12年程前、私が外資の金融機関に所属していたとき、引き継いだ顧客の中にODAに関係する社長がいた。
初めて会った日に食事に誘われ、最後は北新地の高級クラブに連れて行かれた。
裏話や具体名はここでは語れないが、間に入る者にいかに沢山金が流れるかは理解できた。
特に途上国側の役人や高官は日本側よりもあくどい場合が多かったらしい。
まあ、彼の立場を差し引いて推察しないといけない部分はあるとは思う。
彼は翌年第一線から退き、故郷で隠居生活に入った。
私が貿易と金融を経験していたのを、会う前に電話で話していたので、後継を探していたのかもしれない。
あのとき誘いに乗っていたらどうなっていたのだろうかとふと頭をかすめた。
日本のODAは1990年代をピークに減少傾向にある。
昨日述べたように、対テロなどの途上国の貧困対策から欧米のODAが戦略上増加しているのに反比例している。
財政難もあるが、ODAのあり方への非難も減少に反映している。
ODA改革ネットワークや市民のフォーラムの開催などの活動もあり、ODA改革は監視の目とともに以前より進むように思われる。
ただ、欧米からの非難や先進国の戦略的傾向も無視できない部分もあり、減少させるだけではいけない事情もあるようだ。
5月の第4回アフリカ開発会議で共同議長の岡田克也外相は演説で、アフリカ向けのODAを2012年までに倍増するなどとした公約実現を改めて表明した。
円借款で今後2年間で最大20億ドル相当のインフラ整備を実施することや、世界エイズ・結核・マラリア対策基金に今年も2億4千万ドルを拠出することを表明した。
さて、ODAといえばいつも問題になるのが中国へのものであろう。
2008年には一応円借款は打ち切りになったのであるが、形を変えたODAは続いている。
何故日本を抜いてGDP第2位になるであろう国に援助しないといけないのだろうか。
長年続いてきた裏事情としては、戦争賠償を放棄した中国への形をかえた賠償の意味合いだったということ。
ただ、ODAの援助の選定となる基準と呼ぶべき4原則には中国やミャンマーなどは当てはまらないのが問題でもある。
そのためか、最近はインフラの名目ではなく、「大気汚染」や「省エネ」や「地球環境」といったものに援助するという名目で、日本と中国の両国政府の諮問機関「新日中友好21世紀委員会」などがこれを推進している。
援助資金は直接ではなく、世界銀行やアジア開発銀行からの融資で中国へ流れて行っている。
こんなことを日本は続けているのに、中国は他国にODAを行っているのである。
特に アフリカに戦略的に実施してレアメタルをはじめ資源の利権や食糧を獲得し、国連などのアフリカの票も獲得している。
しかもその額は日本を大きく上回るのである。
さらに、中国は欧米や日本はほとんどやらなくなったタイドとして開発援助してるため、アフリカに進出してる企業は1000社以上で在住中国人は100万にもなってるのである。
資源も確保し、国際的発言力も強め、経済効果も上げる中国のしたたかなODA戦略を見たときに、日本は何を手に入れたのかと思わずにいられない。
援助のODAを含めた、親睦や協調を建前とした対中外交は、日本の総合的な利益になってるのだろうか。
さらにいえば国防に役立っているのであろうか。
アメリカは世界銀行などを通じ、中国を援助し親密さを増していっている。
日本はアメリカに基地も金も提供して、抑止力になってるなどと言っている。
今もし中国と日本が尖閣諸島で衝突して、アメリカが日本の味方になってくれると言えるのだろうか。
そんなことは100%ありえない。
自衛隊が対処するしかないのである。
ならば費用対効果を考えたならば、どのようにすれば良いかはわかるはずだ。
日本はお金の使い方が本当に下手である。
しかもこのお金は国民の税金なのである。