さらにものみの塔からの引用を続けます。

 

──クリスチャンであると唱える人の中にも信仰を 失った人が少なくありませんでした。ハリー・ J・カーガスは,クリスチャン・センチュリー誌 の中で,かつて教会に通っていた多くの人 が抱いた感情を次のように言い表わしました。

「私の考えでは,この大殺りく<ホロコースト>はクリスチャンにとって磔刑に次ぐ最大の 悲劇である。前者の場合,イエスが死んだ。 そして後者の場合は,キリスト教が死んだと 言ってよかろう。……自らをクリスチャンと称する者たちの手で計画・建設・運営の大半が 行なわれた死の収容所があったというのに, 今日クリスチャンであり得ようか……」。(ものみの塔81/9/15より)

 

 

「自らをクリスチャンと称する者たちの手で」ホロコーストが行われた、というのは重要な問題提起だと思います。クリスチャンという言葉には、「善良な市民であったはずの人びとが」という思いも込められているのではないでしょうか。私はクリスチャンうんぬん以前に、そもそも「普通の人間がこのように(ナチスのように)なってしまう」、という恐ろしさを感じます。JWが忌避などで見せる恐ろしさにも、その片鱗があるのかもしれません。

 

とはいえ、ものみの塔記事の要旨は「それでもJWは信仰を捨てず、立派にふるまった」ということです。「女性の間の信仰」という節に入ると、アウシュビッツの所長ヘスの回想録が引用されます。収容所に入れられた女性たちが、どんなにみじめな状況で人間的に堕落していくかをのべた後、しかし「聖書の虫」と呼ばれていたJW女性たちは違った、と書いているそうです。ちなみに、ヘスの回想録はルドルフ・ヘス著、片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』(講談社学術文庫)として邦訳が読めるようです。

 

──祖国ドイツを愛する忠実な軍人であり、「心をもつ1人の人間」であったアウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・ヘスが、抑留者大量虐殺に至ったその全貌を淡々とした筆致で記述した驚くべき告白遺録。人間への尊厳を見失ったとき、人は人に対してどのようなこともできるのだろうか?(アマゾン掲載の紹介文より)

 

(7/6追記:ヘスの回想録を入手しました。実際に読んでみると、ものみの塔の引用よりはるかに多く、JWについて書かれています。その大部分は、JWが非常に狂信的な人たちであった、という内容でした。ヘス回想録については、いずれ詳述したいと思います)