか。
真相は相模湾に沈んでいる。
そこにJAL機にはないものが残っているかもしれない。